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「ベトナムの光と影」 小林正典
2月/04

 やがて、プールサイドで休養する将校たちにも荒れたムードが漂い始めた。明日の命も知れない将校達と、幸せの絶頂にある新婚カップルとが並んで甲羅を干しているプールサイド。そんな奇妙な光景が続いていた或る日、彼等とはしゃいでいた花嫁の様子が急におかしくなり病院に担ぎ込まれた。驚いたことに診断は覚せい剤による急性中毒だった。将校に勧められた飲物を何も知らずに花嫁が飲んでしまったことが後で分り、ちょっとした騒ぎになった。次第に危険度が増してきた北爆通勤の不安を、クスリで誤魔化していた将校も既にいたのだ。11名の優秀な将校を一度に失わないために、空軍はB-52のコンピューター化を急ぎ、「ベトナム通勤」もやがて7名編成に変ったが、それから数ヶ月程した1975年の4月30日にベトナム戦は終結し、ハノイの町だけでも8万トンの爆弾を投下した「北爆」も、遂にその幕を閉じた。(最近、北朝鮮を睨んで再びグアムに配備されているB-52は5名編成に変わっている。)

 北爆の将校たちがホテルから引き揚げていった後のグアム島もまた大変だった。サイゴンが陥落した75年4月末の1週間に、米軍管理のもとで11万人のベトナム人がグアムに向かった。飛行機、軍艦、漁船、ボロ船、あらゆる手段を使ってサイゴンを脱出させたのである。当時、人口11万だったグアムは僅か1週間で人口が倍に膨れ上がった。海軍基地の中のオロテ半島、あの昔のゼロ戦の飛行場跡地には、米本土から飛来した特殊部隊によって一昼夜のうちに巨大なテント村が出現したのを始め、島内のあちこちにテント村が生まれ、空いている建物は全て活用され、休業中だったタモン湾の東急ホテルも難民宿舎に化けてしまった。私もオロテ半島の巨大なテント村を視察したが、米軍の特殊部隊がベトナム人の食事に欠かせない調味料のニョクマムをちゃんと用意して、一度に1万人分の食事の炊出しをやり、トイレ・洗面所用のテントだけでも99ヶ所も設営したのには驚いた。いったい何処でいつあんなに大量のニョクマムを用意したのか。特殊部隊とはまさに特殊能力を備えた部隊であった。

 しばらくすると、香港辺りから中国人の貴金属ブローカーが島に入って来た。彼らは軍に渡りをつけてテント村をうろつき、ベトナム人達がサイゴンを脱出する際、最後に身につけてきた金貨や金箔や宝石類を安く買い漁った。

 まもなくベトナム人たちは米軍の大型輸送機に千名単位で乗せられて、順次アメリカ本土へ運ばれたが、ドル・キャッシュがないと駄目だと誰かに諭されたのか、手持ちの金や宝石を安く手放す人が多かった。或る日、ホテル協会のヘルプで炊出しの手伝いにオロテ村へ行くと、テントに寄りかかって夕陽を眺めていた老婆に呼び止められた。私を中国人のブローカーと間違えたのか、胴巻きから薄い金箔数枚と古い腕時計を出して買ってくれとせがむ。「ドルを持たずにアメリかに行っても大丈夫ですよ、売るのは止めなさい」と説得すると、「私はもうトシだから本当は‘寒い’アメリカには行きたくない。ここからサイゴンに帰りたい」と言って泣きだした。あの時の光景は今でも忘れられない。

 また、戦争末期には多数の負傷兵がグアムに運ばれ、アガット村に出来た巨大なテント式野戦病院には包帯を巻いた兵隊が溢れていた。アンダーソン基地から多数の棺が米本土へ運ばれるのを見送ったこともあった。―――――バスがホーチミン市に入ってくると、次第に騒々しくなったバイクやスクーターの音に30年前の回想も掻き消され、私の頭は現実に引き戻された。

 ブルー・ジンジャーというレストランで昼食となった。中庭を囲むように作られた洒落たレストランである。ベトナム料理にタイ料理をミックスしたメニューも垢抜けていた。この店のグラスワインの赤は、4ドル50セントと少々高かったが高いだけのことはあった。美味しいので名前を忘れてしまったが、今回の旅行中に飲んだワインの中では飛びぬけていた。センスの良いアオザイに身を包んだ従業員の動きも機敏で、細かいところに神経が行き届いた店であった。ランチの後は市内最大の市場、ベンタイン市場を覗いた。大きな建物の中は食料品から衣料、雑貨、何でもござれの物凄い熱気である。何でも値切って買うので見ていると買物にかなり時間がかかっている。人々の交渉は真剣そのものだ。館内に渦巻く熱気とベトナムの臭いに圧倒されて早々に逃げ出したが、市場の片隅でやっていたセロンマとかいうウブ毛取りサービスは珍しかった。

 ベトナム人は器用で細かい刺繍には伝統的技術が生きているというので、刺繍手芸品の専門店に立ち寄り、お土産にテーブルクロスやランチマットを買った。旅行中は極力荷物を増やしたくない。本音を言えば軽くてカサ張らず持ち運びが楽な物を買ったのである。ホテルに帰り必要最低限の洗濯を済ます。

 夕食はレロイ通りとグエン・フエ通りが交差する角に立つレックスホテルのロイヤルコートというレストランで、「宮廷料理と伝統舞踊」を楽しんだ。チキン・コンソメ、グレープフルーツ・サラダ、揚げ春巻、生春巻、小海老のパイ、海鮮鍋、豚の角煮などが主なメニューだが、宮廷料理らしい雅びさはなく、むしろ栄養たっぷりの料理であった。伝統音楽と舞踊のステージもそれなりに美女を揃えていたが、踊りその物はまだまだ未熟だった。食後、団員の内の半数が今夜の飛行機で日本に帰国する。居残り組はホテル玄関に整列し、出発するバスに向かって派手に投げキッスなどをして別れを惜しんだ。

 寝る前にプールサイドにあるマッサージ・サロンに行ってみたが、風邪を引いてゴホゴホ咳をしてる女の子ばかりで閉口した。彼女たちのウイルスを吸い込まないように、なるべく小さく息をしながら足だけを揉んでもらう。日本から持って来ていたウガイ薬で丹念にうがいをしてベッドにもぐり込んだ。明日からの残り3日間は、もう戦争のことは忘れて純粋に旅を楽しみたい。


11月26日(火)朝のタウン・ウオッチング

 ホテルのテニスコートから聞こえてくるポーンポーンというボールの音で目が覚めた。時計を見るとまだ朝の4時である。日中は暑すぎるので朝の涼しいうちのテニスらしい。もう一度ベッドにもぐり込み6時半に起床。今日は午後からダラットに移動するが、それまではベトナムに来てから初めての自由時間である。ホテルの前のトンドクタン通りへ朝の散歩に出る。道の向う側を流れているサイゴン川に沿って公園があるので、道路を渡ってそちらに行きたいのだが、バイクと車の波が切れないのでなかなか渡れない。旅行傷害保険は掛けているが、こんな所でヨソ者が馴れないことはするべきではないと思い渡るのは諦めた。通りを南へ向かってしばらく歩くと、ちょっとした街角の広場で男性8人程が輪になって、バドミントンの羽のような物を蹴鞠の要領で蹴りあっている。訊いてみると、それはクワオ・ランとかいうスポーツで、羽はバドミントンの羽より大きくてかなり重そうだった。歩道上にオバサンが座りこみ、新聞とタバコとジュース4~5本を入れた30センチ四方の箱を、自分の膝元にちょこんと置いて売っている。これぞまさに本物の‘小売業’である。

 何だろう、向こうの道路上にバイクの流れを縫ってのろのろと動く物体がある。近づいて見てショックを受けた。それはグシャグシャに歪曲した骨と皮だけの体を複雑に折り曲げ、引きずり、這いつくばり、いざりながら道路を渡ろうとしている物乞いの人だった。私はもうじっと見ていられず顔を背けてしまった。先日見学した戦争証跡博物館に、枯葉剤が原因で生まれた奇形児たちの写真が展示してあったが、あの奇形児が大人になった姿だった。もう今日からは戦争の事は忘れて、純粋に旅行を楽しもうと思ったが、戦争の傷痕を見ずにこの国を歩くことは無理のようだ。

 歩道に沿った石垣の上から小さなテントを張り出し、ハサミや鏡など商売道具は石垣の上に並べただけの、いとも簡単な床やがあった。いつでも移動して好きな所で開店出来るのは便利だが、固定客が出来たら移動ばかりはして居られない。どうするのだろう。トンドクタン通りから裏通りに折れてみる。市民の朝食、もやし入りウドンやフランスパンの屋台が出ている。屋台の脇に並んで日本の銭湯のイスのような小さなイスに座り、客はウドンをかっ込んだり、ハムと野菜を挟んだパンを頬ばったりしている。コーヒーやジュースを小さな屋台で売るオバサンもいる。見ているとコンデンス・ミルクをコップの底に3センチ程も入れ、その上に魔法瓶からコーヒーを注ぎ、それにまた砂糖をガバッと入れている。カフェスアと言うらしい。ベンチに腰掛けて新聞を読みながらその甘いコーヒーを美味そうに飲むサラリーマン風の男。氷をたっぷり入れたアイスコーヒーを注文する女性もいた。もう直ぐ朝のラッシュだ。もう少し歩きたいが、バイクの排気ガスに喉をやられないうちに散歩は切り上げた。


高原のリゾート・タウンへ

 午後からはホーチミンの北方にある高原の町ダラットに移動する。リジェンド・ホテルをチェックアウトして空港へ向かう。途中、オムニ・サイゴンホテルに立ち寄り、中華レストランのロータス・コートで昼食を取った。過去5日間、殆んど毎日ベトナム料理が続いたので、久しぶりの中華料理だった。エビ蒸し餃子、豚肉饅頭、カニ蒸し餃子、野菜の湯葉巻き揚げ、ココナッツミルク揚げ饅頭、干し肉入りちまき、海鮮炒飯福建風。ところが、このメニューからも分るように、料理はなかなか上質だが、どれもこれもお腹にズシンとくるものばかりで参ってしまった。普段ならこうゆう腹持ちの良い飲茶スタイルもいいが、旅行もすでに1週間、我々の胃袋はかなり疲れていて、重たい飲茶との相性は良くなかった。誰かが中華ならお粥が食べたいと呟いた。賛成。

 ベトナム航空464便ダラット行きは午後2時10分に離陸し、予定通り3時にはダラットに着いた。蒸暑く騒々しかったホーチミンに較べると、海抜1500mのここは空気が澄んでいて涼しい。バスの窓を開けると松林の丘陵を渡ってくる風が頬に心地良い。雰囲気は日本の軽井沢とよく似ている。まだ陽が高いので町への途中「プレンの滝」という公園に立ち寄り、袋田の滝のような滝を見物したり、祖谷のかずら橋のような釣橋を渡ったり、小動物園を見学したりしてピクニックを楽しむ。バスの駐車場に戻るとオバサン達が地元名産の大きな柿を売っていた。しつこく言い寄られてツイ沢山買ってしまった。

 町に入る。松林の丘に瀟洒な別荘が建ち並び、なるほどここはお洒落なリゾートタウンである。ひとめ見ただけで新婚旅行のメッカである理由が良く分った。先ず町の中心にあるダラット市場を覗いた。一年中気温が18度から23度と安定しているため花卉栽培が盛んのようだ。市場の入口には花屋が並び、いろんな切花で溢れんばかりだ。薔薇、フリージア、ポインセチア、サルビア、菊、あじさい、ミモザなど、日本流に言えば「四季」の花がいっぺんに咲き揃う不思議な土地らしい。薔薇と苺はダラットの名産だそうだが、バスの窓から実に奇妙な光景を見た。苺畑のとなりで柿が実っていて、そのまた隣では大輪の紫陽花とハイビスカスが並んで咲いていた。ここで俳句を詠むとしたら「季語」はどうなるのだろう。市場では乾燥アーティチョーク、コーヒー、ワイン、干柿を盛んに売っていたが、これらもまたダラットの特産品らしい。

 次は坂の上に聳えるダラット大教会を訪ねた。内部に入ると折からの夕日を受けてステンドグラスが輝いていた。いま夕方の5時半だが、下校する中学生が教会の前の坂道をぞろぞろと下って行く。何故かフランスパンをかじりながら歩いている生徒が多い。今ごろオヤツの時間だろうか。6時丁度、ダラットで最高クラスのソフィテル・ダラット・パレスにチェックインした。

 スアンフォン湖を見おろす小高い丘に立つこのホテルは部屋数43室。客室備え付けの資料からホテルの歴史を拾ってみると―――仏領インドシナ政府の迎賓館として1922年に開業。ホテル名は地元の山の名前にちなんで、ランビアン・パレスと命名された。かつてバオダイ帝もこのホテルに国賓を招いて数々の晩餐会を催している。1945年の3月から6月にかけて日本軍に接収されたこともあるが、第二次大戦後は再びフランス政府の迎賓館として運営され、1946年にはベトナム独立同盟会(ベトミン)とフランス政府との秘密会談がこのホテルで行われた。1954年フランスがディエンビエンフーの戦いで破れたためにホテルは荒廃したが、1958年にフランスが南ベトナム政府に譲渡し、その時に名前もダラット・パレスホテルに変った。1975年春のベトナム戦終結までは南ベトナム政府の迎賓館として運営されたが、共産党新政府になってからホテルの管理は地元ダラット市の観光局に移管され今日に到っているーーーー。

 要するに開業以来80年、このホテルは歴史の荒波の中で、荒廃と修復を繰り返して来たわけだが、1995年には全面改装が行われ、運営も迎賓館から一般客も泊れる高級ホテルとしての運営に変わったのだそうだ。

 ホテルの内部は天井が高く19世紀のヨーロッパの富豪のお屋敷にタイム・スリップした感じだ。2階に上がる階段も廊下も木製で、ペルシャ絨毯が敷かれている。部屋の家具も、電話機も、バスタブも、シャワー・ノズルも全てクラシック調で、ダブルベッドも優雅な天蓋つきである。ひとつだけ気になったのは、部屋に飾られた油絵である。私の部屋の絵は「ゴッホのひまわり」の模写だったが、これがゴッホも到底許せないくらいにヘタクソである。廊下や階段に架かっている絵も本物は一つも無さそうだ。後でフロントの女性に聞いて分ったが、かつて迎賓館時代には館内にゴヤ、ルノアール、セザンヌ、ゴッホなどの絵が贅沢に展示されていたが、長い戦乱の間に散逸してしまった。そこで現在ホテルの客室やパブリック・スペースに飾られている500点近い絵画は、全てベトナム人の若い画家たちによる泰西名画の模写なのだそうだ。新政府が往年のエレガントな雰囲気を取り戻そうとしてやったことだろうが、それにしては画家の腕前が少し足りなかったようである。やはり数は少なくても良いから、この高級クラシックホテルには是非とも本物を飾ってもらいたい。

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