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「アメリカ国立公園紀行−バスで巡る大自然の旅」 小林正典
7月/05

 キャニオン・ドライブ北端のバス停、テンプル・オブ・シナワバでシャトルを降り、そこからバージン川の上流に向かって延びる「リバーサイド・ウオーク」というトレイルを歩く。清流を眺めながら木漏れ日を浴び岩陰を縫って歩いていく。派手なマフラーをした襟巻きトカゲらしき物体が岩陰にさっと消えた。リスも時々顔を見せる。谷底の自然は緑も豊かでサボテンの赤い花や黄色いシオンも咲いている。標高差、日照、水分の状態などに拠るのだろうが、グランド・キャニオンと同じようにザイオンの植生も随分多様なようだ。このトレイルは平坦で歩き易く距離も3.5キロと短いので、楽しげに手を繋いで歩く家族連れが目立つ。車椅子の老紳士もゆっくりと動いている。この地方に5年越し続いている雨不足のせいか、いま川幅は10m程度と細く流れも穏やかだ。だが、もし周囲の岩山に豪雨でも襲来したらこの静かな流れは一体どう変るのだろう。「神の国」ザイオンの渓谷は隆起とバージン川の侵食によって出来たというが、太古の激流が岩を削り取っていった様を想像しながら、私は屹立する周囲の岩山を改めて眺め上げた。リバーサイド・ウオークの散策は、長距離バスの疲れが残る私の背筋の調整にも大いに役立った。体のバランスを取り戻すのに、リズム良く歩くことが如何に大切かを再認識させられた感じだ。シナワバのバス停に戻って帰りのシャトルを待つ。「天使の座」という岩山だと記憶するが、遠く岩壁にしがみ付いている二人のロック・クライマーが米粒のように見える。ガイドのマサさんが「あそこまでたどり着くには丸2日は掛ってますね」と、独り言のように呟いた。


人種差別のいじめに遭う

 やがて、白いシャトルバスが2両連結でやって来た。我々グループは二手に分かれて急いで乗り込もうとした。ところが、後ろの車両に乗ろうとした人達が、「乗っては駄目だ」と云われたと叫んでうろたえている。1両目に乗り掛けていたマサさんが「誰でも自由に乗れるバスです。早く乗って下さい」と、後ろに向かって叫んだ。しかし、2両目は乗車口でまだごたごたやっている。マサさんは自ら2両目の様子を見に走った。そして、かなり興奮して戻ってきた。
「後ろの車両の先客たちが、我々グループの乗車を拒否しているけど、このシャトルは誰でも自由に乗れる筈でしょう。マイクで彼等に一言注意して下さいよ」と運転手に強く依頼すると、彼は急いで2両目に戻り、誘導しながらグループの連中をバスに押し込んだ。そして、最後に自分も2両目に乗った。

 一方、依頼を受けた運転手は、マサさんが苦労しているのを知りながら、何の行動も起こさない。マサさんの誘導で全員が乗り込むまで平然と待ってから、車内用マイクに向かってただ一言「発車!」と言って走り出した。先程のマサさんの思いつめた様子と、それに対する運転手のどことなく冷たい態度。客同士のトラブルには巻き込まれたくないと思っているのか。それとも何か他に訳があるのか。私は何か重苦しいものを感じた。

 途中のバス停ではあまり乗り降りもないままシャトルバスは終点のビジターセンターに到着した。バスから降りてきたマサさんは、もう怒りを抑えきれないといった様子である。彼から車内での様子を手短に聞かされて驚いた。

 2両目に先客として乗っていた10人程の白人のグループは、その車両を自分たちの専用車両のように使おうと勝手に決め込んでいたらしい。そこへ日本人グループがどやどやと乗り込もうとしたので、乗車拒否に出た。彼らにしてみれば、マサさんの誘導で乗込んでしまった日本人が邪魔で仕方がない。どうせ日本人は英語が解からないと思ったのか、或は解かってもかまわないと思ったのか、バスの中では悪態のつき放題だった。――日本人のお蔭で予定を狂わされた。無理に乗って来なくても次のバスを待てばいいのに。連中が通路に立ってるので景色が見えない。“BETTER STAY IN JAPAN. DON'T COME HERE.(こんなとこまで出掛けて来ないで、日本に居たらいいのに)”

 ――リーダー格の女性が吐いたこの捨て台詞で、遂にマサさんの堪忍袋の尾が切れた。そこまで云われて黙っている訳にはいかない。
「余り勝手な理屈を云わないで下さい。私はこの日本のグループのガイドだが、長年ガイドをやっていて貴方がたのような人達に会ったのは初めてです。貴方たちに予定があるなら、私達にも予定があります。貴方がたはレイシストですか。何だったらRACIAL DISCRIMINATIONで訴えて出ますよ」
彼に人種差別で訴えると云われて、さすがに連中もおとなしくなったそうだが、車内は重苦しい空気に包まれて、とても観光どころではなかったらしい。

 バスを降りた例の白人連中は、見ると全員だらしなく太って身なりも垢抜けない。マサさんの話を聞いていささか頭に血が上った私は、射すような蔑視の眼差しをこちらに投げて通り過ぎたメンバーの一人を追いかけた。
「もしあなた方が日本のマウント富士に来られたら、日本人は全員スマイルで迎えますよ。是非一度、日本に来て下さい」と、慇懃なる皮肉を投げ返した。
果たしてその白人に私の皮肉が通じたか通じなかったのかは分らないが、彼の答えは勿論「NO, THANK YOU.」であった。あの白人グループが何者だったのかは知る由もないが、人種差別、白人優越主義者はまだまだアメリカ本土には沢山いる。単一民族の日本人にとっては、これも貴重な旅の体験だったかも知れない。

 ビジターセンターで小休止した後、待機していた我々のバスに乗り換えホテルに向かう。今夜のホテルは公園南口を出て直ぐのスプリングデールという町にあるザイオン・パーク・インである。眺めも良くお洒落なペンション風の小ホテルで、別棟のダイニング・ルームも天井が高く立派だった。夕食時、マサさんに私の「マウント富士ご招待」の話をすると、彼は「お蔭で今夜は眠れそうです」と云ってニヤリと笑った。


6月21日(土)モルモン教のこと

 快晴の朝、ホテルを囲む植え込みの手入れが行き届いて美しい。ハコヤナギの艶やかな葉が風に揺れてキラキラと輝いている。散歩がてらに周辺の写真を撮ってから食堂へ。朝食ブッフエに良質のヨーグルトが出ていて有難かった。

 8時きっかり、ザイオン・パーク・インを出発。今日はここから約250キロ南西のラスベガスまでバスで行き、ラスベガスからカリフォルニア州フレズノまでの400キロは国内線で飛び、更に100キロ走って最後の目的地ヨセミテ公園に夕食までに辿り着かなければならない。又またかなりの強行軍である。

 9号線を30分ほど走るとハリケーンという町を通過した。近郊ではハリケーン・ヒルという大看板を立て住宅開発が進められていた。恐ろしい名前である。

 マサさんがモルモン教について話しはじめた。アメリカで生まれた宗教の中で最大の勢力を誇るのがモルモン教である。ユタ州の人口の70%はモルモン教徒でその戒律は厳しい。ユタ州で売られるビールは他の州のものよりアルコール度を低く抑えているし、コンビニではビール以外の酒類は売らない。モルモンは一夫多妻制と白人優越主義を掲げてきたため、多くの迫害と弾圧を受けた。2代目の指導者としてモルモン教を発展させたブリガム・ヤングは、実に26人の妻を娶り、58人の子供をつくった。モルモン教が一夫多妻制を捨てなかった為に、ユタは州としてなかなか承認されず、1890年になってやっと州に昇格した。現在でも推定2万人以上が一夫多妻を守っており、彼等は摘発された時に逃げ易いように、州境の僻地に住むことが多い。ラスベガスも昔モルモン教徒が開いた町で、最初は農業開発に努力したが、水が足りないので諦めたそうだ。

 マサさんの説明を聞いているうちに、国道15号線が近づいてきた。いよいよ国立公園のメッカ、「コロラド台地」ともこの辺りでお別れである。

 ところで、最近アメリカではジャーナリストのジョン・クラカワーが書いた「神の御旗のもとに」という本がベスト・セラーになっている。これはモルモン教の主流派ではなく、狂信的なモルモン原理主義をテーマにした恐ろしい本だ。彼等は今でも白人の優越性を謳い、神の命令を感じれば暴力も殺人も肯定してしまう。ひょとして昨日シャトルに乗り合わせた人達は、モルモン教の原理主義者ではなかったのか。だとしたら、暴力を振るわれなくて良かった。


水の足りないラスベガス

 バスは商業車検問所でチェックを済ませ、インターステイト・ハイウエイ15号線に乗った。総重量は29トン以下。運転手は1日10時間以内の運転。運転日誌は抜き打ちで検査され、違反には厳しい罰則が科せられる。やがて、バスはセント・ジョージの町に入った。最近この街に出来た巨大なウォルマート・センターで見学がてらの休憩をとる。従来のウォルマートと異なり、生鮮食品も売るし、歯医者や床屋や美容院まで揃っている。まさにワン・ストップ・ショッピング、一ヶ所で全てが間に合う一つのタウンと云える。

 セント・ジョージを出てヴァージン川の渓谷を過ぎると、やがてネバダ州に入った。早速、オアシス・カジノという看板を掲げた建物が目に飛び込んできた。沙漠の中の一軒家という感じの素朴なカジノである。お泊りは19ドル50セントと書いてある。これからラスベガスまでは何もない砂漠の中を突っ走る。時間つぶしに、頭にMのつく州は幾つあるかなどというクイズをやりながら走る。Mのつく州はモンタナ、ミネソタ、ミシガン、メイン、マサチュセッツ、メリーランド、ミズーリ、ミシシッピーの8州である。なかなか8州が出揃わなかったので、時間つぶしには充分役立った。砂漠を突っ切って1時間半走った頃、やっと遠くにラスベガスのスカイラインが見えてきた。

 ラスベガスとは牧草地の意味である。水が少しあったので最初モルモン教徒が住み着き、農牧地にしようとしたが成功しなかった。ユニオン・パシフィック鉄道の駅が出来てからは宿場町として繁栄したが、1911年にギャンブルが禁止されるとすっかり寂れてしまった。1930年代に入って空軍基地が出来、フーバーダムが完成、そしてギャンブルが合法化されるに及んで、発展の基礎が固まり、ピンク・フラミンゴ・ホテルが第一号のカジノ・ホテルとして開業した。現在のフラミンゴ・ヒルトンの前身である。過去5年続けて降雨量が減っているところへ、周辺の人口増加が続いているラスベガスでは、ミード湖からの給水だけではすでに限界で、他の水供給源を早急に考えないと将来の発展はない。

 オノボリさんよろしく、ラスベガスの中心部ストリップ大通りをバスで一巡した。2年前、ニューヨーク・テロ事件の直後に家内とここへ来たが、あの時はさすがに客の数は少なかった。今回来て見ると新規投資がまた活発化していて、あちこちに新築や改築の工事現場が目に付く。常に新しいものを追いかけなければならないラスベガスの宿命であろう。

 大阪屋という日本食レストランで昼食となった。極く当り前の幕の内弁当だったが、やはり久し振りの和食は嬉しい。食後に胸焼けしないだけでも有り難い。一合11ドルの冷酒「男山」が沁みこんで背中の凝りも少し柔らかくなった。

 さて、今日までの6日間、我々の命を預かってくれたドライバーのバーナさんとも、いよいよラスベガス空港でお別れである。感謝の握手、そして拍手をして全員で別れを惜しんだ。彼女も目を真っ赤にして、空港内に消えていく我々に手を振ってくれた。仕事熱心でこころ優しい女性であった。

 空港でのセキュリティー・チェックは相当厳しかった。仕方が無い、ラスベガスはアルカイダとの縁も深いところである。搭乗前の時間を利用して、ゲート横に並ぶスロットマシンで運試しをする。最初ちょっと良かったが後は全然駄目。これから先のお小使いが無くなりそうなので、誘惑を断ち切った。フレズノ行きのユナイテッド航空は予定通り午後2時に離陸した。

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