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「アメリカ国立公園紀行−バスで巡る大自然の旅」 小林正典
4月/05

 その日の夕食はランチと同じくツサヤンのクオリティー・インでとったが、メキシコ人のウエイターが、テーブルにアテンドする度に「おいしいです」「おいしいです」と勝手に繰り返す。我々は「おいしいですカ」と、語尾に「カ」を付けなさいと教えるのに苦労した。ヘリコプター遊覧に出かけた人達も雄大な空の観光に満足して話が弾んでいる。貴重な自由時間を活用して歩き回った私も、今夜は程よいワインの酔いでよく眠れそうだ。


6月19日(木)巨大な人造湖レイク・パウエル

 サンダーバード・ロッジをチェック・アウトし、きのうと同じレストランで朝食。ウエイターのエリックは今日もご機嫌だった。昨夕トレイルを少し体験したことを告げると、彼自身も対岸のノース・リムからこちらのサウス・リムまで渡ったことがあると得意そうだった。ノース・リムは標高が高く毎年6ヶ月間は雪に被われる。彼の体験も夏だったが、谷底が異常に暑いので参ったそうだ。お金が貯まったら日本を旅行したいという彼と、硬い握手をして別れた。

 今日はここから約250キロ北にあるブライス・キャニオン国立公園に向かって移動する。途中コロラド川を堰き止めて出来た人造湖レーク・パウエルで昼食を取る。グランド・キャニオンを発って89号線をしばらく走り、再び先日立ち寄ったキャメロンまで来た。今日はもうあのお化けタコスは食べなくて済む。先日とは逆に時計を1時間進めて、少し損をした気分になる。

 100キロ程北に走ってお昼前ページという町に着いた。今は人口8千人の小さな町だが、ここは50年代後半にダム建設の為に生まれた町である。町を過ぎると間もなくコロラド川に架かる鉄橋と巨大なダムと人造湖が見えてきた。

 1956年、連邦議会が治水と電力供給を目的にコロラド川を堰き止めて大型ダムを造ることを認可し、ここページを基地にして建設工事は順調に進み、1963年にグレン・キャニオン・ダムは完成した。上流にあった96ヶ所のキャニオンを湖底に沈めたこの一大プロジェクトは想像を絶するスケールで、ダム湖がやっと満水になったのは1980年になってからである。満水にするのに17年かかったことからも、湖の大きさが想像できるが、複雑な線を描く湖岸の総延長は3136キロもあり、アメリカ西海岸の総延長3250キロに匹敵する。赤茶けた大地に南北300キロにも及ぶコバルト色の湖が浮かぶ様は、何か宇宙的な静寂を感じさせる。映画「猿の惑星」や「マーベリック」がここで撮影されたことが頷ける、誠に不思議な世界である。

 原子力発電だとスイッチを入れてから規定の出力に達するのに20時間、火力発電でも8時間はかかるが、水力発電だと3分でフルパワーに達する。それ故、このダムが持つ1320メガワットの出力は急場の電力不足に即時に対応できる。

 一方、ダムの水量コントロールは下流のグランド・キャニオンの治水と生態系の保護という重要な使命を負っている。グランド・キャニオンの谷底を流れるコロラド川が、現在比較的穏やかに一定量で流れているのは、実は上流にあるこのダムと下流にあってラスベガスに水を送っている、あのミード湖のフーバー・ダムの両者が互いに支え合って、水量コントロールを上手くやっているからである。もしそれが無ければ、グランド・キャニオンの谷は激流に削られて今よりずっと深くなっている筈だそうだ。

 パウエル湖はダムの部分だけがアリゾナ州で、残りは全てユタ州内になる。ダムの脇に建つビジターセンターでは、セキューリティー・チェックが実に厳しかった。空港の安全チェック以上である。テロリストがダム施設や湖に対して何か仕掛けることを怖れるからだろう。湖面を見下ろすレストランでブッフエ・ランチを食べる。珍しく野菜類たっぷりのブッフエで胃を整えることが出来て助かった。ウエイトレス達は、いよいよ夏のシーズン到来です、と張り切っていた。湖面には船内で生活の出来るハウス・ボートが沢山浮かんでいる。夏中ボート生活を楽しむファミリーも多いらしい。アメリカ人のレジャーはダイナミックである。キャンプや釣も盛んで、バス、ブルーギル、ナマズ、クラッピーなどが釣れ、またダムの下流では大形の虹鱒が釣れるそうだ。


懐かしのテレビドラマの町カナブ

 ゆっくり昼食を摂った後、1時45分パウエル湖を出発。カントリー・ミュージックを聞きながら午睡を楽しむ。先程までのアリゾナの砂漠風景から次第に緑の多い牧草地風景に変ってきた。3時丁度、ユタ州カナブの町に到着しトイレ休憩となる。ここカナブはモルモン教徒が開拓した町だが、この近くで「ララミー牧場」や「ガンスモーク」などの映画やTVドラマが撮影された。ディーン・マーチン、サミーデービス、ロナルド・レーガンなど、当時の俳優たちが常宿にしたパリーというモーテルがいまでも営業していた。映画「明日に向かって撃て」もこの近郊で撮影された。ポール・ニューマンが演じた悪党のブッチー・キャシディーは実在の人物で、ユタ州出身のため地元では英雄扱いされたそうだ。映画ではロバート・レッドフォードが扮するサンダンス・キッドと一緒に逃走を続け、2人はボリビアで死んだことになっているが、実は生きのびてメキシコに逃げ、当時の悪党だけが知っていたアウトロー・トレイルという秘密の裏街道を通って地元に舞い戻り、余生をまっとうしたそうだ。

 4時頃マウント・キャメルを通過。アルファルファなどの牧草畑が広がる中に、いまでも開拓時代そのままの姿を残す農家が目に付く。名物リンゴジュースで有名になったスミス・ホテルの前を通過したが、今日は飲んでいるヒマはない。やがて12号線に入り更に63号線に折れて、ようやくブライス・キャニオン国立公園に到着した。

朱色の尖塔ブライス・キャニオン

 公園入り口手前の草むらにアンテロープが数匹遊んでいるのが見えた。彼等は時速120キロくらいで駆ける俊足の持ち主だ。リス、プレーリードッグ、エルクなどの野生動物や野鳥類もここには数多く生息しているという。

 1875年、この近くのトライトンという町に教会を建てにやって来たモルモン教徒の大工、エベンザー・ブライス夫妻が、この奇岩の谷間で牛を飼い始めたことから、この地はブライス・キャニオンと呼ばれるようになった。正式に国立公園に指定されたのは1928年である。ビジターセンターに立ち寄り資料を入手してから、早速、公園中心部の眺望ポイントを順次回遊する。

 先ず最初、ブライス・ポイント展望台に立って驚いた。まるで異星にでも降り立ったような光景が眼下に広がっている。赤味を帯びた朱色の岩の尖塔が、何千本何万本と、まるで地底から針を突き出したように林立しているのだ。蝋燭の燭台や筍のように見える岩。ちょっと気味の悪い幽霊のように見える尖塔もある。事実、先住のインディアンはこの赤い尖塔群をHOODOOS、疫病神と呼び、魔力で金縛りになることを怖れて近づかなかったとか。遠く300キロ先まで見晴るかせる赤松の緑の大平原の真中に、ぽっかりと穴が開いたかのように、50万坪の朱色の世界が嵌まっている。不思議としか云いようがない眺めだ。

 今から1500万年から1000万年前、大地の隆起によってコロラド高地が形成されたが、その時、若い地層の下に沈んでいた太古・白亜紀の地層の一部が露わになった。地表に顔を出したこの太古の地層はクラロン層と呼ばれ、炭酸塩で固められた土は鮮やかな朱色をしている。やがて、地表のクラロン層には侵食による縦の亀裂が無数に走り、凍結と氷解の繰り返しで脆い部分は削り落とされ、硬い部分だけが残って朱色の尖塔群を形成していった。

 先日訪ねたアーチズ国立公園の場合は、侵食によって岩に穴が開き、やがてその穴が広がりアーチを形成していったが、ここブライス・キャニオンの場合は地層の性格が異なり穴は開かず、ひたすら縦に亀裂が入り、削り落とされて尖塔となった。断崖沿いのトレイルを順次インスピレーション・ポイント、サンセット・ポイントと回る。標高が2500m近いので軽い高山病が出たのか足元が少しふらつく。しかし夕陽を受けて次第に陰影を際立たせる尖塔群は、こちらが金縛りになるほどの美しさで輝いていた。

 7時、今夜の宿ルービーズ・インにチェックインした。この地区では一番大きなホテルで、ロビーも売店も食堂も山小屋風にデザインされている。2階建ての客室棟は3棟に別れているが、夏休みに入って家族連れが多いようだ。団員の殆んどはホテルの道向いでやっているロデオ・ショーに出かけて行ったが、類は友を呼んで、アルコールの決して嫌いでない男性ばかり4人が居残り、ステーキを肴にカリフォルニア・ワインをがぶ飲みした。皆すっかりご機嫌になり、途中から添乗員のK嬢も加わり賑やかに夜は更けていった。


6月20日(金)ナバホ・ループで脚力を試す

 ガイドのビルとの別れが突然やってきた。先日不慮の事故死をした親友の葬儀のことは新妻に任せて、彼は我々のグループとの仕事を最後までやり遂げるつもりだった。しかし、奥さんが事故後の心労で体調を崩してしまい、彼がどうしてもソルトレークに戻らざるを得なくなったらしい。そこで、交代要員のマサさんという青年が昨夜急遽ソルトレークから国内線で駆けつけ、今日からガイドを引き受けることになった。

 8時半、ルビーズ・インを出発。ビルは我々のバスに向かっていつまでも手を振っている。途中で投げ出さなければならなくなった申し訳なさと名残り惜しさ、そしてアメリカ人特有のプロ意識がそうさせているのだろう。彼の方からは見えないだろうが私も窓ガラス越しに彼にサヨナラの手を振った。

 バスはきのう夕景を眺めたサンセット・ポイントに着いた。ブライス・キャニオンには何本ものハイキング・トレイルがあるが、今日はここからスタートするナバホ・ループという一番手頃なトレイルを探検する。手頃と云っても全長4キロ、標高差159mの谷に下り、急坂を再び登って帰ってくるコースで、足の弱い人には相当きつい。往復1時間から1時間半は掛かるらしい。

 足に自信のない人は何人か残ったが、私は思い切って急坂を下って行った。朱色の土でできた巨大な縦穴に降りて行く感じだ。周囲はざらついた土壁だけで草一本生えていない。膝が笑いだした頃やっと谷底に到着。両側から壁が迫ってくる谷底の細い道に、樹齢800年というダグラス・モミの木が一本、天を突き刺すようにすっくと立っていた。谷底から空が見たい一心で800年間も頑張ってきたのか。復路の登りはさすがにきつかったが、何とか無事にサンセット・ポイントまで這い上がった。所要時間は丁度1時間。驚いたことに私が一番乗りだった。この旅行に備えて毎朝1万歩近く歩いてきたのが役立ったらしい。


神の国ザイオン国立公園へ

 10時15分、ブライス・キャニオンに別れを告げる。国道12号に入って間もなく、レッドキャニオンという景色の良い場所で写真ストップ。キャンプカーに自転車を積んだ中年カップルが休んでいたので声をかけてみる。彼等はベルギーからやってきた夫婦で、1ヶ月の夏休みを取ってアメリカの公園を回っているとのこと。キャンプ場に車を停め、その周辺を自転車で探険するというスタイルで、誠に健康的な旅を楽しんでいるらしい。羨ましい限りである。

 12号から89号に入った。この道を南下して次の目的地ザイオン国立公園へ向かう。移動距離は約130キロ。これはこのツアー開始以来おそらく一番短い距離だろう。新ガイドのマサさんは滞米9年目で青森の出身だそうだが、きっと音感がいいのだろう、低音で話す彼の日本語には東北訛りは殆んど感じられない。中肉中背、少し理屈っぽい学校の先生タイプである。

 89号線沿いのロングバレーの町を過ぎる頃、周辺の広漠たる風景を指差しながら彼が云った。
「この辺はマウンテン・ウエストとかコロラド高地と呼ばれ、今でも地殻変動が続いているアメリカでも非常に特殊な地域です。不毛地帯の代名詞のような植物・セイジブラシ、日本名でいうヤマヨモギ以外には何もありません」
「みなさんは例外ですが、日本人観光客も殆んど来ないところです」
ビルと交代したばかりの彼のこのセリフには全員笑い出してしまった。

 カーメル・ジャンクションでちょっとトイレ・ストップしてから9号線に入る。公園が近づいてくると道路の舗装の色が茶褐色に変った。これはアースカラーといって周囲の自然との調和を考えた結果だそうだ。理屈はわかるがこれでは却って道路が目立ち過ぎのような気もする。

 12時少し過ぎザイオン国立公園の東ゲートに到着。ザイオン・マウントカーメル道路を登っていくと次第にそそり立つ岩山が迫ってきた。ブライス・キャニオンは「眺め下ろす峡谷」と云われ、一方ここザイオンは「眺め上げる峡谷」呼ばれるそうだが、次第にその意味が判ってきた。ザイオンとはヘブライ語で「神の国」とか「安全な隠れ家」という意味だという。山肌一面に将棋板のような模様が走るチェッカーボード・メサという白い岩山が見えてきた。先ずその山を望む展望ポイントでバスを停め写真を撮る。

 やがてバスは岩山をぶち抜いたトンネルを二つ抜けた。このトンネルは1930年に大変な難工事を克復して完成したそうだが、絶景を見渡す為に途中5ヶ所に窓穴を切り開いてあった。そのトンネルを抜けると道路は七曲りになり、公園の中心部であるザイオン・キャニオンの谷底に向かって、約500mをくねくねと下った。谷底平坦部の標高は平均すると1300mから1500mである。

 公園内にある唯一の宿、ザイオン・ロッジで昼食。野菜スープにターキー・サンドだったが、とてもそのまま食えるような味ではない。タバスコ、マスタード、ケチャップをべちゃべちゃに付けて、国籍不明のサンドに加工してから呑み込んだ。周りのアメリカ人たちは、ただデカイだけのサンドイッチを美味そうにパクついている。申し訳ないが、彼等の味覚神経はどうなっているのだろう。食後、2両連結の無料シャトルバスに乗って、長さ約14キロの谷底の観光ドライブウエイを回遊する。途中数ヵ所にバス停があり気侭に乗り降り出来て便利だ。バスの天井はガラス張りになっているが、殆んど垂直に屹立して並ぶ高さ400mから700mの岩山を見上げてばかりいると、首が元に戻らなくなってしまった。岩山ごとに色彩が異なるのは含有鉱物の違いからだろう。

 2億4千万年前から続いている堆積岩層の隆起と、激流による侵食でザイオンの岩山群は形成されたそうだが、現在でも地殻の上昇は続いており、1995年には大きな地震と地すべりがあった。バージン川による砂岩層の侵食は現在も進んでおり、いつの日かここも第2のグランド・キャニオンになるのだろう。

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