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「アメリカ国立公園紀行−バスで巡る大自然の旅」 小林正典
2月/05

 下部の塩化地層の動きに連動して、表面の砂岩層は縦に裂けたり、横に剥がれたり、波打ったりと大きく変化した。また亀裂に浸透した水分が氷結して膨張する度に、岩が押し崩されるという変化も繰り返された。つまり、下層の塩分に起因する地殻変動と表層の雨や氷による侵食が一緒になって、無数のアーチや奇岩を生んだのだ。赤褐色の表層はエントラダ砂岩、黄褐色の方はナバホ砂岩と呼ばれ、この地域の表層の大部分はこの2種類の砂岩で覆われている。


バスの故障で野宿を覚悟

 園内の駐車場にバスを止めて、我々はトレイルの幾つかを散策した。空は快晴、気温は既に40度を超えている。脱水症状にならないように水だけは手放せない。こんな厳しい環境でも、ウサギ、狐、ネズミ、爬虫類が生息し、鳥類はゴールデン・イーグルやカケスなども見かけるそうだが、今日は誰も顔を見せない。乾いた砂地にジェニパーという杉科の樹木だけがぽつんぽつんと生えている。モルモン・ティーなど砂漠に生きる草花も数種見かけたが、どれも蓄えた僅かな水分を逃がさぬよう、葉や茎や花を硬い皮膚で守りながら必死に生きている。

 園内の次のスポットへ移動するため全員バスに戻ったが、運転手のバーナの様子がどうもおかしい。先程からバスのエンジンがかからなくなり悪戦苦闘していたらしい。バーナとビルが小声で話しているのを耳にしてしまった。――ソルトレイクの本社に今は代車はない。たとえ有っても到着までに4時間は掛る。この沙漠地帯に代車を出せるようなバス会社は無い。パーク・レンジャーにも大型バスのメカが解かる人は居ない。修理屋を呼ぶしかないので、レンジャーが呉れた情報をもとに、少しでも近くの修理屋にコンタクトしかない。――状況がそう簡単ではないのでバーナは必死なのだ。冷房の切れた車内で待つわけにもいかない。まして戸外には日陰も無いし風もない。このままだとパニックになってしまう。

 添乗員のK嬢がとっさに機転をきかせて、「皆さん、バスの修理に少し時間が掛りそうなので、あそこに見えるダブルアーチまで行ってみましょう」と言った。ダブルアーチとは駐車場から約1キロの小高い丘の上にあり、幅45m高さ34mもある巨大なアーチである。下から見ると大きなトンネルの入口のように見える。我々はK嬢とビルに従って乾き切った砂埃の道を歩きだした。陽射しはますます強くなっている。早くアーチに着いて日陰に入りたい。到着して巨大なアーチの下の雛壇のような岩に陣取った。やれやれである。有難いことに時々アーチの後方から涼風も吹き込んで来る。

 故障が直り次第、バスから合図がある筈だが、事態を知っている男性数人で、先程から最悪の場合を密かに考えていた。――バスに水のボトルはあと何本残っているか。夜は冷え込むから野宿は無理だろう。皆でバスの中で寝るしかないか。食料はないが、皆が持っているチコレート、クッキー、せんべい、飴などを分け合えば多少はしのげるだろう。バスのトイレは女性優先で使ってもらおう。

 もし、パーク・レンジャーに救援を依頼したら、何をどこまでやって貰えるのか。多分バスに泊ることは許可されず、園内のキャンプ指定地で夜を明かすように指示されるだろう。毛布は貸してもらえるのだろうか。―― いろいろ考えを巡らせているうちに1時間が過ぎた。だが、バスの方からはさっぱり合図がない。平静を装っていたビルが痺れを切らし、「様子を見に行ってきます」と、バスの方へ戻って行った。しかし、30分以上経っても彼から何の合図もない。今度は団員の一人のF氏が「様子を見てきます」と言い残して出て行った。これもまた行ったきり音沙汰なしである。雑談に花を咲かせたり、記念写真を撮ったり、岩登りをしたりして、それなりに時間をつぶしたが、もうダブルアーチの雛壇でやることもなくなった。とにかく一旦バスに戻ろう、と腰を上げかけた時、「あっ、Fさんとビルが手を振ってる!」と誰かが叫んだ。見ると二人とも両手を上げて「こちらに戻れ」の動作を派手にやっているではないか。遂に故障が直ったのだ。よかった。本当に良かった。バスではバーナが顔を紅潮させて我々を迎えてくれた。2時間ほどロスしたので、残りの園内回遊は早目に切り上げ先を急ぐことにした。幸い野宿せずに済んだ不思議な公園の風景を、もう一度脳理に焼き付けてから、我々はアーチーズを後にした。バスは再び191号線に乗ったが、午後の陽射しは強烈で、バスの中にはまた日傘の花が幾つか咲いた。

 F氏からエンスト事件の顛末を聞いた。彼がバスに戻ってみると、修理屋の手配がさっぱり進まずバーナはもう泣いていたのだそうだ。様子を見に戻っていたビルも、思案にくれ運転席でふて腐れていた。とても2人の顔をマトモに見られないので、F氏はバスの周りをうろうろするだけ。ところが暫くすると、バスのエンジンがいきなり唸りをあげた。見ると運転席でビルが跳び上がっている。――差し込んであったキーをビルが半ば無意識にいじっていたら、突然かかったのだそうだ。車のメカのことは良く解からないが、オーバーヒート気味だったり、バッテリーが弱っている場合は、しばらく時間を置くと発進することが良くあるらしい。たちまち元気を取り戻したバーナは、「もう絶対にエンジンは切らない!」と言って、ビルとF氏に抱きつきキスしたそうだ。


沙漠の道をモニュメント・バレーへ

 ラサールの町を過ぎ、モンティチェロを過ぎ、バスはぐんぐん飛ばす。バーナは遅れを取り戻そうとしているらしいが、120キロ以上出すと、もしタコメーターを警察にチェックされたら免許停止になる。しかし、今は直線では150キロは出している。最後部座席に乗っている私はまるで船に揺られてる気分である。  夕方5時、ブランディングのビジター・センターでトイレ・ストップした。この町は人口の半数以上がインディアン系の人達だが、キルトの素晴らしい伝統手芸品が展示してあった。カウンターの老婦人が「商工会議所からのプレゼントですよ」といってビニール袋をくれた。開けてみるとシャンプー・リンス、洗剤、車酔いの薬、駄菓子などが入っている。これは最近アメリカで流行りつつある

 試供品頒布作戦で、マーケット・コネクションズというような専門会社が、信頼できるメーカーと契約して試供品を集め、頒布作戦を請負っている。

 アメリカ中西部は5年越しの旱魃が続いていて問題になっているが、この辺りでも水不足に耐えられなくなって牧畜業の廃業が続出している。からからに乾いて砂漠のようになった牧場跡地が痛々しい。ブラフ(絶壁)という文字通り絶壁を背にした町に入った。ここもナバホ族をはじめインディアン系の人達の多い町である。70年代にオイルが湧き出してからこの町の人口は増加した。FOUR STATE CORNERSといってユタ,アリゾナ,コロラド、ニューメキシコの4州の境界線が一点に集る地点はここから近い。両足両手を使えば同時に4州に跨ることができる、と言ってビルが笑わせた。また、この辺りはトルコ石の産地としても有名である。

 ブラフで191号線と別れ163号に乗り入れる。モニュメント・バレーまではあと50キロである。荒涼たる砂漠が続くが所々にコットンウッド(はこやなぎ)の濃い緑が目につく。はこやなぎは水が豊富なところにしか育たないので、水脈の在りかが判る。インディアンは「命の木」と呼んでいたが、西部開拓時代の人々もこの木を求めて彷徨ったそうだ。左手前方にソンブレロをかぶったメキシコ人にそっくりの岩が見えてきた。誰かが彫ったわけではない、正真正銘の天然石である。ここからはもうナバホ居留地である。

 バーナの達者な運転で殆んどの遅れを取りもどし、6時35分モニュメント・バレーに到着。有名なグールディングズ・ロッジにチェックイン。ロッジはMESA(テーブル型台地)の麓に静かに立っていた。従業員は全員ナバホ族である。駅馬車という食堂で急いで夕食をすませサンセット・ツアーに出かけた。ビジターセンターの脇の丘から、映画やテレビやポスターで見覚えのあるMESAやBUTE(塔型の残丘)の夕映えを眺める。夕陽は期待したほど赤くならなかったが、哲学的な眺めとでも言うのだろうか、凄味と神々しさを感じさせる風景である。何億年という悠久の時間が造りあげたこの「大自然の建造物」には、ピラミッドも万里の長城も太刀打ちは出来ない。

 その夜、ロッジの映写室で「ナバホの祈り」という映画を見たが、白人の視点でインディアンの神秘性ばかりを謳いあげた大仰な映画で、腹立たしくなってしまった。どうして先住民をもっと普通の人間として見られないのだろう。彼等から土地を奪っておいて、いまさら神秘性を崇めるとは勝手過ぎるではないか。ナバホ居留地ではアルコール類は一切禁じられているが、憤りを鎮めるために、バッグに潜ませてきたバーボンをひそかに飲んだ。私という東洋人の男も相当身勝手である。


6月17日(火)ナバホの大地は西部劇のメッカ

 グールディングズ・ロッジはこの地では由緒の深い宿である。1923年、大正12年、この地に入植したハリー・グールディング夫妻が初めて交易所を開いた所で、夫妻はナバホ族に日用品雑貨を売り、ナバホからは彼等が織った敷物を買入れていた。通称チーフ・ブランケット、酋長の毛布と呼ばれたナバホの敷物はその頃からいい値段で売れた。映画監督ジョン・フォードに手紙や写真を送り、この地を紹介したのはグールディング氏で、ジョン・フォードは彼の熱意にほだされ自ら下見に来て、いっぺんに気に入ってしまったそうだ。そして、「駅馬車」や「黄色いリボン」「荒野の決闘」など、9本もの映画をここで撮り、モニュメント・バレーの名をすっかり有名にしてしまった。さっぱり売れなかったジョン・ウエインが一挙にスターダムにのし上ったのも「駅馬車」である。比較的新しいものでは「バック・ツウ・ザ・フューチャー」「フォレスト・ガンプ」などもここで撮影された。映像のインパクトが強いので、最近はTVコマーシャルにも度々登場している。

 モニュメント・バレーが有名になり、アメリカ政府はなんとかここを国立公園にしようと試みたが、ナバホの人々は絶対にイエスとは言わなかった。米国最大のインディアンである彼等は、この居留地をナバホ・ネイションと呼び、独自の法律をつくり、日常の会話もナバホ語である。ナバホの人達にとってここは神聖な土地であると同時に、23万の人々が日々の暮しを営なむ土地でもあるため、規制の多い国立公園にはしたくないのである。ここはナバホ独立国であり、モニュメント・バレーは「ナバホ国の国立公園」と言えるかも知れない。

 朝9時からナバホ族の小型バスで周辺を観光した。ホーガンというナバホの伝統的家屋を見学。木と土で固めた円形の家は、モンゴルのゲルに形がそっくりである。ホーガンの中で機織りをしていた老婆と一緒に写真を撮る。彼等の遠い祖先はアリューシャン列島を伝って米大陸に渡り、次第に南へ下って来たと言われるが、顔が日本人に似ているので親近感を覚える。彼等は他のインディアンの種族よりも器用で、学習能力に優れている。羊から羊毛を取ることをスペイン人から学び、機織りを習得し、またトルコ石や銀を加工する方法も習得して独自の手工芸を発展させている。ホーガン見学の後はバレー・ドライブに出かけた。雨の神の台地やサンダーバードの台地、高さ122mから418mもある巨大な残丘の数々を見て回る。テーマソングを口ずさみ映画の名場面を想い出しながらのこのドライブは、まさにセンチメンタル・ジャーニーであった。

 ナバホ語で「さよなら」は「ハコーネ」という。11時半、我々は自分たちの大型バスに乗りかえモニュメント・バレーにハコーネを告げた。今日はこれからグランド・キャニオンまで300キロを走らなければならない。バスは昨夜ナバホの老技師がエンジン・チェックを済ませた。今日は大丈夫だろう。

 163号線を南西に下り、カイエンタで160号線に乗る。アリゾナとはインディアン語で“水の涸れた泉”の意味だが、周囲には乾燥した大地が続く。途中ブラック・メサ、黒い台地という地域を通過したが、そこは文字通り石炭炭鉱の多い地域で、石炭を近郊の発電所まで運ぶ専用鉄道が走っていた。とにかく広大なアメリカでもこの辺りは特に何も無いところである。列車でも走っていると何かホッとする。やがて89号線に入った。この道路は駅馬車の時代からある幹線で、北はカナダから南はメキシコまで延びる長い街道である。西部劇に出てくる無法者たちもこの街道を動きまわり、いろいろと悪事を働いた。


キャメロン名物お化けタコス

 午後1時過ぎキャメロンに到着。ここを流れる川はコロラド川の支流だと記憶するが、昔からここだけが唯一浅瀬になっていて川を渡ることが出来た。そのため移動する開拓時代の人馬は皆ここキャメロンに集ってきた。その後その浅瀬にも立派な橋が架かったが、橋の袂には今でもキャメロン・トレーディング・ポストという大きな建物があり、土産物店、レストラン、伝統工芸のギャラリーなどが集っている。ここのレストランで昼食となった。本日のメニュー「ナバホ・タコス」はキャメロンの名物で、丁度ピザのような形をした直径20cm以上もあるナバホ式フライド・ブレッドの上に、煮豆、ゆで卵、チーズ、トマト、青野菜などがわんさと乗り、おまけにどろどろした赤いドレッシングがかかっている。高さは10cm近くもあり、見ているだけで胸焼けしそうだが頑張って挑戦した。だが、結局四分の一をビールで流し込むのがやっとだった。周りのアメリカ人たちを見ると、ばくばくウマそうに喰らいついている。ダイエット、ダイエットと云いながら、アメリカ人はどうしてそんなに食べるのか。

 タコス消化運動を兼ねて土産物店やギャラリーを冷やかした後、2時35分にキャメロンを出発。ここからはアリゾナ時間に変るので、時計を1時間戻して何か得した気分になる。キャメロン名物「お化けタコス」の副作用で猛然と睡魔が襲ってきた。さあ寝るぞと眼を閉じたが、眠る間もなくバスはグランド・キャニオン国立公園の東入口に到着した。


地球の裂け目グランド・キャニオン

 早速、展望塔ワッチ・タワーに昇ってみる。タワーの最上階にここは標高2260mと書いてあった。窓の外の眺望に圧倒される。キャニオンの全長は約500キロ、なんと東京から大阪までの距離だ。谷の幅は平均18キロ。谷の深さは平均1600m、底を流れるコロラド川の川幅は平均100m。この途轍もないスケールは「地球の裂け目」としか言いようがない。数百万年にわたるコロラド川の浸食によって形成されたこの地球の裂け目の、一番上の地層は2億年前のもので、一番下の谷底の地層は15億年から20億年前のものである。グランド・キャニオンの谷間を眺め下ろすことは、20億年刻まれてきた時の流れを見ることになる。谷底の気温は地表より常に10度以上高く、夏には50度を超えるが、不思議なことに川の水だけは手が切れるほど冷たいそうだ。

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