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「アメリカ国立公園紀行−バスで巡る大自然の旅」 小林正典
11月/04

6月12日〔水〕成田出発

 出発前の軽い興奮と何とも言えない開放感がうれしくてビールを飲む。搭乗ゲートD21のイスに座ってうとうとしていると、周りが妙に静かになった。おかしいと思いモニターを見ると、NW008便の出発ゲートは急遽D28に変っているではないか。慌ててD28に駆けつけると既に搭乗最終案内中であった。乗る機材が見えないと思ったら、なんとD28からはバスで運ばれるのだ。世界の先進国・日本の首都の空港が途上国より遅れているとは情けない。

 新型肺炎騒ぎで乗客が激減し各航空会社の減便が相次いだため、1便毎のロードファクターはかえって高くなったらしい。機内はガラガラと思ったら何と満席である。私は3列席の窓側だったが、隣には大きな体を折り畳むようにしてアメリカ人の青年が座った。その隣の通路側もかなり太目の日本女性である。まん中に挟まったアメリカ青年は、この格好でシアトルまでの9時間大丈夫だろうか。いくらエコノミー・クラスでも、せめてあと3センチ、彼の膝が楽になるようにしてあげたい。今は自分の足が短いことに感謝しよう。NW008便は午後3時半に離陸した。


ジョン君との一期一会

 隣のアメリカ青年とおしゃべりをした。名前はジョン・テイラー。年齢21歳。一人っ子。米陸軍の兵隊として韓国に2年間駐留し、今回退役してイリノイ州の田舎へ帰るのだそうだ。父親は20年以上陸軍にいた職業軍人で、ベトナム戦の勇士だった。ジョンは高校を出たら直ぐシカゴの大学に行きたかったが、オヤジに「大学へ行く前に、3~4年軍隊に入って鍛えて来い」と言われ、さんざん親子喧嘩をしたあげく軍隊に入り韓国に配属されたのだそうだ。入ってみたら軍隊生活も悪くないので、韓国には4年間居るつもりだった。だが韓国内の反米感情や最近の北朝鮮の動きが気になるのか、母親から「2年で切上げて帰って来なさい」と二度も手紙が来た。それで、今回思い切って退役することにした。オヤジさんは小さな自動車修理工場を経営しているが、今度の退役にはしぶしぶ賛成してくれたとのこと。イリノイの片田舎の小さな町の、頑固オヤジと優しい母親。何か素朴な一家の情景が目に浮かぶようで、赤ワインを飲みながらのジョンとのおしゃべりは楽しかった。彼は大学より先に軍隊で自分を鍛えたこと、外国に駐留して外からアメリカを見たことは良かった。やはりオヤジは正しかったと思うと言った。これから郷里に帰ったら、教育関係のカレッジに進み、将来は小学校の先生になるつもりだという。ワインに酔ったのだろう、「なぜ先生になりたいの」と私が訊ねた時、彼はもう大イビキをかいていた。さあ、ジョンに負けないようにこちらもイビキをかくことにしよう。時差ボケ予防の睡眠剤・メラトニンのカプセルをワインで流し込み、私も静かに眼をつぶった。

 機内が明るくなり朝食のサービスの物音で目が覚めた。時計を見ると日本時間の夜の11時、シアトル時間ではもう朝の7時である。メラトニンが効いたのか、幸い5時間程は眠ったらしい。窓を開けると白い雲に朝日が映えて眩しい。

 隣のジョンは口を半分開けたまま未だガーガーと爆睡中だったが、まるで魔女みたいな顔のステュワーデスが朝食サービスに来て、可哀相に彼も起こされてしまった。労働組合が強くて首は切れないし定年もないので、アメリカの航空会社のステュワーデスの平均年齢は実に高い。この飛行機でもすでに腰の曲がりかけた人まで働いているが、見ていると腕力もあるし実にタフである。みな何十年と国際線の激務に耐えてきたツワモノばかりなのだ。

 成田を出てから8時間半飛んで、朝の8時シアトル空港に着いた。日本時間では夜中の12時。今まさにお休みの時間だが、朝だぞと自分に言い聞かせて、しゃんと朝の顔にならなければいけない。ここからシカゴに向うジョンとは通路で握手をして別れた。「親孝行しなさいよ!」と言うと、「ママのオッパイをもう一度しゃぶるかもね」と悪い冗談を言って笑った。彼の一期一会のスマイルが印象的だった。


入国手続きで捕まる

 入国審査のブースへ急ぐ。私は米国永住権VISA、所謂グリーンカードを持っているので、米国への入国の際はアメリカ市民用のブースに並べば簡単に入国できる。しかし、今回は日本からの団体の一員として来ているので、他の団員と歩調を合わせて外国人用のブースに並び順番を待つことにした。テロ事件以来また一段と審査には時間がかかっている。やっと順番が来て日本のパスポートを係官に提示した。その時、取り外したパスポート・カバーと一緒に何気なく持っていたグリーンカードを係官が目ざとく見つけた。

「君はグリーンカード保持者なのにどうして外国人ブースに来るの」
「今回は日本のツアーの一員としての旅行なので、皆と一緒の列に並び、日本人として日本のパスポートで入国したいので」と答える。
「それはおかしい。グリーンカード保持者がアメリカに入国する場合は、米国市民用のブースに並び、グリーンカードと日本のパスポートの両方を提示した上で、米国市民用ブースから入国しなさい」とのお達しである。
「それは常々やっているから承知してます。でも、今回は団体のメンバーとして仲間と一緒に行動をしたいので、グリーンカードは見なかったことにしてくれませんか」と、少しばかり生意気なことを言ってしまった。
「君が私の正当な指示に従いたくないことは分った。別室で特別審判を受けて貰います」と役人は大声で叫び、私は強引に別室に連行されてしまった。

 薄暗い別室ではカウンター内の係官が、再チェックのための質問を根堀り葉堀りやっている。不法入国容疑者は私のほかにも3人いた。

「20人以上の仲間を待たせてるし、乗継ぎ便にも間に合わなくなるので急いでくれますか」と、係官を急かせると彼は怒った。
「Don't Push Me!」
「You Sit Down Here!」
つべこべ言わないでそこに座って待てと怒鳴っている。役人を怒らせたら勝てない。素直に謝ってこの場は脱出しようと腹を決め、私は神妙にイスに腰を下ろした。やっと順番が来てひたすら謝ると、彼の態度が急に穏やかになり、
「この次はルールに従って下さい」
「グアムに住んでいるなら、グアムの村の名前を5つ挙げてみてくれますか」と質問してきた。
私がすらすらと部落名を挙げると、
「横井軍曹が隠れていたタロホホ村を忘れていませんか」と言う。
私が怪訝な顔をすると、
「わたしはグアム島タロホホ村の出身でネ」と言ってニヤリと笑った。やれやれ一件落着である。

 国内線にスルーでは移されず、我々の荷物は乗継ぎ前に一旦シアトル空港で通関検査を受けるので、私はバゲージ・ベルトに急いだ。すでに荷物検査を済ませて国内線ゲートに向かったらしく、皆の姿はもう見えない。ふと見ると私のバゲージだけがコンベイヤーの脇にポツンと置かれていて、カードのようなものが貼り付いている。そのカードは交通安全局のものだった。「貴殿の荷物は航空・交通安全法110条Bに則り、スポット検査の対象となりましたのでご承知下さい。なお、検査上の必要から破損しました鍵については、申し訳ありませんが当局は法的な責任は負いません」と書いてある。私の荷物はキャンバス地のトラベル・ケースで、鍵は頑丈な南京錠を掛けてあった。見ると相当鋭利なカッターで南京錠は切断され、切断された鍵は証明書と一緒に粘着テープで荷物に貼り付けてある。そして鍵の代用としては、強化プラスチックの紐でケースが開かないように縛ってあった。この荒っぽいスポットチェックには驚いたが、安全のため法律に基づいてやられたことなら致し方なかった。(切断された南京錠は旅の記念?にと持ち帰ったが、新しい南京錠は旅の途中では手に入らず、とうとうプラスチックの紐のままで旅の終りまで過ごした)。


イエローストーン公園へ

 事件続きの入国であったが何とか間に合って、皆と一緒にボーゼマン行きの国内線に乗り込んだ。ホライゾン航空のQ400という中型プロペラ機である。

 眼下には緑色の大きな円盤を敷き詰めたような景色が続いているが何だろう。

 アラスカから郷里のモンタナに休暇で帰るという夫婦が、斜め前の席に座っていたので訊ねてみた。牧草か小麦の畑ではないかとのことだったが、確かな事は分らなかった。やがて機はワシントン州を過ぎ、アイダホ北部からロッキー山脈を跨いでモンタナに入ったが、雲上に顔を見せる雪の連山は眠気がふっ飛ぶほど美しかった。ボーゼマンまでのこの2時間は立派な観光飛行である。

 モンタナ州ボーゼマンの町からはいよいよバスツアーが始まった。この町からイエローストーン公園までは約3時間の山岳ドライブである。

 今日からイエローストーンを案内してくれるガイドさんは、ブラウン・のり子さんという日本女性である。ボーゼマンに住んで7年、ご主人のブラウン氏はボーゼマンにあるトヨタのディーラーで働いていて、7歳になるアリサちゃんというお譲さんがいるそうだ。外見は充分まだ独身女性で通る。バスのドライバーはドット君という長身のハンサム青年で、さりげなく被ったツバ広のソフト帽が妙に似合っている。  2時間ほど南に走ると、バスは次第に松の木に覆われた山岳地帯に入って来た。いよいよイエローストーンが近づいてきたらしい。松の木はロッジポール・パインという種類である。丁度、四国の半分の大きさを持つ公園の実に70%がこの松で覆われているので、この松はイエローストーンのシンボルと言えるかも知れない。幹が真直ぐに空に向かって伸びていて、直訳すれば「家柱松」とでも言うべきだろう。原住インディアンが全てこの松を支柱にして小屋を建てていたのでこの名がついたそうだ。遠くから見ると何千本、何万本の緑色の針が空に向かって突立っているような独特な眺めだ。

 CNNをはじめ米国のメディア・通信業界の大物テッド・ターナー氏の牧場が見えた。バファローを食肉用として4000頭も飼育しているそうだが、バファローの肉はコレステロール値が低いので現在人気上昇中だそうだ。

 この週末から学校も夏休みに入るからだろうか、バスの前後にはキャンピング・カーが目立ち始めた。周囲の雄大な風景の中で白いキャンピング・カーが絵になっている。遂に我々も公園西口ゲートに到着した。ログハウス風の立派な入口である。入園料は自動車20ドル、バイク15ドル、自転車10ドルで何れも一週間有効の料金であるところに、休暇のスケールの大きさを感じる。

 アメリカの国立公園は全て連邦政府・内務省国立公園局の管理下にあるが、ここが世界で最初に国立公園として指定されたのは1872年、明治5年に遡る。イエローストンはまさに世界中の国立公園の「元祖」であって、その後の内外の国立公園の在り方・考え方に常に大きな影響を与えてきた。78年には世界遺産の自然遺産に登録されたが、130年の歴史の中で、全体環境の保護、野生動植物の保護、自然災害への対応、施設・道路の管理などなど、世界の公園管理のモデルケースとして果たしてきた役割は非常に大きい。


白頭鷲が現れた

 バスは西口から入りマディソン川に沿って登って行く。しばらくするとエルク(へらじか)が大きな角を揺らして遊んでいるのを発見。今回の旅行で最初に出会った野生動物である。次は「バッファローだ」誰かが叫んだ。例の重そうな大きな頭をしたアメリカ野牛が4〜5頭草むらに立っている。

 ガイドのノリ子さんが
「皆さん右前方の背の高い木の上に白頭鷲の巣があるのが分りますか」
「あの巣は大分以前からありますが、残念ながら今は使われていません」
と言った。白頭鷲はアメリカのシンボルである。


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