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「多彩な国・タイ探訪」 小林正典
11月/02

3月7日(木) チェンライ市内へ

 昨夜は孔雀のクーちゃんの夜鳴き、木の実がぽっとんコロコロと屋根に落ちる音、金網の窓から吹き込む風や雨におどかされて余り安眠出来なかった。自然主義の宿も程度問題である。部屋の壁に白い貼り紙がある。「このホテルは天然の素材のみで作られているため、遮音性は完全ではありません」。誠にその通りである。このホテルには3泊予約してあるが、周辺をレンターカーで動き回る自信もないし、孔雀のクーちゃんのイヤーンを聞きながら3日間もテラスで瞑想にふけっていても、こちらの方がイヤーンになってしまう。この旅に出る前にE-メールを送り「タイの田舎をのんびり歩きたい」と伝えたため、娘夫婦はこのホテルならと思い予約してくれた。

 しかし、一晩、擬似山岳民族になってみて気がついた。高層ビル群と渋滞と排気ガスのバンコックで暮らしている人にとっては、こうゆうリゾートに泊り、大自然の中に身を置き、自分たちの車で自由に動きまわることが、最高の息抜きになる。しかし、国外からやって来たシニアー・カップルの私たちが求める「タイの田舎」とは、決して“山ごもり”ではなく、チェンライのような歴史の街をぶらつき、もっとその土地の人間臭いものに触れることなのだ。

 気がついたら“旅は急げ”である。私は持っていたガイドブックで、チェンライの街中のホテルの中から第6勘で一軒を選び出し、電話で予約した。フロントの人達は一晩で切り上げる私たちのことを非常に残念がり、何か問題でもと尋ねてきた。相手を傷つけないよう「チェンライに住む友人宅に急に招待されたのでーーー」と適当にウソをついた。

 ポーク団子入りの中華風朝粥とベーコン、パンケーキで朝食をすませ、タクシーを呼んでもらい、プーチャイサイ・リゾートの山道を下った。「イヤーン」と一晩中泣いてくれた孔雀のクーちゃんともお別れである。


チェンライ市内散歩

 チェックインしたホテルは、チェンライの街の銀座通りに面して立つウイアン・インで、かってはチェンライのNo.1ホテルと言われた伝統あるホテルである。最近、改装をすませたらしく古さは感じさせない。堂々とした落着きがある。チェンライは小さな街なので、ここからなら歩いてどこへでも行けそうだ。 身軽になって早速市中散歩に出かけた。この町は13世紀チェンセーン王国の後期に生まれ、やがてランナー王朝の首都として栄えた。しかし、その後は長い間、歴史の影に埋もれた静かな田舎町だった。だが、ミヤンマーやラオスに近いことから、メコン河流域の開発や交易が盛んになるにつれて、最近再び脚光を浴び始めている。街の北側を流れるコック川の辺りまで散歩するつもりで歩いて行くと、大きなガラス瓶を並べた漬物屋が目についた。果物や野菜の漬物ビンが30種類ほど整然と並び、若奥さんらしい人が店番をしている。家内がマンゴーの酢漬けを少し買った。暑さ負けの予防には良さそうだ。食べてみると、おいしいけれど少々甘すぎる。タイの人は何にでも砂糖をたっぷり使うが、どうしてだろう。甘さと辛さの両極が好みのようで、程よい中間というのはあまりお目にかからない。

 タイ観光局の支所の前を通ったので、町の地図を貰いに入ってみる。ごま塩頭の事務員がひとりカウンターに座っている。「どこにお泊りですか」と英語で尋ねられたので、ウイアン・インと答えると、「あそこはナイト・マーケットにも近いし、郊外のホテルよりずっと便利だよ」と急に機嫌が良くなった。余り上等でない地図をもらったついでに、「この辺でどこかおいしいレストランは?」と尋ねると、「この観光局の隣だね」と答えはいとも簡単である。

 早速観光局ご用達の、となりの大衆食堂に行ってみる。お昼時で小さな店は一杯である。ウエイトレスは英語のメニューを奥から持ってきて、片言の英語で料理の説明をしてくれたり、忙しい時間なのに親切である。バーミーヘンというタイ風中華そばとカオソーイ(ここでは汁なしのカレー焼きそば)を食べた。味もよかったが、ボリュームが日本人に丁度良い。一般にタイの人達は一度に沢山食べず、必要に応じて何度でも食べる習慣があるので、一度の分量はそう多くない。コック川の流域には特に見るところも無いので、山岳民族博物館へ行くことにする。大きな病院の前にソンテウ(乗合TAXI)が5台ほど客待ちしていたので乗ろうとすると、博物館の場所がわからない言う。そこで観光局からもらった地図で場所を指摘すると、しぶしぶ走り出した。途中、青年が2人乗ってきてそれぞれ10バーツずつ払って途中で降りていった。山岳民族博物館は大学の研究室のような地味な展示だったが、片隅で質の良い手芸品を売っていたので、お土産を少し買い込んだ。

 博物館ビルの1階の“キャベージズ&コンドームス”というレストランでコーヒーを飲む。この妙な名前の店は元タイの副首相ミーチャイ氏が始めた事業で、利益の大半はエイズ予防運動に寄付されている。店の名前もコンドーム使用を啓蒙するためのものだろう。店の壁には「ここで食事をしても、妊娠しないという保証はありません」という箴言が書いてあり、なかなかユーモラスだが、柱に貼られたポスターの方は、コンドームの図柄の上に大きくSAFE SEXと書いたそのものずばり。タイのエイズ問題が“待ったなし”であることを物語っている。国境なき医師団なども現在タイのエイズ問題では苦戦している。

 夕方、一陣の風と共に猛烈な雷雨がやってきた。少し埃っぽかった街もこれで洗われるだろう。ホテルの部屋の窓から雨に打たれる古都の風情を眺めるのも悪くない。しばらくして雷は鳴り止んだが、雨はまだ降っている。夕食はホテル1階のダイニングでタイ式すき焼きと春雨激辛サラダ(ヤム・ウンセン)を食べる。タイ人のビジネスマンの宿泊も多いこのホテルだが、ここのヤム・ウンセンは辛い、そしてうまい。香ばしい干しえびとバクチー(香菜)に加え、その他数種のスパイスも混じり合って、さわやかに食欲を刺激する(その後いろんな場所で、バカの一つ覚えみたいにヤム・ウンセンを注文してみたが、このホテルの右に出るものは無かった)。しばらくすると、後口の辛さが次第に効いてきて、食べ終わる頃にはもう「ハーハー、フーフー」汗だくであった。ウエイターがくすくす笑っていた。


ナイト マーケット

 ホテルからほんの1分のところに名物のナイト・マーケットがあるのは嬉しかった。食後の散歩がてら出かけてみる。先程の雷雨の後なので空気が澄んで気持ちがよい。サッカーグラウンドくらいの広場を囲んで夜店が並び、更にその内側には、食べ物屋の屋台の列が広場の縁ぎりぎりにずらっと出ている。広場の中はびっしりとテーブルが置かれ、芝居小屋風のステージもあって、人びとは食事をしながらステージのコミックショーを楽しんでいる。夜店を冷やかす人と飲食する人とは、うまくエリア分けされているが、歩く人と食べる人が溶け合って広場の賑わいを盛り上げている。歩く人と食べる人のエリアが離れていたチェンマイのナイト・バザールに較べ、このチェンライのナイト・マーケットの方がずっと魅力がある。それに、少し田舎っぽくて明る過ぎない照明が、“祭りの夜”のような人恋しいムードを醸し出している。

 衣料品、玩具、Tシャツ、木彫品、陶器、人形、、CD、下着、カツラなど、何でもござれである。家内が少数民俗の伝統柄の洋服を2,3点買った。屋台でサソリの唐揚げを売っていてびっくり。揚げれば毒は大丈夫なのだろうか?。

 歩き回って喉が渇いた。ホテルに戻ってバーでビールを飲む。折から3人の女性新人歌手が出演中で、持ち歌を披露していたが、どの娘も変にべたべたとコケテイシュなだけで歌はうまくない。唄い終わるたびに盛大に拍手するのは各シンガーの家族と友人らしい。ほかの客はピクリとも動かない。次第に客の数が減り始めた。ステージの近くにいた我々もなんだか居心地が悪くなりバーから脱出した。

 まだ寝るには少し早すぎる。結局またナイト・マーケットの喧騒の中へ戻ってしまった。夜が更けても客足は落ちていない。元気のいいおばさんが細かい刺繍をほどこしたベッド・スプレッドやテーブルクロスを売っている。大きな布地を次々に広げながら、口上も鋭く客に迫っている。映画の寅さん並みである。年季が入っているのだろう、客を引きつけて売りさばいて行くタイミングが見事だ。見ていて飽きない。そのうち家内も乗せられてベッド・スプレッドを1枚買ってしまった。半分に負けてくれた値段はなんと700バーツ(2100円)という安さである。

 ステージの民俗音楽や踊りを楽しんだ後、そろそろ帰ろうと思いマーケットの出口まで来ると、道端に机を出して品の良い中年女性と少年が何かを売っている。様子からしてふたりは親子のようだ。見ると、繊細な筆致で母親がペン画を描いている。タイ特有の水辺の風景だ。テーブルの上の数枚の絵もすべて母親の作品らしい。母親が画き、少年が売るといういささかお涙頂戴商法の疑いもあるが、ふたりとも清潔で感じがいい。絵も観光絵ハガキ的な通俗なものでなく、個性も品格もあるペン画である。彼女がそのとき描いていた1枚が気に入ったので、完成させるまで待ってその絵を買った。もう眠そうな顔の少年が「200バーツです」と英語で言った。安いではないか。いくらなんでもここは値切る場面ではない。立派な紙筒に入れてくれたその絵をもらって帰ろうとすると、母親が「ちょっと待って」と言って私から絵を取り上げた。サインを入れるのを忘れたのだった。彼女は右下に丁寧にサインを書き入れて絵を完成させた。それは、彼女の画家としてのプライドだったのだろう。たとえ親子のお涙商法に引っかかったのだとしても、この僅か600円のペン画、「水辺の風景」は、チェンライの夜のいい思い出である。


3月8日(金) ゴールデン・トライアングル

 今日はゴールデン・トライアングル観光に出かけるので早めに朝食を済ます。ロビーや食堂はこれから出発するヨーロッパの観光客でごった返している。玄関には迎えのバスが次々に入ってくる。昨日、ホテルの隣にある旅行エイジェントに頼んでおいたガイドさんが9時きっかりに迎えにきた。名前はデイさんという26歳の女性。小柄でまだ学生のような感じの可愛い娘さんだ。彼女は日本語ガイドではなく英語ガイドである。チェンライではまだ日本語ガイドの数は極く限られている。ドライバーのルッツ君は24歳の体のがっしりした青年である。

 ちなみにトヨタのVANを貸切り、専属ガイドと一流ホテルでのランチ付きで、今日の日帰りツアーは1名1,200バーツ(3600円)である。

 チェンライを出て北へ60km走り、チェンセーンの町に着いた。町の東側にはすでにメコン河が見える。チェンセーンは11世紀にはチェンセーン王国の都として栄えた町である。その後、チェンライを首都として栄えたランナー・タイ王国にこの地は包含されたり、ビルマに侵略されたり、ラマ5世の時代には再びタイに戻ったり、群雄割拠・波乱万丈のタイの歴史の中でも、このチェンセーンは地理的要素も絡んで権力の変遷の激しかったところである。

 崩れかけた古い城壁のかたわらに巨大な仏塔が立っている。チェデイ・ルアンという寺の塔で高さは58mもあるそうだ。デイさんの説明によると、13世紀ランナー・タイ王国時代のものだそうだ。金ピカでなく渋みのある立派な塔である。


バンブーステイック・ライス

 ルアン寺の脇で面白いものを見つけた。おじさんが二つに切ったドラム缶の中で太い薪を燃やし、40cmほどに切った青竹約20本をその火の上で炙り焼きしている。青竹の切り口には茶色い綿状のものが詰められている。よく見るとそれは椰子の実から採った細い繊維を丸めたもので、その繊維の隙間から湯気が上がっている。節目の長い竹筒の中では何かが煮えているらしい。

 ガイドのデイさんの説明だと、先ず竹筒にもち米を入れ、好みで豆を少し加え、砂糖とココナッツ・ミルクと水を加えて炊くのだそうだ。「ハラン」といってタイ人の大好物のスナックだとのこと。なるほど、つまり竹筒で炊くタイ式の甘いオコワである。炊き上がったら、皮を剥く要領で青竹の表皮をナタで全てそぎ落とし、白いきれいな「ハラン・スナック棒」の出来上がりである。皮を剥く係りの小母さんもちゃんとおじさんの脇に控えていた。―――チェンライへ来るドライブの途上、道路わきでおばさんたちが売っていたあの白い棒の謎がやっと解けた。
おばさん達は街道筋でこのスナックを売っていたのだ。

 デイさんが早速1本買ってきた。白く柔らかい竹筒をバナナの皮をむくように静かにはがすと、竹筒の内側の薄皮に包まった棒状のオコワが出てきた。適当にちぎって薄皮ごと食べると、手にべとつかず、青竹の香りも一緒に味わえて誠に具合がいい。米の国タイの人の素晴らしい知恵に脱帽である。デイさんは英語でお客様に説明するときは、バンブー・ステイック・ライスと言うのだそうだ。


メコン河ボートライド

 チェンセーンを出て10分程メコン河沿いに走ると、ソップ・ルアク村に着いた。ここがメコンとルアク、二つの川の合流地点で、ゴールデン・トライアングルと呼ばれる地域である。ここは中国系シャン族のクンサーが君臨してアヘンを生産し密売している土地として世界的に有名になった。しかし、実際の麻薬の生産・製造はミヤンマーの奥地で行われているので、ここで何かが見られるわけではない。

 プラタート・プーカオ寺の近くの丘の展望台に登ってみた。ここが三つの国を眺めるベストプレイスである。北を向いて立つと、正面にメコンの堂々たる流れが見え、左手からルアク川がメコンに合流している。ルアクの左側の土地がタイで、ルアクとメコンに挟まれている台地がミヤンマーである。そして、メコンの右側の岸がラオスとなる。メコンの流れの中程に広大な川中島があるが、あれはどこの国に属するのだろう?私のこの質問には、デイさんも首をひねっていた。これから雨季に入るとメコンは相当水かさを増すので、その時季にはきっとあの中州は消えてしまうのだと思う。そうでないと、川中島の合戦?が起こり兼ねない。なにしろこの辺は昔から争いの多い地域である。

 みやげ物屋の集落に囲まれて「アヘンの家」というのがあった。アヘンを吸う道具類や、生産地、精製工場などの写真、周辺の少数民俗の生活風景などを展示している。首長(くびなが)族の少女が高さ25cm重さ4kgもある首輪をはめて笑っている写真は、この世のものとは思えない。元来は虎に噛み殺されないために生まれた風習だそうだが、まるでこれではキリン人間である。

 メコン河ボート・ライドの時間なので川岸に下りて行く。薄曇りだった空から雨がポツポツ落ちてきて、急に気温も下がってきた。細長くて殆んど平底船に近い頼りない貸切りボートだが、競艇もかくやと思うほどの猛スピードで雨のメコンをすっ飛ばす。用心に持参した厚手のブルゾンを着て、その上にライフジャケットを装着していても、それでも震えるほど寒い。家内もデイさんも体を固くして頑張っている。やはりメコンの川幅は広く、見えていてもなかなか目的地点には着かない。やっとミヤンマーの岸辺に近ついて、赤い屋根に白い壁の巨大なカジノホテルを船の上から眺める。中国人の客が多いそうだが、何か薄気味悪い幻の城のようだ。周囲に何もない川岸にカジノだけがぽつんと立っているからか、それとも折からの悪天候のセイだろうか。

 次はミヤンマーの対岸のラオスに向かってボートは走った。ドンサオという岸辺の村が目的地である。そこは、20バーツ払えばパスポート検査なしで臨時入国が許される一種の観光村で、村の入口には大きなラオスの国旗が飾られ、草葺屋根のみやげ物屋が10数軒店開きしている。買いたいような珍しいものは何もない。ラオスとベトナムの切手だけを少し買った。それにしても、村で遊んでいる子供たちの衣服の貧しいこと。最近メコンを渡ってタイに密入国し、風俗業で身を持崩すラオス女性が多いそうだが、生活の貧しさが想像される。

 寒さで震えたボートライドも終わり、高級感溢れる高台のホテル、インペリアル・リゾートのテラス・レストランで昼食をとる。幸いまた顔を出した太陽にメコンの水が輝いている。この大河のおかげで、タイ北部国境地帯は交易立地としては本来恵まれているのだが、イデオロギーの対立など時代の波に翻弄され続けてきた。だが、中国が変り、ラオスやミヤンマーも動き出して、今このエリアは歴史の表舞台に再び登場しようとしている。チェンライやチェンセーンが素朴な田舎町で無くなる日も近いような気がする。

 帰りのハイウエイでは、タイ交通警察が麻薬摘発のための大ネズミ捕り作戦を展開していた。ドライバーのルッツ君の話だと、先週の摘発では、野菜を繰りぬいて麻薬を詰め、農民をよそおって耕運機でのろのろ走って来たギャングが捕まったらしい。

 チェンライの町が近くなるにつれ急に交通量が増えてきた。マナーの悪い車が強引に我々の前に割り込もうとして、もう少しで接触するところだった。おとなしいルッツ君も同じことを2回やられるに及んで遂に頭に来た。赤信号で停車すると、さっと飛び降りていって相手の運転手に窓を開けさせ、怒鳴りつけている。こちらは信号が青に変るのではとハラハラしたが、絶妙のタイミングで戻ってくると、ニヤリと笑ってハンドルを握りなおした。優しい顔をしているが、彼氏なかなかヤルではないか。

 無事にホテルの帰着し、可愛いデイさんともお別れである。大学でイギリス人から英語を習ったという彼女の、タイ風キングズ・イングリッシュはきれいで分かり易かった。彼女が面白いことを言っていた。彼女に限らずタイの人は、細長いタイ米と違って、粒が丸くてねばりのある日本の米が大好きなのだそうだ。しかし、「値段が高いのでとても普段は食べられません」とのこと。あの細長いタイ米がタイ人の好みかと思ったが、必ずしもそうではないらしい。


マリオネットとガマ蛙

 夕食は「999」というレストランに出かけた。実は娘たち家族のご推奨の店である。昨年暮に来たとき気に入ったらしい。フロントで場所を調べ、歩いて行くとすぐに分かった。小さな町はそぞろ歩きで用が足りるところが有難い。
「999」は気取らない町の洋食屋といった雰囲気で、店の奥の中庭にもテーブルが出ていたのでそこに陣取った。大木の下で照明が少し暗いが、やはり戸外の方がよい。例によって馬鹿の一つ覚えのヤム・ウンセンと、豆腐料理、豚肉のてんぷら?などを注文。イタリアンワインで流し込む。ヌーベル・タイ・クージン的な料理のためかお客は若い人が多い。店内で演奏しているギターの弾き語りが、ちょうどBGMのように中庭に流れてきて、料理よりその方が味がよかった。ヤム・ウンセンも昨夜のウイアン・インの方が数段上である。

 さて夕食の後は、昨夜に引き続きまるで吹き寄せられるようにナイト・マーケットに直行した。タイ名物のオート三輪車「トクトク」に乗ってヨーロッパの観光客が次々にやってくる。郊外のデラックスホテルに泊まっている人達であろう。ドライバーに払う料金を値切っている人もいる。何でも値切れば良いというものでもあるまいが、みな老人のくせにしっかりしている。

 週末のためか昨日より人出が多いようだ。艶やかな色彩の踊り子のマリオネット人形が露店の柱に吊るされてこちらを見ている。背丈30cmくらいの人形はミヤンマーの手芸品らしいが、伝統舞踊の衣装ととぼけた表情が面白い。家内が早速そのマリオネットを2体買った。値段は忘れたがとにかくびっくりするほど安かった。木彫りの民芸品を並べている前を通ると、ケロケロケロと蛙が鳴いている。いくらチェンライが田舎でも露店で蛙が鳴く筈はない。よく見ると、木彫りのガマ蛙の背中をオバサンが小さな棒でこすっている。蛙の背中のごつごつした瘤に棒が当ると、空洞になっている胴体に響いて、ケロケロ、コロコロと鳴くのである。蛙を鳴かせない時は、棒は胴体に刺し込んで仕舞えるようになっている。ユーモラスで実に面白い。私は1匹100バーツ(300円)のガマ蛙を孫娘へのお土産に買った。


3月9日(土) 再びバンコックへ

 朝早くバンコックの娘から電話が来た。運転手のデンさんと空港へ迎えに出ると言う。空港でタクシーを拾うから迎えはいらないと告げたが、実は、デンさんの勉強のために空港に行きたいので、是非迎えに行かしてくれと言う。「それではお言葉に甘えて」ということになった。いつも街中ばかり運転しているデンさんに、たまに空港に行ってもらうと、国内線と国際線、出発と到着を間違えたりしてトラブルことが多い。彼にもう少し空港に強くなってもらう為に、是非迎えに行かしてくれと云うことである。

 朝食はタイ式おじやカオ・トムにした。チキンやポークが入っていて、あっさり味で朝食にはぴったりである。旅行中、胃腸を疲れさせずスタミナを保つには、朝食に中国粥、ポーリッジ、雑炊、おじやなどの類が最適である。

 近くのテーブルでネクタイをしたタイの紳士が3人でコーヒーを飲んでいたが、ブラウンシュガーの入れ方が物凄いのでびっくり。あれではコーヒーがお汁粉みたいになってしまう。そういえばガイドのデイさんが言っていた。タイ人は既に甘いマンゴの漬物にも、ちまき風のスナックにも、そして麺類にまでグラニュー糖をかけて食べるのだそうだ。それでも糖分過剰にならない体質なのだろうか?。誠にうらやましい。

 8時半すぎチェックアウト。小型リムジンバスで空港へ。車内に(この空港リムジンはチェンライ・ホテル協会の運営です)という標示が貼ってある。加盟ホテルの共同運航なのだろう。料金は安いしなかなか合理的だ。

 1時間半のフライトでバンコック空港に無事着陸。胸ハンドル・スタイルのデンさんは今日も空港に入ってから多少うろうろしたらしいが、実直な笑顔で出迎えてくれた。人口700万、再び見る渋滞、排気ガス、高層ビル群、そしてグルメと喧騒の街バンコックはやはり大都会である。ナライパンという雑貨屋の集合体みたいなビルに立ち寄り、お土産品を物色する。ここはデパートで買うより相当安いらしい。いろんな香りのインセンス線香は、花とフルーツと仏教の国タイのイメージにも合致するお土産なので相当量を買い入れた。インセンスは軽くてカサ張らないのが有難い。

 ゆっくり昼寝をしてノーザン・タイ旅行の疲れも抜けた。Bさんの運転で皆で夜の街へ夕食に出かける。行先は27年の歴史を誇る「珍平楼」というレストラン。ガイヤン(ローストチキン)が安くて美味いので有名な店である。日本の古い旅館を連想させるような店構えは老舗の貫禄を感じさせる。店内はほぼ満席だった。年輩の白いコートのボーイ長は、きちっとしていて動きに無駄がない。年季が入っている。私が紹興酒を頼むと、わざわざ奥のバーまで案内してくれて、私の気に入ったものを選ばしてくれた。さりげなく親切なのである。ローストチキンは柔らかくて、香ばしくて、あまり脂ぎってなくて美味しかった。焼き方にも老舗の秘伝があるのだろうが、秋田の比内鳥ではないが、まず素材そのものの鶏の‘育ち’が違うのかも知れない。

 マンションに帰って、マイを中心に一家で「人生ゲーム」を楽しむ。大資産家になったり、借金だらけになって遂に破産したり、浮き沈みの激しいゲームである。ひとり娘のマイは、いつもどこかに人淋しさがあって、こうして大勢でゲームをやっている時などは、生き生きして本当に楽しそうだ。結局、今夜はマイの独り勝ちだった。マイよ!これからのお前の本当の人生ゲームも、頑張るんだぞ。


3月10日(日) バンコックの日曜日

ジム・トムプソンの家

 今日は一日バンコック市内で遊ぼう。かってタイシルク王と呼ばれたアメリカ人の富豪ジム・トムプソンが、その晩年を暮らした家が今は博物館になって一般に公開されている。日本人ツーリストのために、娘が時折りそこのボランテイアー・ガイドをやっていることもあり、娘を私設ガイドにして訪ねてみる。

 運転手のデンさんは今日も胸ハンドル・直角姿勢で真剣に運転してくれている。ジム・トムプソンの家はBTSシーロム線のナショナルスタジアムに程近く、サンセップ運河沿いに、お屋敷然として静かに立っていた。

 玄関口の青い水瓶には小さなピンクの蓮の花が一輪咲いている。蓮はタイでは幸運を呼ぶ花だそうだ。チーク材で出来た6棟の中部タイ様式の家は、元来は建築家だった彼がアユタヤ近辺で収集し、分解して船でここに運び、彼流の構想で組立て直し、1959年に完成したものである。腐食防止のためベンガラを塗っているので、建物の壁は全て渋いベンガラ色をしている。CIAの前身、米軍諜報部の一員として太平洋戦争末期にタイにやって来た彼は、タイシルクと出会い、戦後もタイに残って事業化を進め、やがて彼が衣装監修をした映画「王様と私」などによってタイシルクは世界的に有名になっていく。一方、従弟から莫大な遺産を相続したためもともと億万長者であった彼は、無知や無関心から朽ち果てて行く古い建物や壁画、公的な博物館の数や資金の不足から海外に散逸する多くの文化遺産に心を痛め、保護・保存を目的に、自分の資力の許す限り蒐集に努めた。

 従って、家の内部には国宝級の絵画、クメール仏像、骨董家具、陶磁器などが溢れ、中国の質屋の入口ドアを寝室とリビングの間仕切りに使ったり、いささか西洋人の東洋趣味的な面もあるが、全体としては建物も所蔵品の中味も非常に内容の濃い博物館であり美術館となっている。

 彼は1967年に休暇で出かけたマレーシアのキャメロン高原の森の中で消えてしまったが、その失踪の真相は未だに謎のままである。タイやマレーシアには精霊や悪霊の伝説がたくさんあるが、彼も何かの霊によって、自分が愛したタイランドの何処かへ、永遠に連れ去られたのかも知れない。

 17世紀アユタヤ王朝時代の美しいレンガを敷きつめたテラス。そして、それに続く庭園は、一見ジャングルを思わせるくらい熱帯植物が生い茂っているが、よく見ると細かい所にさりげなく手入れが施されている。一本の合歓の大木がこの庭のシンボルのように聳え、その梢を一陣の風が渡ると、テラスの木漏れ日がきらきらと揺らめいた。じっと庭を眺めていると、東洋の美布に惹かれ、東洋の美に魅入られた男の深い憂愁と孤独が、いまでもこの屋敷のそこ此処に染み付いているような気がしてならない。

 博物館には別棟の立派な売店があり、ジム・トムプソンブランドのシルク製品を売っている。一般のツーリストは気がつかないが、売店の2階に隠れ家のように落着いたバーラウンジがある。私たちはそこで軽いランチを取りながら足を休めた後、家内の念願の洋服生地、私のポロシャツ、マイのT−シャツなどを買ってジム・トムプソンの家を後にし、オリエンタル・ホテルに向かった。


オリエンタル ホテル

 バンコックのホテルの代表挌、100年以上の歴史を誇るオリエンタル・ホテルのオープンカフェーで、行き交う船を眺めながら食後のお茶を愉しもうと思ったが、残念ながら日中は少し暑すぎた。仕方が無いのでコーヒーショップに逃げ込みお茶とケーキを注文。さすがによく気がつく従業員ばかりだ。著名人のアフタヌーン・テイーで有名なアーサーズ・ラウンジに廻ってみると、庭園は少し荒れていたがやはり風格がある。超高層ホテル時代になって、こうゆう場所は益々貴重な存在になった。ラウンジの中は相変わらずエレガントな雰囲気を保っている。タイ王家伝統の五彩の陶器ベンジャロン焼や独特の青磁色で有名なタイ・セラドン焼のような高貴なるテイーセットがさぞかし似合いそうなラウンジである。

 マイにせがまれて、市内観光は早めに切上げて帰宅。またまた“人生ゲーム”の大激戦を繰り広げる。大富豪から転落し、私が借金で首が回らなくなったところでゲームは終了した。やれやれである。


ベトナムレストラン ル・ダラット

 娘家族が住むマンションのあるソイ23通りには都合のいいことに有名レストランが多い。歩いて3分のところに秋篠宮ご夫妻がご贔屓のバーン・カニータというタイ料理店があり、またベトナム料理ならバンコックで一番と評判のレストラン「ル・ダラット」も歩いて5分の距離にある。これはベトナムのグエン王朝の別荘地ダラットにちなんで付けた店名であろう。

 軽くてヘルシーな料理ならベトナムだということで協議一決。夕食は散歩がてらル・ダラットに行くことにした。緑豊かな植え込みを通って店内に入ると、先ずインテリアの細かい気配りに驚いた。竹簾の壁面など、別に高価なものは使っていないが、南国の別荘の涼しげな一室といった感じを、シンプルに打ち出している。生ハルマキ、ベトナム風オムレツ、ポーク肉だんご、それにあっさり味のチキンヌードルなどを注文。出てきた料理はすべて我々の舌と胃袋を満足させてくれた。最後はベトナム・コーヒーで締めくくってお開きとする。

 ベッドに入る前に、明日から出かけるアユタヤ観光に備え、例によって俄か勉強をする。山田長政に関するテレビ番組の録画ビデオを見たり、娘が徒然にまとめたという長政研究レポートを読んだりして、それなりに充電は出来た。

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