![]() |
![]() |
| 「ベトナムの光と影」 小林正典 |
| 3月/04 |
| 好奇心旺盛な連中6人で夕食は外へ出かけることにした。ホテルの目の前のスアンフォン湖の湖岸に、湖面に突き出るように建つ三角屋根のレストランが見える。気になるので早速行ってみると、THUY−TAという名のその店は生憎パーティーで貸切られていた。ボーイに尋ねるとテラスならOKと言うので、湖に突き出たテラスにテーブルを作ってもらう。湖面を渡ってくる風が意外に冷たい。高地なので夜になって急に気温が下がってきたらしい。ボーイも心得たものでメニューは温かい鍋料理と決った。先ず花野菜の炒め物、熱いスープでひと息ついた後は野菜たっぷりの鍋料理となった。春菊のような京菜のような、緑鮮やかな地場の高原野菜に加え、ニラ、ナス、豆腐、ビーフンなども鍋に入れて、疲れが来ていた胃袋にはもってこいの夕食となった。ドン・ダラットという地ワインの赤を飲んだが、名前の通り味は‘だらっと’していて少し頼りない。しかし、一本4ドルという値段では文句を言えた義理ではない。大いに飲み大いに新鮮野菜をパクついて、全員明日への英気を養うことが出来た。なお、お値段は飲物も含めて〆て32万ドン。チップを入れても一人当たりUS4ドルという安さである。ダラットは高原野菜たっぷりの鍋料理の盛んな土地柄だそうだが、ダラット良いとこ一度はおいでである。 11月27日(水)自由行動の一日 ホテルの主食堂ル・ラブレーで朝食。ホテル特製のヨーグルトとチョコレート・クリーム入りのクロワッサンが気に入った。その外のパンもどれを食べても美味しいのでついつい食べ過ぎてしまう。 昨夜、寝る前に読んだガイドブックに「ダラットの東7キロにあるチャイマット村まで観光電車が走っていて、ピクニック気分で行ってみるのも面白い」と書いてあった。今日は自由行動の日なので、私がそのピクニックを提案すると、協議一決、早速連れ立って出かけることになった。ダラット駅まで歩いたが、坂道を登るのがきつかったり、途中迷いそうになったりして意外に時間が掛り、9時半発の電車に滑り込みセーフで間に合った。赤い三角帽子を3ケ並べたような屋根に黄色い壁の駅舎は、可愛らしくて鉄道マニアが喜びそうだ。ホームには今は引退した古い機関車が飾られている。赤・青・白の3色に塗られた古い市電のような車両が、2両編成で気動車に引かれガタゴトと走りだした。旅馴れた様子のイタリア人夫婦とダラット大学の学生が同じ車両に乗り合わせた。若い車掌は自分はベトナム国鉄職員だと言って、やや得意げに身分証明書を見せてくれた。線路の両側に広がる段々畑の間を電車は縫うように走る。アーティチョーク、キャベツ、トマト、人参、じゃが芋などの畑が、棚田のように斜面に整然と並んでいる。25分程でチャイマット村に到着した。駅から坂道を5分程登ると仏教の寺があると車掌が言っていたので早速訪ねてみた。霊福寺というその寺は、日本のお寺のイメージとは全然違って、動物や鳥や龍の彫刻をごてごてと3階位の高さまで積み上げ、ド派手なオブジェのようなお寺である。本堂の後ろには中国風の五重の塔も立っている。本堂の右隣に巨大な龍の彫刻に囲まれた庭があるので覗いてみた。大きく開いた龍の口の中に高さ2m位の布袋様の像が鎮座している。布袋様は湯上りのように血色がよく艶やかで、自分の膝の前に色白美人の観音様を置いて、満ち足りたような満足気な顔をしている。いったい何を意味しているのか不思議な配置の像である。 諸行無常の死生観よりも旺盛な生命力を謳歌しているような、不思議なお寺でもう少し遊んでいたかった。しかし、残念ながら次の電車を逃すと帰りが遅くなるというので、がたがたの坂道を足早に駅まで下ることにする。坂道の両側には小店が並んでいてそれなりに活気がある。駅の傍の小店を少し冷やかした後、帰りの電車に乗り込んだ。来る時も一緒だったダラット大学の学生と車内で少し話をした。ダラット大学はベトナムを代表する有名国立大学の一つで競争率も高いらしい。美しいキャンパスは観光客も自由に散策出来るそうだ。彼は世界史を専攻していて将来は教職に着きたいと張り切っていた。ベトナム国鉄の正規職員である若い車掌さんも会話に加わってきたが、彼は日本の新幹線のことにかなり詳しく、ベトナムの列車は時間が掛り過ぎて困ると嘆いていた。ダラット駅に帰着。駅から町の方へ坂道を下る途中、スアンフォン湖の対岸のゴルフ場がよく見えた。ダラット・パレスホテル直営のベトナムを代表する18Hチャンピオン・コースだが、残念ながら今回はスケジュールが過密になり過ぎるのでプレーは諦めた。フレンチ・ヴィラや洒落たテラス・カフェなどが点在する山の手の道を、迂回しながら散策を楽しみホテルに戻った。途中、派手なトランペット・フラワーや、瓶を洗う柄長のブラシそっくりの形をしたブラシ・フラワーがたわわに咲いているのが目を引いた。本当に花の多い町である。 昼食は総支配人が差し入れてくれたフルーツと地元産のマルベリーワインで済ませることにする。赤ワインにバナナ、洋ナシ、タンロン、それに到着の日に買い過ぎてしまった柿という奇妙なランチだが、部屋でゆっくり食事するのは久しぶりだ。タンロンというのはピンク色の手留弾のような形をした果物で、切ってみると白い果肉に黒ゴマのような細かい種が散っている。どろんとした締りの無い味で、決して旨い果物ではないが形が面白い。 ワインの酔いで軽く昼寝をした後はホテル内をうろつく。ロビーでやっている写真展の作品の中に、朝霧に煙るダラットの風景を撮った素晴らしい一枚を見つけた。興奮して係りの女性ににじり寄ると、残念ながらそれは昨夜すでに売約済みになっていた。値段は160米ドルだった。諦めてホテルの庭に出てみる。手入れの行き届いた芝生に囲まれたバラ、紫陽花、サルビアの色取りどりの花壇が見事だった。 夕方からホテル最上階のマッサージ室で足のホット・パラフィン・マッサージを試みた。白装束の太めの美女が2人現れて、先ず白い板ヤスリで両足の踵や爪を磨き、オイル・マッサージを入念にやった後、熱いお湯に両足を浸けて温湯浴をしばらくやり、その後、暖めたパラフィンに膝から下を包んでベッドに10分間寝かされた。これぞ頭寒足熱、実に気持ちが良い。パラフィンを剥がしたあと、丹念に足を拭いてくれて終了。1時間コースで30米ドルは安い。だが、ガイドのテム君の月給がまだ80米ドルのこの国では決して安くはない。 自由行動の日も終り、ホテルのグリル「ル・カフェ・ド・ラ・ポステ(郵便局前のカフェ)」に全員集合し夕食となった。通りに面したこのグリルの向かいが丁度郵便局なのでこの名前が付いたそうだが、自然で解かり易くしかもお洒落なネーミングである。ネーミングはかくあるべきだ。食事中に皆で大笑いした話題があった。女性メンバーのひとりが、就寝時ベッドを優雅に包んでくれる天蓋に感激し、王女様になったような気分で天蓋のレース幕を引いた。すると、強く引っ張り過ぎたのか、天蓋が急にばさっとベッドの上に落下してきたのだそうだ。女性は落ちた天蓋の下で丁度虫取り網に伏せられた蝉のような格好になってしまったらしい。落下した天蓋から抜け出そうと独りでもがいている女性の姿を想像して、一同は大いに笑ったのである。「それが本当のテンガイ孤独だよ」なんて苦しい洒落を飛ばした人もいた。 部屋に戻ると、就寝用にきちっとターンダウンしたシーツの上には、今日もまた一本の真紅の薔薇とお天気カードがさりげなく置かれていた。一匹の雨蛙が物影からこちらを覗いているデザインのお天気カードには、明日の最低気温18度最高気温22度と書かれ、イラストで明日の空模様は「曇り」と告げている。雨蛙君にご挨拶してベッドにもぐり込んだ。 11月28日(木)最後の皇帝の館 ホテルのホームメイド・ヨーグルトに地元の蜂蜜を混ぜてゆっくりと味わった後、鮭と香菜の中国風朝粥を食べて朝食は終了。朝の散歩をかねてパレスUを見学に出かける。ホテルから歩いて15分、パレスUは松の生い茂った小高い丘の上にあった。ここはフランスの総督が夏の別荘として使っていた所だそうだが、今は何に使われているのだろう。部屋数12〜3室程度、デザインも平凡な2階建ての洋館は、あまり手入れもされないらしく外壁や窓はうらぶれた感じだった。ただ別荘への導入路に咲いていた大輪の紫陽花だけが美しかった。 チェックアウトを済ませて、ル・カフェ・ド・ラ・ポステでダラットで最後となる豪華フルコース・ランチを全員で取る。野菜春巻、柔らかい豚足入りのアーティチョーク・スープ、地元のほうれん草のオイスターソース炒めなどが美味しかった。折から調理長と新ランチメニューのチェックをしていた総支配人のアントワ・シロー氏とも、立ち話をしたり記念撮影をしたりしていっときを過ごした。彼は背が高くハンサムなフランス紳士である。 午後3時過ぎの飛行機でホーチミンに戻るが、空港への途中パレスVに立ち寄る。ここはグエン王朝最後の皇帝バオダイ帝が、別荘と言うより常々住居として住み、公務も司ったところだそうだ。パレスUと違ってこちらは建物も庭園も良く管理されている。土足厳禁なので、靴ごと足をそっくり包む備え付けの靴カバーを玄関で着けて内部を見学した。皇帝の住居としては質素なものだが、それでも部屋数は25室あり、王妃や子供たちの生活スペース、応接室、ダイニング、執務室、バンケット・ホールなどがこじんまりと纏まっている。あのフエ市にある広い王宮などと違い、ここは皇帝にとって丁度良い広さの生活空間だったのではないだろうか。2階の皇帝の居間のテラスから眺めると、手入れの行き届いたフランス式庭園が美しい。 1945年8月15日、日本が無条件降伏し、その数日後に進駐していた日本軍が武装解除されると、ハノイやフエでは民衆の武装蜂起が起こる。そして世情騒然の中でバオダイ帝は退位に追い込まれ、遂に13代続いたグエン王朝はその幕を閉じた。バオダイ帝は皇帝としての最後の夏もこのパレスVで過ごしていたのだろうか。もしそうだとすれば、フランスや日本に翻弄され続けた祖国や自分の運命を思い、さぞ複雑な気持ちでこの庭園を眺めたことだろう。 我々の自由行動日の間、ガイドのテムさんはダラットのどこかで休養していた筈だが、今日から再び姿を現した。実は彼自身の新婚旅行もダラットだったそうだ。ダラットの郊外には、「愛の谷」とか「ためいきの湖」などというハネムーナーにぴったりの名所があるのだが、彼はその辺をうろついて、センチメンタル・ジャーニーを楽しんでいたらしい。新婚旅行で泊ったホテルも覗いてきたとかで、何となく今日の彼はニヤケている。ダラット空港の待合室で、血圧を下げる効果で注目されているアーティチョーク茶をお土産に買ったりして時間をつぶし、午後3時40分発、VN465便で再び蒸し暑く騒々しいホーチミン市に戻った。 女性軍は何やかやと買い物に走ったり、留守中に仕立ててもらったアオザイを受取りに行ったり忙しい。市民劇場の傍のコンチネンタル・ホテルのロビーを集合場所に決めて、各自つかの間の自由時間を過ごす。これから全員で夕食を済ませたら、タンソニャット空港に直行して我々の旅も終る。ダラットへ行かずに先に帰国した人達には申し訳ないが、今回の旅行では高原の町、四季の町ダラットでの滞在が何と言ってもハイライトであった。戦争の幻影と貧しさを見ずに純粋に旅が楽しめたのも、ダラットだけだったような気がする。 サイゴンの最後の晩餐 夕暮のひととき街を走り抜けた驟雨が街路樹や路面の埃をぬぐい去り、気温も下がって街は一段と爽やかになった。これで騒々しいバイクの大群が消えてくれたらこの街は随分エレガントになるだろう。もっとも、バイクの数が減ってくれば、次は車が増えることになる。そうなれば他の東南アジアの大都会同様大渋滞が始まるだけかも知れない。女性軍の何人かはオーダーしておいた店からアオザイを受け取ってきたが、これからいよいよそのアオザイが着られる体形を目指してダイエットに励むのだそうだ。それでは何の為の注文仕立てか分らない。しばらく雨に濡れた歩道の散歩を楽しんだ後、集合場所のコンチネンタル・ホテルに戻り皆で夕食に出かけた。夕食の場所はハイバーチュン通りの西端にある「レトワール」というフレンチ・レストランである。最後の晩餐だから堂々とした構えの本格的レストランかと期待したが、着いたところは安普請の小さな店だった。だが、店内はほぼ満席で活気がある。ファイブスター調理長賞、世界優秀レストラン賞5年連続受賞、96年度アジア優秀シェフ賞など、各受賞のことが店内のあちこちの壁に仰々しく貼り出してある。普通このような受賞記録は、小さな額に入れて店の隅にさりげなく飾るものだ。ここのシェフは百種類のソースを使い分ける腕前とも書いてあるが、受賞のPRや自慢は程々にして、実際の料理で勝負すべきだろう。なかなか客集めの上手な店らしいが、こういうやり方には少々胡散臭さを感じる。だが、お腹も空いてることだし早速ディナーに入ることにした。我々に用意されたその晩のセットメニューは、野菜スープ、車えびのサラダ、舌平目の2色ソース添え、カラメルと果物のデザートなどであったが、残念ながら私の予感通り何の特色も工夫も無い料理であった。ここのシェフもパリで修行した人だそうだが、ベトナムにはフランス料理の伝統が深く根付いている筈である。今度ベトナムに来るチャンスがあったら、パリの裏通りにあるような小さくて小粋なフレンチ・レストランを探そう。最後の晩餐のメニューのいよいよ最後、ティーまたはコーヒーで何人かがティーを注文したが、紅茶ではなく国籍不明の出涸らしの液体が出てきて、ウエイトレスとのひと悶着もあった。 しかし、怪我も病気もせず無事に全旅程を終る安堵感も手伝い、今宵は大いに会話が弾んだ。そして、賑やかに乾杯を重ねた晩餐もやがてお開きとなり、我々は雨模様のグエンバンチョイ通りをタンソニァット空港に向かって急いだ。 (おわり) 小林正典 記 |
| 前へ |
