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「ベトナムの光と影」 小林正典
12月/03

 夕食はホテルから歩いて行ける距離にあるシーフッドレストランに出かけた。
レストランといっても、風が吹いたら飛んでしまいそうな漁村のあばらやだが、サービス係の田舎娘たちが明るくてよく働く。例の如くバカの一つ覚えの333(バババ)ビールを注文すると、「そんなビールはありません」とばかり、全然冷えてないタイガービールを運んできた。小皿に盛った塩、胡椒、ライムの3点セットはベトナム語でムォイ・ティエウといい、シーフッドを食べる時に欠かせない調味料だが、彼女たちは素早くその3点セットを客の前に並べた。海辺の村だけあってエビも蟹も白身の魚もみな新鮮なのが嬉しかった。粗引きした落花生を黒飴で繋いだ田舎風のピーナッツ煎餅が店の隅のショーケースに出ている。試しに食べてみるとピーナッツの質が良く香ばしくて実に美味い。落花生は砂地の多いこの地の特産らしい。早速みんなでお土産に買い込んだ。
ホテルに戻って部屋のテレビを点けると、CNBC、BBC、フランス語、中国語と4つのチャンネルが映る。CNBCでは日本経済は当分回復しないだろうという番組を放映していた。先程ロビーで知り合ったホテル専属のマッサージ嬢に、寝る前にひと揉みしてもらおうかとも思ったが、明日もまた5時起床という猛烈スケジュールである。今宵は南支那海の波音を子守唄におとなしく眠ることにした。


11月23日(土)ハイヴァン峠からダナンへ

 何故か4時半に眼が覚めてしまった。出発の日を入れると今日でもう早起きも3日連続である。気になるのでじっと電話機を睨んでいたが、結局、5時に頼んでおいた筈のウエイクアップ・コールは鳴らなかった。けしからん。ホテルが忘れたらしい。又しても水に近いシャワーを浴びると、体がしゃきっとして人間らしくなった。庭を抜けて直ぐ眼の前の海岸を眺めに出てみたが、薄暗くて景色の輪郭もつかめない。せっかくいま脚光を浴びつつあるランコー・ビーチリゾートに来たのに、我々のように暗くなってから到着し、波の音だけ聞いて、朝暗いうちに出発するのでは、「ああ幻のランコービーチ」である。これから行くダナンも市内を抜けて空港へ直行するだけとのこと。添乗員の説明だと、フエのホテルが取れなかったため、仕方なくランコービーチ・ダナン経由でホーチミンに帰ることにしたら、このような旅程になってしまったとのことだ。それにしても、この「つらい夜逃げ」みたいな行程には一同びっくりであった。
やはり、旅行は旅程表の魅力ある地名だけ見て喜んでないで、事前に日毎のタイムテーブルまでじっくりチェックすべきである。実際に現地に来てアホな体験をして、一同なんだか旅行会社に騙されたような気分になってしまった。

 5時45分、朝食も摂らずにランコビーチ・リゾートを出発。これからダナンへの途中には交通の難所ハイヴァン峠がある。ベトナムの背骨、チュオンソン山脈が南支那海の海岸線まで迫って、壁のように南と北を遮断しているため、気候も人々の気性もこの峠を境に大きく変るのだそうだ。またハイヴァン峠は昔から軍事上の要衝で、峠にある古い砦は第2次大戦中には日本軍が使い、その後は南ベトナム政府軍が立てこもって戦った。朝食も摂らずに出発したので、ランチ・ボックスならぬブレックファースト・ボックスが車内で配られた。まるで避難民である。フランスパンとハムと大きなバナナ一本の朝食をエヴィアン水で流し込んでいるうち、車は全長20キロのハイヴァン峠を登りはじめた。海抜は496mしかないが、険しい岩山の道は今にも頭上から岩石が落ちてきそうで恐ろしい。しかし眺めは見事で、我々が見る事の出来なかった幻のランコービーチの美しい砂洲も眼下に見渡せた。カーブを曲がった瞬間、バスが急ブレーキを踏んだ。落下したばかりの大きな岩が道路を塞いでいる。何とか徐行して通り抜けたが、それからはもう景色より命の方が大事に思えてきた。現在、日本のゼネコンの間組によるトンネル工事が進んでいるそうだ。勿論、これも日本のODAである。完成すればフエ・ダナン間は大幅に時間が短縮される。経済効果としてはトンネルだろうが、観光なら命がけで峠を越える方が面白い。

 山を下りやがて車がダナンの郊外にさしかかると、ちょうど子供たちの朝の自転車通学の時間だった。紺色のズボンに白いシャツ、赤いネクタイの小・中学生が、三々五々どろんこ道を行く姿が可愛らしい。純白のアオザイの裾を風になびかせて颯爽と行くのは女子高校生だ。道路わきの小さな小屋でオバサンがフランスパンをカゴに詰めたり、軒先にうずたかく積み上げて売る姿が目に付く。あんな小さなほったて小屋でパンを焼いているのだろうか。まだ7時前だというのに市街はそろそろ通勤ラッシュに入ったらしく、急にバイクの数が増えてきた。ダナンはベトナム戦当時アメリカ軍の最大の基地が置かれた街だが、そんな気配はもうどこにも感じられない。人口100万人に近つきつつある中部ベトナム最大の経済都市の、忙しい一日がいま始まろうとしている。我々は7時きっかり無事ダナン空港にすべり込んだ。 空港の待合室には民芸品やCDの店に並んで、アパレルを売る店があった。男物のズボンもシャツも1000円程度だが品物は割にしっかりしていた。民芸品の店はフランス人ツーリストで混んでいたが、みな見るだけで買う人は少ない。 あの日産のゴーン社長にそっくりのオジサンが居て一瞬びっくりした。我々の仲間でベトナム手芸品の箸をお土産に買い込んだ人がいたが、箸は旅行中も荷物にならないしお土産には向いている。  厳重なパスポートチェックを2度受けてからやっと搭乗。ベトナム航空VN321便は定刻8時15分ホーチミンに向けて飛び立った。

 メコンデルタ地帯はホーチミン市の南に広がっているのだが、機が高度を下げるにつれて次第に平坦地が見えてきた。この辺りはメコンデルタの北の端に当るのだろうか。国土の殆んどが山岳地帯のベトナムだが、ホーチミンから南部一帯は山ひとつない平坦地である。ところどころにくねくねと曲がって流れる川筋が見える。アジアの穀倉地帯と言われるだけあって、水田のための人工の運河網も目に付く。遠くチベット高原に源流を発するメコンは、全長4500キロ、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジアを下って最後にベトナムに入る。ベトナム国内の流域は200キロと短いが、九つの河口に分かれて南シナ海に注ぐため広大な水田地帯が形成された。ベトナムの人々はメコンのことを「九龍」クーロンと呼んでいるそうだが、何世紀もの間、暴れる9匹の龍と戦いながら水田地帯を築いてきたのだろう。空から見ると道路を走る無数のバイクが、丁度アリの行列のように見えて面白い。感心しているうちに機はタンソンニャット國際空港に着陸した。


ホーチミン市内観光

 やれやれ強行軍でいささか疲れた。ホテルに帰ってバタンキューしたいところだが、これから夕方まで市内観光をするという。団体旅行では勝手は許されない。要するに旅行は体力、元気を出して行くしかない。先ず「戦争証跡博物館」を訪ねた。ここにはベトナム戦争で実際に使用された戦車や航空機、大砲・弾薬などの屋外展示をはじめ、当時の報道写真や記録パネルなどの展示館がある。こうゆう物は元来気持ちの良いものではないが、怖いもの見たさも手伝って見て歩く。米軍の撒いた枯葉剤に起因する奇形胎児の写真、ホーチミン市の沖に浮かぶ拷問の島・コンソン島で南ベトナム政府が行ったむごたらしい拷問や牢獄の復元館など、冷房もなく蒸暑い館内を回っていると胸が悪くなってきた。世界の従軍写真家の作品を集めた部屋「レクイエム」には、故沢田教一氏が1966年度のピューリッツアー賞に輝いた報道写真「安全への逃避」も飾られていた。赤子を抱えた母親が子供達と必死に河を渡る瞬間。何度見ても緊迫感に溢れた写真である。昼食はドンユー通りの中程にあるTAN NAM というちょっとお洒落な店で食べた。一階はオープンエアーで南国的だが暑い。明るいグリル風の二階に上がると冷房が効いていてホッとした。そろそろベトナム料理にも胃袋が飽きてきたが、ここの料理は比較的軽く上品な味で助かった。

 午後は先ず「統一会堂」見学。ここは南ベトナム政権時代の旧大統領官邸で、皮肉なことに旧政権時代には独立宮殿と呼ばれていたそうだ。現在は国賓を迎える時やコンベンションで使う以外は、一般に公開されている。部屋は沢山あるが決して豪華な建物ではない。唯一、各国の大使が国書を大統領に呈上したという部屋の、壁面一杯に描かれた漆画だけは見ごたえがあった。上階は大統領家族の生活空間となっており、大統領夫人のサロンや娯楽室、ミニ映画館もあった。最上階にはダンスホール、そして屋上にはヘリポートまであり、当時のハイ・ソサエティーの気だるく気ままな生活がうかがえる。
薄暗い地下に降りると雰囲気は一変した。そこはそっくり軍の秘密司令部である。暗号解読室、作戦司令室、アメリカ側と連絡を取り合った通信室、大統領の仮眠室、緊急放送設備などが狭い通路に沿って並んでいる。解放軍のサイゴン総攻撃が迫り来る頃には、大統領はこの地下司令部で夜毎さぞや恐怖に怯えたことだろう。そして、1975年4月30日、解放軍の戦車が宮殿の鉄柵を突破して突入した瞬間、長かったベトナム戦争は終った。庭の片隅には、そのとき2番目に突入した戦車が展示してあった。

 ホテルに戻る前に、ミス・アオヤイとかいう観光客用のお土産専門店に立ち寄った。ここはアオザイの注文仕立てが目玉のようで、40ドルから100ドル程度でお好みの生地で24時間以内に仕立ててくれる。その外、宝石、民芸品、菓子、酒類など何でもござれだ。サービスだと言って配ってくれた団扇には、赤や青のシールが貼ってあり、店員はそのシールの色でグループを識別していた。買物に興味の無い人には休憩所が用意され、コーヒーやお茶を出してくれる。女性軍が買物をする間、男性軍は殆んどコーヒーばかり飲んでいた。女性とは買物をしていると疲れなど吹っ飛んでしまう不思議な生物である。午後4時過ぎやっとリジェンド・ホテルへ戻った。やれやれ、たった1泊2日のフエ観光だったのに、長い逃亡生活から解放されたような気分である。


大吟醸と寿司ディナー

 夕食は私の知人のH氏が支配人を勤めるK-CAFモニいう寿司レストランをトライすることにし、この指たかれで集まった7~8人の仲間と出かけた。市民劇場裏手のハイバートン通りにあるK-CAFモワではタクシーで5分、料金は1ドルだった。サイゴンではタクシーが安く、しかも米ドルで利用できるので便利だ。以前グアムのホテルで働いていたH氏とは久しぶりの再会だった。地球は狭い。バンコックに住む私の娘婿も、サイゴン出張の折にはこの店をよく利用している。1階はカウンター中心のモダンな寿司屋、2階は板張り掘りごたつ式で、ちょっと小座敷ムードで落ち着ける。我々は2階に陣取ったが、数人の若いミニ・ドレスのウエイトレスが付き切りでサービスしてくれるのには驚いた。こんな贅沢な人の使い方をして大丈夫なのだろうか。ベトナム米で造ったベトナムらしい名前の吟醸酒「越の一」が美味い。そろそろベトナム料理に疲れた胃袋に、この晩の寿司・和食料理は有り難く、楽しい夕食会となった。

 ところで、その夜リーダー挌のウエイトレスがそっと私の耳元でささやいたセリフがある。そのセリフをここに書くのはちょっとまずいので伏せさせて貰うが、サイゴンの夜の観光の実態を知る上で大変参考になった。そして、何故か私も少なからず若返った。今夜は良く眠れるだろうか。


11月24日(日)メコンデルタ観光とディナークルーズ

 7時起床。猛烈に朝の早い日が続いた後なので、7時でも何だか随分ゆっくり寝たような気がする。TVを点けるとNHKの「日曜討論」が始まった。そうだ日本はもう朝の9時である。竹中大臣が早口で弁明しているが、何を言っているのか良く分らない。今日はホーチミンの南50キロ程にあるメコンデルタの町ミトーを観光する。この際日本経済のことはさて置いて、久々にゆっくり朝食を食べよう。ホテルの和食堂「本膳」に降りて行くと、丁度T夫妻と添乗員のY氏と一緒になった。皆さん睡眠充分のような顔をしている。お粥朝食を食べたが、鯵の干物の不味いのには参った。ベトナムは海岸線3260キロの海の国なのに、いったいこの鯵はどこをいつ泳いでいた奴なのだ。

 予定通り全員9時に集合。ミトーの町の観光に出発した。以下は、また今日から我々のガイドを務めることになったテムさんの、道中のおしゃべりの断片的記録である。

  • 先日サイゴンのマフィアの親分がやっと逮捕され、近日、裁判にかけられることになり市民は喜んでいる。賭博と麻薬と売春の3点セットでの逮捕です。
  • TVの値段は日本や米国製は27インチで500ドル、21インチで300ドル、韓国製だとそれより安く、ベトナム製はもっともっと安いが、すぐ壊れる。
  • ベトナム人は朝食は家で食べないで外で買って食べる人が多い。
      フランス・パンだけだと2000ドン(20円)
      フランス・パンに肉を挟むと3000ドン(30円)
      うどんや米麺(フォー)の朝食はパンより上等で5000ドン(50円)
      また、朝はコンデンス・ミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲む人も多い。
  • ベトナムは世界第2の米の輸出国です。ベトナム米は高く売れるので、それを売った金で安いタイ米を買って食べる農民も多いです。
  • 最近は交通事故が増えて、死者は1日平均35名、年間13000名近い。特にバイクとトラックの事故が多いが、これはバイクの免許証は少しお金を出せば買えるから(これワイロで買えるということか?)。
  • 私の月収は80万ドン、残業が多いと100万ドン(US67ドル)程度です。
    日本円で8000円です。一般の公務員や学校の先生の月収は私よりも少ないです。日系などの合弁企業の社員だと月1万円から1万5千円は貰えます。
  • ビールはスーパーで買えば一本6500ドン(60円)、町のレストランで飲めば15000ドン(120円)、ホテルのバーだと45000ドン(360円)です。
    私はいつも節約生活で、ビールはスーパーでしか買いません。
  • 最近アメリカで成功したビジネスマンの帰国組が増えて、ホーチミン市内の高級マンションが足りず、この2年間で値段は5倍に跳ね上がりました。


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