グアム日本人会ホームへ 会員の広場
日本人会ニュースグアム日本人会年間活動・行事紹介秋祭りクラス・同好会・サークル活動紹介
日本人学校・補習授業校図書室からコラム・暮らしのページ総領事館からのお知らせ会員の広場リンク


「ロシア旅行・私の二都物語−モスクワとペテルブルグ」 小林正典
7月/04

 モスクワへの帰り道、沿道を眺めていて、今にも崩れそうな老朽アパートが多いのに気付いた。アンドレの話だと、ソ連崩壊後に時流に乗れなかった老夫婦や低学歴の庶民が住んでいるらしい。共産ソビエト時代でも既に先を読んで、ハイランクの人達や、特にユダヤ系の人々は密かに英語を勉強していた。そして、そうゆう人達は解放後、米国のユダヤ系アメリカ資本と上手く組んで国営企業を安く買い取ったり、ベンチャー事業に乗り出し、やがてニューリッチとなり、古いアパートから新しい高級マンションへ移って行ったそうだ。 解放後はニューリッチを中心に自家用車が急増したが、市内ではパーキング・スペースの問題が置き去りにされたままだし、新しく道路が出来ても、それだけまた車が増えるので、渋滞問題は年々深刻さを増すばかりだという。


郊外の団地を訪ねる

 そろそろモスクワ市内に近づいてきた。今日の我々の行動予定には、モスクワの一般家庭へのホームビジットが組まれていた。数人づつの班に分かれ、5つの班が5軒の家を訪問することになった。バスは訪問先となる家族が住む大きな団地の脇に停まった。アルバイトで通訳を引き受けてくれる日本人留学生が待っていた。各家庭からも一人づつお迎えが来ている。団地は15階建て、各階に10フラットとして、1棟に150世帯くらい入っているだろうか。周りに芝生の植込みや植栽などはなく、自然のままの野原にドカッと大きな団地棟が建っている感じだ。車の駐車場なども特には見当たらない。団地前の空地には子供のための滑り台が2〜3台無造作に置かれている。

 私の班もその家の大学生のお譲さんに案内されて進んだ。冬の寒さを防ぐためだろうか、団地の入口は狭く普通のドアの一枚巾しかない。建付けの悪い厚い鉄のドアをくぐって中に入る。エレベーター・ホールはなく、やけに揺れる小さなエレベーターに乗って訪問先のフラットに着いた。床面積85平米の3DKである。日本の公団団地と基本的には変わらないが、玄関を入ると家の真中を巾1m半ほどの廊下が貫いている点が気が利いている。お嬢さんもこの廊下があって助かると云っていた。両親と彼女と高校生の弟の4人家族だが、その日は母親とお嬢さんの二人だけが在宅で、お嬢さんが我々の相手をしてくれた。父親が小さな旅行会社を経営していると云っていたが、そんな関係でホームビジットを受け入れたのだろう。贅沢な家具などは無いが、家の中はきちんと片付けられて清潔感がある。夫婦の部屋、弟の部屋、リビングとダイニング・キッチン。お嬢さんは「私の部屋がないので、普段はリビングを私の部屋として使ってます」と云って笑った。残念ながらトイレとバスルームは覗くチャンスを逸した。「15年前、この団地の建設時に父親が充分な労働奉仕をして、この家を貰うことが出来ました。私たち家族はラッキーだったと思います」と彼女がやや得意げに言った。

 ロシアの住宅事情はよく分らないが、狭くても市内まで30分以内の持家に住めることは、人口900万の首都の市民にとっては、確かにラッキーなことなのだろう。ダイニング・キッチンのテーブルを皆で囲み、ロシア茶とホームメイド・クッキーでひと休みしたが、キッチンは日本の団地より狭かった。リビングの20インチTVとは別に、キッチンには新型のソニーの小型テレビが置いてあった。寒さの厳しい土地柄で、暖房をどうしているのか聞き忘れたが、部屋の窓は全て二重ガラスである。丁度小さなサンルームのようになったキッチンの出窓部分には、リンゴや野菜が沢山置いてあった。あそこに入れて置くと、外の冷気と暖かい室温との中間に位置するので、貯蔵スペースとして具合がいいのだろう。北の国ならではの知恵のようである。

 ホームビジットの為に多少構えた様子はあるにせよ、家の中は狭くても清潔で、慎ましい中流家庭の生活には好感が持てる。それに較べて、建物の入口や周辺部分は少し乱雑で殺風景な感じがする。しかし、長い冬の間は雪に埋もれてしまうのだから、あれはあれでいいのだろう。

 いちばん印象に残ったのは、入口やエレベーター周辺のコンクリート工事の荒っぽさである。直角であるべき箇所は充分歪んでいるし、平らであるべきところはデコボコと波を打っている。私のような建築の素人が見ても、明らかにシロウトの仕事だと分る。彼女の父親たち庶民の労働奉仕の結果、この住宅は完成したと聞いたが、ムベなるかなである。建物の安全性に問題が無ければ、少しくらい曲がっても傾いても構わないのだろう。それにしても、あの小さなエレベーターは揺れ過ぎだ。まさか素人が設置したわけではないだろうが。

 モスクワには伝統的なオールド・サーカスとニュー・サーカスの二つがある。
ニュー・サーカスは「ボリショイ・サーカス」の名前で何度も日本公演に出かけている。日本人はボリショイの冠に弱いので、ボリショイ・サーカスと称して公演するが、本当はそうゆう名前のサーカスはない、とアンドレは云った。

 今夜は百年の伝統を誇るオールド・サーカス「ツヴェトノイ・ブルヴァール」を見物に出掛けることにした。だが、夕方のラッシュに巻き込まれさっぱりバスが動かない。とうとう夕食をとる時間もなくなり、そのまま劇場へ駆けつけやっと間に合った。サーカスの出し物には、特に感動するようなものは無かったが、全体に昔なつかしい雰囲気で、チンパンジーの芸やピエロの仕草には哀愁があり、私は遠い昔こどもの頃に見たサーカスを想い出していた。

 サーカスは9時過ぎに跳ねたが、その後が大変だった。ホテルまで大した距離ではないのに、盛り場の渋滞に突っ込んでバスが進まない。運転手は気を利かせて裏道を選んだが、それがまた裏目に出た。辛抱し切れずチャヤノフ通りで全員バスを降り、ホテルまで歩いて帰った。長い一日だった。さすがに疲れて、私は夕食も取らずに寝てしまった。


9月4日(木) ショッピング・墓参・地下鉄

 おはよう。ドーブラェ ウートラ。昨夜、夕食抜きで寝てしまったことが胃腸のためにも良かったのか、今朝の食欲は快調なペースに戻った。

 天気はまた雨模様に逆戻りである。シェラトン・パレスを9時頃チェックアウト。先ず買物に向かった。お土産用のキャビアを早く買わないと、落着いて旅が出来ないという人がいるので、先ずはキャビアを物色する。青い缶、黄色い缶、赤い缶の3種類。ベルーガの青缶が上等だが、黄色と赤も少し塩辛いがツマミには最適で、ロシア人はこちらの方を好むそうだ。25グラム缶が18ドル、55グラム缶が33ドルだった。これからペテルスブルグに行くが、観光地のあちらよりモスクワの方が安いと聞かされて、また買い足してる人もいた。

 キャビアの次は、ご存知アンバー、琥珀のアクセサリーである。安いのか高いのか相場は分らないが、50ドルから100ドル位で模様の面白い立派なブローチが買える。私も我家の円満外交の一環として、家内とお嫁さんと娘に適当な価値のものを仕入れた。テントウ虫のような小さな虫が入っている面白いのがあった。しかし、先日のパーティーで当地在住の先輩が「日本人に人気の、昆虫を抱きこんだアンバーには、最近ニセモノが多いから要注意」と言っていたのを思い出し思い止まった。プラスチックの塊を買っても仕方がない。

 買物でロシア経済に若干貢献した後は、そぼ降る雨の中をノヴォデヴィッチ修道院の墓地を訪ねた。ここには昔クレムリンの出城があった。モスクワ川は市内を大きくS字形に蛇行しながら流れているが、ここは丁度そのSの字の頭の部分に位置し、三方をモスクワ川に囲まれて、クレムリンを外敵から守る城を築くには絶好の場所だった。16世紀、タタール軍の侵攻を防いだり、17世紀にポーランド・アルメニア軍を撃破出来たのも、ここの城壁のお蔭である。

 ここの墓地には多くの有名人が眠っていることで有名で、我々も雨の中を歩いて、何人かの有名人にご挨拶した。墓地は深い森の中にあるが、彫刻公園のような感じで、秋の夕暮どき静かに散策でもしたらさぞ素敵だろうと思う。

 名前は忘れたが粋な帽子の喜劇役者の墓には、花束がわんさと飾られていた。四角い大理石を寝かせたチエホフの墓には、誰が置いたのだろう、日本語の「桜の園」の文庫本が置かれ雨に打たれていた。シャリアピンは寝そべって雨空を仰いでいる。グロムイコのレリーフはちょっとシカメ面。ゴーゴリーやスタニフラフスキーも今日は雨に濡れている。

 残念ながらまた雨がひどくなってきた。修道院を引きあげ、我々はモスクワの名物、地下鉄の試乗に行くことにした。地下鉄なら雨は怖くない。墓地から出て直ぐ、小さな湖の岸辺を通った。そこはチャイコフスキーが或る日湖岸に憩っていて、あの「白鳥の湖」の曲想が閃いた湖だった。湖面は雨に煙り、白鳥はどこにも見えなかった。


地下鉄に乗ってみる

 ロシア外務省ビルの近く、3号線スモレンスカヤ駅から地下鉄に乗ることになった。モスクワの地下鉄は1930年に開業し、今では10系統を超える路線が縦横無尽に走っている。乗車券は均一料金で7ルーブル、約270円である。共産時代はもっとずっと安かった。始発は5時半、終電は夜中の1時半。終日乗っていても270円なので、ホームレスにも便利だそうだ。駅ビルのドアをくぐり、乗車カードを買い自動改札口に投げ入れると赤ランプが緑に変わってOK、キオスクやゲームマシーンの前を通ってエスカレーターへ。話には聞いていたが、物凄く長くてスピードのあるエスカレーターである。いったい地下何メートルまで降りて行くのか。奈落の底へ猛スピードで運ばれて行くようで恐ろしい。この深く頑丈な構造は、明らかに冷戦時代原爆シェルターを想定していたに違いない。しかし、今や地下鉄はテロに狙われる時代である。この深い構造が今度は逆に弱点にならないだろうか。巾の広いホールウエイと乗降ホームとの間も、がっしりとした壁柱で仕切られている。ホールウエイを見通す光景はまるで宮殿か美術館の廊下を思わせる。シックなデザインと色調、そして落着いた照明。これが地下鉄の駅とはちょっと信じられない。

 先ず次のアルバツカヤ駅まで一駅乗った。車両は極く普通の通勤電車スタイルだが清潔である。乗客の身なりもマナーもきちんとしている。アルバーツカヤ駅で降りて駅のデザインを鑑賞した後、また一駅乗って革命広場駅で降りた。この駅は彫刻の駅といわれるそうで、壁柱は機械工や農民など革命を称える労働者の像で飾られている。まるで地下の彫刻の森である。

 革命広場駅から2号線に乗換えるために通路を歩く。通路にサックスを奏でている男がいて、絵になるので思わずカメラを向けた。その途端、二人程の男性通行人から真剣な目付きとジェスチャーでたしなめられた。私はいわゆるストリート・ミュージシャンだと思ったので、気軽に写真を撮り、何がしかのチップでも置こうと思っていた。ところが、彼はストリート・ミュージシャンではなく、「物乞い」だったらしい。未だにはっきりしないのだが、多分「貧しい物乞いの写真など撮るのは可哀相だから止めて」という事だったようだ。芸術の国なのに、ロシアにはストリート・ミュージシャンの概念が未だ確立していないのだろうか。テアトラリナヤ駅に着いた。ボリショイ劇場、青年劇場など、この辺りは多くの劇場が集まる劇場の町である。駅の壁画にもそんな雰囲気が感じられる。テアトラリナヤ駅から2号線に乗りマヤコフスカヤ駅で降りた。

 この駅がまた洒落ていて、ホールウエイの白い天井が楕円形の額縁形に何ヵ所も繰り抜かれ、そこにはスキージャンパーが飛び降りてくる絵や、落下傘が降下してくる絵などが画かれている。見上げると、空から降りてくるものばかりが見える、なかなかユーモラスな天井である。

 ここで地下鉄試乗を終了し、昼食のため地上に出た。昼食場所は、先程地下鉄で通った劇場広場駅の近くのボリス・ゴドノフ・レストランである。

 16世紀末、リューリク王朝の末裔でイワン雷帝の孫に当るドミトリーを暗殺して皇帝の座に付いたのがボリス・ゴドノフである。

 派手なアーチ型の玄関を入ると、穴倉スタイルの店の内部は中央アジア風に塗られていて、剥げ頭に長い顎鬚のゴドノフ皇帝の立像が立っていた。料理で特に印象に残ったものはないが、予約したメニューの値段によって、ナプキンの種類にまで差をつける差別主義の店で、我々グループのテーブルには粗末な紙ナプキン、隣のロングテーブルは立派なリネンがセットしてある。ガイドのアンドレが気がついて抗議したが無駄。こういう経営理念は洒落にもならない。

 食後、ボリショイ劇場をバックにアリバイ写真を撮り、トヴェルスカヤ通りを通って空港に向かう。モスクワの目抜き通りともお別れである。インツーリストのホテルは取壊され、今はクリスチャン・ディオールの巨大な広告が敷地を囲んでいる。新しいホテルの建設が始るのだろうか。

 市庁舎の前には例の856年祭の式典ステージが完成している。市役所通りの「銀の滝」という日本レストランが今モスクワで大人気だとアンドレが云う。昨日もおとといも同じことを云っていた。彼は余程その店が気に入ってるらしい。プーシキンの銅像が雨に濡れて首をうなだれている。ロシアではプーシキンの人気は時代を超えて衰えることを知らない。マヤコフスキー広場を過ぎ、我々の泊まったパレスホテルを過ぎ、レニングラード大通りに差しかかると大渋滞に突入した。こんな調子で3時55分のペテルブルグ行に間に合うのだろうか。心配しても仕方が無い。結果はドライバーにお任せしてひと眠りしよう。


サンクト・ペテルブルグ到着

 アエロフロート783便に滑り込みセーフで間に合った。ベテランで仕事の手捌きも良く、教養もあったガイドのアンドレに、しっかりお礼を言って別れる。

 機材はロシアのツボレフ154型。1時間ちょっと飛んで夕方の5時半、700キロ北のサンクト・ペテルブルグ、プールコヴォ第一空港に無事着陸した。

 研修生なのか新入社員か、誠に頼り無さそうなアンナという若い女性が出迎えに出ていた。顔はニキビだらけだ。空港から市内までは20分程度らしい。沿道には野菜のビニールハウスが続いている。トマト、玉葱、キャベツなどだとアンナが説明した。ガイドもまだまだで虎の巻を見ながらである。モスコフスキー大通りを市内へ向かう。勝利広場を過ぎレーニンの銅像の前を通り、この町のランドマーク、イサック聖堂の前のアングロテーレ・ホテルに到着した。

 ロビーで部屋割りを待つ間、ボーイがウエルカム・ドリンクの冷えたウオッカを運んできた。早速、ロシア式の一気飲みスタイルで喉に放り込む。美味い。急に元気が出てきた。

前へ 次へ



会員の広場トップへ戻る


グアム日本人会ホームへ
ホームへ戻る



日本人会ニュース | グアム日本人会について | 年間活動・行事紹介 | 秋祭り | クラス・同好会・サークル活動紹介 |
日本人学校・補習授業校 | 図書室から | コラム・暮らしのページ | 総領事館からのお知らせ | 会員の広場 | リンク



Designed by Ko'Ko' Planning & Co.

Copyright © 2000-2008 JAPAN CLUB of GUAM, All Rights Reserved.