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「多彩な国・タイ探訪」 小林正典
9月/02

まえがき

 主人の転勤にともない、娘たち家族が鎌倉を離れタイのバンコックに移り住んでから、早くも一年数ヶ月になった。先方からは折に触れて「早く遊びに来てね」と、電話やE-メールが入る。こちらも孫娘に会いたいし、どんな環境でどんな暮らしをしているのか、この目で見てみたいと思いつつ月日は流れた。

 我々の住むグアムよりも季節変動の激しいタイでは、旅行者にとって快適な季節は、日本の冬期、つまり12月から2月いっぱいらしい。3月に入るとそろそろ蒸し暑くなると聞かされていたが、ぐずぐずしている中に2月も終わり、旅程は3月に入ってしまった。

 以下は、家内と2人、バンコックで娘たち家族と過ごした数日と、北部タイの古都チェンマイ、チェンライから、山岳リゾート、国境ゴールデントライアングルを経てラオスを覗き、また世界遺産アユタヤを探訪した旅の記録である。人々がマイ・ペン・ライ(気にしないヨ)と譲り合いながら、サバーイ(元気に)サヌック(楽しく)、そして、したたかに生きている“多彩”な国タイ。そのほんの表面を撫でて通った旅の記録だが、楽しんで頂ければ幸いである。


3月1日(金) グアム出発・成田経由バンコック

 グアム10:45am発のNW73便は予定どうり日本時間1:15pm成田に着いた。さて、バンコックへの乗継ぎは5:50pm発のNW01便である。3時間ちょっとの待ち時間なら、なんとか空港内で時間をつぶせると考えていたが、残念ながら当てがはずれた。NW01便はデイレーで、出発は8:10pmとのこと。

 到着客を装って外へ出られないこともないが、それもまた中途半端なので、とにかく空港内で5時間半の時間をつぶすことに覚悟を決めた。しかし、5時間以上も空港でウロウロした挙句に、Y−クラスで深夜バンコック到着では疲れてしまう、と家内がゴネ始めた。中老年女性に特に最近流行?しているエコノミー症候群にでもなられては、旅の初日から厄介なことになるので、この際ビジネスクラスにアップグレードすることにする。NWのゲート・カウンターで尋ねると、幸いビジネスに空席が4席あった。私が持っていたマイレージから1万ポイントを使って、バンコックまで2人分のアップグレード手続き完了。家内も納得、やれやれである。

 さて「時間つぶし作業」は、先ず旅行障害保険を空港内に設置されている自販機で掛けることから始める。なるべくゆっくりピッピッとタッチパネルに指を置きながら保険手続き完了。しかし、こんなことでは時間は10分しかつぶれない。毎朝やっているウオーキングを今朝はやれなかったことに気がついた。そこで、この際第一ターミナルの中を“意味も無く”歩くことにする。


寿司屋のセイちゃん

 30分以上歩きまわっているとお腹が空いてきた。そこで、ターミナル2階にある[寿司岩]に入ることにする。混んでいなければ、鮨屋で飲んで時間をつぶす算段である。実は、寿司岩で働く板さんの古川誠二君は、今から30数年前にグアムのフジタホテルが、島で初めての寿司屋を開店した時の板さんである。つまり彼はグアムでの寿司職人第一号であり、歴史的人物なのである。

 1972年1月24日、横井庄一軍曹はグアム島南部タロホホのジャングルで地元のハンターに発見され、28年間のジャングル生活に終止符を打った。その晩、グアム・メモリアル病院に収容されることになった横井軍曹に対し、「長い間ご苦労さまでした」のメッセージを込めて、極上のにぎり寿司の折詰を贈ったのは誠二君(通称セイちゃん)である。(アメリカ人医師が横井さんから折詰を取り上げてしまったので、残念ながら横井さんはその寿司を食べていない。その晩、誰の口に入ったかは、いまだに謎である)。

 当時のグアム政府衛生局には、“寿司とは何か”を知っている役人が誰も居なかった。そのためフジタホテルの寿司屋は、開店に漕ぎつけるまでに、役人に奇妙な要求を突きつけられて非常に苦労した。文書や写真で説明しても納得してくれないので、ある晩役人を呼んで、実演して見せたところ、サビのたっぷり効いた寿司を喜んで食べて帰った。しかし、翌週、「両手には衛生手袋をはめ、握るときは寿司メシをスプーンで掬って掌に入れ、ネタはピンセットで摘まんで握ったメシに乗せること」という指示書が届けられたのである。

 もう半分諦めかけた時、当時のグアムの知事ゲレロ氏が、ニューヨークでのサラリーマン時代、セントラルパークでの日光浴の時間を捻出するため、クイックランチとしてよく寿司を食べていた、という話を小耳にはさんだ。
そこで、最後はゲレロ知事に直接陳情に行き、なんとか手袋、スプーン、ピンセットを使わない寿司屋を開店することが出来たのである。また開店以後も苦労は絶えず、日本からネタが届かない日には、セイちゃんは自ら小船でタモン湾に釣りに出てネタを整えたり、日々苦労を重ねながら寿司をグアム島に広めていった。当時のエピソードを拾えば一冊の本が出来るくらいだが、それはまた後日に譲ることにする。

 久しぶりに会ったセイちゃんは、色白になりきりっとして、すっかり都会的な板さんになっていた。昔ばなしを肴にねばりたいところだったが、空港内の寿司屋は切れ目なく客が回転している。たいして売上に貢献しない客の長尻りは禁物である。常識的滞留時間?の後、セイちゃんとの再会とこれからの旅の無事を祈って乾杯し寿司岩を出た。

 ひょんなことからアップグレードしたため、ラウンジが使える身分になった。
適当にお酒も入ったし、あとは出発までラウンジで休むことにする。椅子は8割方埋まりかなり混んでいる。以前にくらべると、アルコール類を飲む人は殆んど見かけない。30代40代のビジネスマン風の男たちは真剣にノートパソコンに向かっている。昔なら、出張の身でも待合室に居る時くらいのんびり出来ただろうに、PCのお蔭で人類は益々忙しくなった。もっとも中にはヤニ下がった顔をしてPCと戯れてる男もいる。きっと何か良からぬモノをダウンロードしているに違いない。雑誌や新聞をひっくり返したり居眠りしたりしているうちに漸く搭乗時間となり、NW01便は8時半やっと成田を飛び立った。

 乗物で寝るのが得意な私は、例によって機内でよく眠ったらしい。現地時間午前1時すぎバンコック空港に着陸。迎えに出てくれた娘婿のBさんの運転でハイウエーを深夜の市内へ向かう。10年ぶりだろうか、久しぶりのバンコックは随分高層ビルが増えたようだ。夜空に黒い影が林立している。空気も澱んで気だるい暑さを感じる。娘たち家族の住むマンションはソイ23番通り、インド大使館の真向かいにあった。中庭にプールを持ったコの字型の高層23階建てで、かなり大きなマンションである。その6階に娘たち家族の住まいはあった。


3月2日(土) バンコックの初日

 バクチー(香菜)をたっぷり入れたタイ式お粥で朝食を済ませた後、朝の散歩に出てみる。マンションの1F玄関に守衛が2名、道路に面した屋敷の入口には門衛詰所があり、ホテルのベルボーイのような派手な制服を着た門衛が2名、人や車の出入をチェックしている。保安上必要なのだろうが、かなり贅沢な警備配置である。近くに国立スイー・ナカリンタラ大学という大学があり、そこの構内が散歩には好適と聞いたので、早速そちらへ向かって歩いて行く。

 昨夜は暗くて気がつかなかったが、周囲には高層マンションが建ち並び、その間に挟まれるように、幼稚園、レストラン、古いお屋敷、大使館などがある。
どこからかクチナシに似た甘い花の香りが流れてくる。大学の入口にはタイの国花であるゴールデンシャワーの大木が一本そびえ、枝いっぱいに咲いた黄色い花が朝日に輝いている。周りの道路は、まるで黄色いシャワーが降った後のように一面黄色の絨毯だ。まさにゴールデンシャワーである。大学構内や運動場を歩きまわり、創立者だろうか、少し太りすぎの人の銅像を眺めたりしているうちに急に気温が上がってきた。太陽が顔を出すと一気に気温が上がるらしい。散歩は8千歩くらいで切り上げマンションに戻った。

 孫娘のマイはいま小学校3年生。もうすぐ4月から4年生になる。二週間ほど前、学校のピロテイーで友達と縄跳びをしていて、敷石の段差で転倒し左足の甲をくじいてしまった。それ以来まだギブスと松葉杖の生活が続いているが、もうそれにも慣れて到って元気である。キャスター付きの椅子の上に腹ばいに乗り、右足で床を蹴って、ローラースケートの要領で家の中を縦横無尽に走り回っている。家の床が全て大理石なのでキャスターがすべり易く、走りは誠に快調である。いまやイス・ローラーの走行も熟練の域に達し、移動は俊敏だ。遠くから見ていると、腹ばいに乗っているマイの姿はテーブルの蔭などで見えず、椅子の背だけが見えるので、まるで魔法の椅子が家の中を勝手に動き回っているようで実に面白い。

 明日は雛祭りだ。ママが焼いたスポンジケーキで、菱餅に似せた三段重ねの“ひしケーキ”が出来あがりマイはご機嫌である。雛人形にケーキを添えて飾りつけ、家族で記念撮影をした。
これから家内と2人でタイ国内を5〜6日回遊するので、その旅行コースの泥縄式検討をする。タイ国内をのんびりと鉄道で回って見たいというイメージを持っていたのだが、ローカル線の鈍行の旅は、私ひとりならともかく、ワイルドな旅の苦手な家内といっしょでは無理のようだ。また、ツーリスト用の特急列車は、夜寝ているうちに目的地に着くように組まれていて、バンコック発は夜行寝台特急ばかりである。これでは沿線の風物を楽しむことは出来ない。移動のためだけなら列車に揺られて疲れるより、飛行機の方が合理的だし体も楽だ、というBさんのアドバイスに従い、今回は鉄道旅行はあきらめ、主な移動は空を飛ぶことにした。そして、目的地はあらかじめBさんが描いてくれていたコースに準じて、タイ最北部のチェンマイ、チェンライ、チェンセーン、そして国境地帯ゴールデンデン・トライアングルに落ち着いた。


ウイークエンド市場

 渋滞に悩むバンコックでは、2年程前に新しい交通機関として、高架鉄道の“BTS(バンコック・マストランジット・システム)”が完成し、市街の中心を走っている。この通称スカイトレインの試乗を兼ねて、巨大マーケットとして有名な「チャトウチャック週末市場」に行ってみることにする。スカイトレインの北の終点モーチット駅で降りると、直ぐ前がチャトーチャック公園で、巨大市場は土日だけこの公園脇の広大な空地に出現する。毎週末、10万人から20万人の買物客がその巨大露天マーケットに押し寄せるそうだ。

 3時過ぎ、近くのアソック駅からBTSスクンビット線に乗る。切符は距離によって10〜40バーツと分かれるが、庶民の生活感覚からすると、ちょっと遠乗りすると40バーツでは高過ぎて、利用客は伸びていないという。

 駅の壁に4月は[特別割引月間]などという、妙なポスターが貼ってあったのもきっとその為だろう。フランス式の高架鉄道とのことだが、車両のデザインはスマートで乗り心地も悪くない。しかし、車内エアコンがきついのには驚いた。冷房に弱い私は2〜3駅進むうちに震えてきた。見ると、乗客の殆んどが 平気な顔をしているが、なかには体を硬くして寒さに耐えてる人もいる。私は座席が空いても座らず、ドアの脇に立ち、停車してドアが開く度に外気に体を当てて暖めた。冷房に強い家内と娘はこの寒さを楽しんでいる。

 週末市場はおびただしい数の露天がひしめき合い、通路は迷路のように入り組んでいる。広さは東京のアメ横の10倍くらいはありそうだ。衣料品、食品、古着、古本、民芸品、雑貨、玩具、植木、ペット動物、何でもござれの世界である。20分もうろつくと、人込みの熱気に当てられて疲れてしまった。人に酔ったのだ。しかし、帰りのスカイトレインで冷凍人間にならないためには、何としても厚手の長袖のシャツだけは買わなければならない。健康そうなオバサン経営の小さな洋品屋で、ラルフ・ローレンのカーキ色のシャツを見つけた。もちろんそれはコピー商品である。ここでの買物は全て値切ることから始まるので、戦闘開始。オバサンは「このシャツは“輸入品”なので負けられない」と言いながらも、860バーツを4割も引いて520バーツにしてくれた。少し大きめだが、偽ラルフ・ローレンのお蔭で、帰りのスカイトレインでは何とか生きのびることが出来そうだ。

 帰路はバンコック随一のオフィス街シーロム通りにあるセントラル・デパートに立ち寄る。セントラルはタイの各地に支店を持つ大手デパートだが、食品売場が充実していて地元の人達に親しまれているらしい。見ると観光客向けのお土産品もかなり売っている。地階にアジア銀行の両替所があったので、ドル札を少しバーツに両替したが、係員の若い女性ふたりの無表情で横柄な態度にはびっくり。一日中他人の金をいじって、面白くも無い両替作業をくりかえしていると、顔の筋肉が突っ張ってあんな顔になってしまうのだろうか?


チャイナタウン

 夕食はBさんの運転でチャオプラヤー川に近いチャイナタウンに出かけた。
ふかひれ、ツバメの巣などの高級珍味が気軽に味わえることで有名な「南星」へ向かう。大通りの渋滞を避け、常に裏道をさがし、迫り来る車やバイクには阿吽の呼吸で身をかわしつつ、スリル満点の運転である。ジャカルタ、マニラ、その他東南アジアの大都市はどこも同じだが、普通の日本人は恐ろしくてとても運転できない。ところが、Bさんはどうも普通の日本人ではないらしい。動物的な勘なのか、抜群の運転感覚でバンコックの街を自由に走りまわる。[タイの人達の運転の呼吸がもう分かっているので大丈夫]と彼は言うのだが。

 週末のチャイナタウンは爆発しそうである。本来なら人が歩く為の歩道を屋台が埋め尽くしている。そして、車道にはテーブルが張り出している。歩行者は車道を歩くしかない。車は人を縫いながら徐行し、人は車を縫いながら歩き回る。要するにごちゃごちゃなのである。屋台の鍋に虫が飛び込もうが、テーブルの料理に埃がかかろうが、そんなことを気にする人は一人もいない。
街じゅうが食欲の渦である。チャトウチャックは買物の熱気、ここチャイナタウンは飲み食いの熱気。まさに恐ろしいばかりのエネルギーだ。

 「南星」の店先には棚や水槽がずらりと並び、バナナえび、マングローブ蟹、オイスターなどがわんさと積まれ、まるで海鮮市場のようだ。店内に入ると入口近くにフカヒレを陳列したショーケースが置かれている。Bさんと私はそのフカヒレの中から適当なのを1つ選んで店員に告げた。店員はすぐにそれをショーケースから取出し、ボウルに入れて直ぐ後ろの調理場へおもむろに運びコックの脇に置いた。外から見えるオープン・キッチンである

 広い店内にはテーブルがびっしりと並び、百人ちかい客で賑わっている。われわれもテーブルに陣取って待つことしばし、大きなどんぶりに盛られたフカヒレスープが運ばれてきた。醤油味がかなり濃い庶民的な味付けだが上等である。南国のほうれん草といわれる健康野菜カンコーンの油炒めも、フカヒレスープとよくマッチした。この店の鮑ごはんもおいしいと聞いたが、スープとほうれん草で全員もう満腹状態。これ以上は無理である。微妙な甘さの菊花茶を飲んで、今夜のデイナーは完結した。

 南星を出るとBさんが「ドリアンおばさんのトラックまで歩こう」と言って歩き出したので、喧騒と人いきれの中をついて行く。なるほど、100mほど先の歩道脇にドリアンをどっさり積み上げた小型トラックが停まっている。近ついてみると、元気なおばさんが短い棒でドリアンを叩きながら盛んに商い中である。棒で叩くのは熟し具合をチェックするためらしい。果物の王様といわれるドリアンだが、強烈な臭いに逃げ出す大人も多い。しかし、孫娘のマイにとっては既に大好物らしい。早速おばさんに食べごろのを切ってもらって、ムシャムシャやっている。私も以前は苦手だったが、一度好きになったらもう忘れられない味になってしまった。独特の臭いが染み付いてしまうため、部屋にドリアンを持ち込むことを禁止しているホテルが殆んどだが、初めてタイに来た時それを知らなくて、ホテルで注意されたことを思い出した。一家でドリアンをパクついていると、シンガポールから来たという中国人の一団が寄ってきて、おばさんに大きなのをスライスして貰うと、みな幸せそうな顔で頬張り始めた。お互いに近親感を込めて挨拶を交わす。
―――この中華街のすさまじいばかりの商魂と熱気と食欲と喧騒に、中国人の生活力の底知れぬ強靭さを、改めて見せ付けられた思いである。


3月3日(日) ピアノ発表会

 今日はマイのピアノ発表会の日である。片足ギブスに松葉杖でも何とかピアノは弾けるらしい。朝から本番前の練習に励んでいるらしく、リビングルームの方から音が響いてくる。発表曲は杉本竜一作曲の「ビリーブ」である。祈りの心が次第に高揚して来るような、情感の豊かな曲である。発表曲は自由選択だったので、本人が好きでこの曲を選んだらしいが、人の心に訴えやすい良い選曲だと思う。ステージでは、ピアノのところまで松葉杖で歩き、椅子に掛けたら先生が松葉杖を受け取ってくれる手筈になっているとのこと。松葉杖を先生に手渡す練習までやってから、本人は一足先に出かけて行った。

 ピアノ発表会はBTSスクンビット線のナナ駅に近いランドマークホテルのボールルームで行われる。子供のピアノ発表会が一流ホテルのボールルームで行われるのには少し驚いた。発表者の方が会場負けしそうな立派なホールである。司会をつとめる上級生の女の子もすっかり緊張している。幼稚園児から学年順に中学・高校生まで、26名の演奏が順次行われた。

 ベイトーヴェンやモーツアルトの作品の演奏が多かった中で、マイが演奏した杉本竜一の「ビリーブ」は、素直に心に訴えてくる分かり易い曲だったので、私が予想したとおり、聴衆の共感を呼んだようである。決して身びいきでなく拍手も一段と大きかった。もっとも、マイは例の松葉杖姿でコトン、コトンとステージに上がり、落着いてミスもなく演奏を終えたので、拍手の何割かは松葉杖のお蔭だったのかも知れない。

 発表会の最後にはインストラクターのN先生自身がショパンの革命のエチユードを披露した。笑顔美人のN先生も高難度の曲目への挑戦で少し緊張気味だったが、生徒たちを啓蒙するに足りる見事な演奏であった。そして、全員で滝廉太郎作曲の「花」と「嬉しい雛祭り」を合唱して発表会は終了した。
滝廉太郎の曲は名曲で古さを感じさせない。海外に住む日本人の子供たちも、こうゆう曲を歌い継ぐことによって、日本文化のDNAをしっかりと受継いでいってもらいたいものである。
発表会でひとつだけ気になったのは、演奏が終るたびにステージ脇で友達たちから贈られた花束のことである。立派な花束を贈ったり贈られたりしているのだが、少し派手すぎるような印象を受けた。こどもたちの背後で母親たちの見栄と夢がエスカレートし、花束贈呈ゲームが次第に派手になっているのではないだろうか?。バンコック駐在日本人の社会は経済的にも社会的にも恵まれた階層だと思うが、そうゆう階層の家族が催すこの種のイベントは、果たしてホテルに働く地元の従業員の目にはどのように映っているのだろう。元ホテルマンの私としては、その点も少し気になった。

 発表会の後は全員で着席ビュッフェランチとなったが、タイ風メニューも適度に入ったビュッフェラインは、旅行者の私にとっては有難かった。ちょっと残念だったのは、音楽会の後なのに、ランチ会場のBGMの音量が調整不足で大きすぎ、ランチ会場の雰囲気を壊していたことである。衣食住、音、香り、色彩、言葉などなど、人間の生活の全てに関連するホテル業とは難しいものである。ランチ会場を出ると、エレベーターホール横では折から披露宴を終えた地元のカップルが、親戚、友人とスナップ写真を撮りあっている。「おめでとう」と一声かけると、花嫁がにっこりしてこちらに手を振った。新婚カップルに幸いあれ。

 午後は娘夫婦の案内でソップ・モエ・アーツという、タイ北部の山岳民族の伝統織物を現代風にアレンジして注目されている店や、アークスという木彫り民芸品店、5年前人気ブランド品をそろえて開業したエムポリウム百貨店などをうろついた。アークス民芸店の店内の柱に飾ってあった、昔のタイ王宮の楽士なのか鼓を打つ木彫りの人形が妙に印象に残った。


タイ式伝統マッサージ体験

 明日からタイ北部地方への旅に出る。出発前の体調管理ということで、夕方Bさんに誘われマッサージ屋へ出かけた。Bさんの行きつけの店らしいが、とある二階建ての安アパート風の建物の階段を登る。受付のカウンターがあり、その奥の薄暗い大きな部屋がマッサージ室らしい。

 タイ式マッサージは今や世界的にも有名になったが、元来は仏教のお坊さんが身に付けた技能らしい。伝統的なインドヨガとストレッチ体操を組合わせた「整体法」と、「ツボ指圧術」とを合体させて完成したのだそうだ。コースは2時間が基本。2時間は長すぎると思うが、正式に全身をケアーすると2時間は必要なのだそうだ。「1時間もしないうちに、眠ってしまうので、2時間はアッという間ですよ」とBさんが言う。60平米ほどの薄暗い部屋の真中に通路スペースがあり、両側の壁に沿ってマッサージ用のマットが並びカーテンで個々に仕切ってある。だぶだぶのパジャマに着替え、Bさんと私と家内と3人壁の方に頭を向けて並んで横になる。仕切りのカーテンで一応視覚的プライバシーは保てるが、マッサージ師のおしゃべりもお客の声も筒抜けである。

 この店のマッサージ師は全て中年女性だ。足の指の先から丁寧にマッサージは始まった。指圧とモミモミと摩擦のミックスだが、優しくなめらかに進むので実に心地良い。緊張しているのに少し眠くなってきた。両足を腰まで揉み揚げて来るだけで既に一時間は経ってしまったようだ。先程、ゴルフの帰りらしい男性客が2〜3人入ってきて、われわれの並びに陣取り大声でしゃべっていたが、みな寝入ったらしく急に静かになった。マッサージ師が時折り指を鳴らすポキポキッという音以外は何も聞こえない。以前テレビで見て驚いた“組んず解れつ“の荒技がいつやって来るのか気になって、ぐっすり寝込むわけにもいかない。うとうとしている中に、手のひら、上腕部と進み、打伏せになって腰から背中と来たところで、次はちょうど肩叩きをしてもらうような形に座らされた。肩や首筋が静かに揉まれていく。荒技はまだ来ないーーー。

 急に私の体が背中を下に向けて、空中に浮かび上がった。マッサージ師が視界から消えた。なんと彼女は私の背中の下にもぐり、両膝を立て私の体を反り上げている。これぞ「エビ反り」の荒技である。「助けてくれ、降ろしてくれ!」臍を天井に向けて私の体は二つに折れそうである。汗が吹き出す。体じゅうがビリビリと音を立てている。「もう駄目だ」と思った瞬間、私の体はマットに着地した。――家内の方を覗いてみると、マッサージ師の膝の上で、まるで太った豚が仰向けになったような姿で悲鳴をあげている。体が硬いので“エビ反り”にも“弓なり”にもならない。ただ、そのまま乗っかっているだけである。

 やっと着地した私を次に待ち受けていたのは、腕と方の運動であった。座っている私の腕を背後から片方ずつ持ち上げて、思いっきり上に引っ張り上げる。もう腕が千切れそうだ。大相撲で横綱武蔵丸の右が入ると、相手の腕が完全に返ってしまうことがあるが、将にあの格好である。左腕のときは体中の血流が良くなったように感じたが、右腕をやられた瞬間、肩から背中にかけて「バキン!」と電流が走り私の呼吸は止まった。しばらくして息を吹き返すと、マッサージ師も「これは少しやり過ぎたかな」という顔をして下を向いた。

 とにかく2時間のフルコースは、最後のトドメの「エビ反り」と「腕返し」を以って終了した。確かに体は軽くなった感じである。料金は1人500バーツ。少々チップをあげると彼女たちはにっこり。彼女たちにとっても2時間コースは重労働で、1日3名6時間が体力の限界だと聞いた。帰りの車の中でBさんが、私も家内も体を硬くしていたので、「このお客さんは初めてだね」と彼女たちが話していたと言う。だが茶目っ気の多いBさんのことだ、我々に「荒技」をお見舞いするよう彼女等に特注したことも考えられなくはない。
―――(ところで、電流が走った私の右肩と背中にはマッサージの後遺症が残ったらしく、その後も軽い痛みが1ヶ月近く続いた。未熟な人に当ると足がつったり、ぎっくり腰になったりするそうだから要注意である。翌日、軽い揉みかえしがくることは珍しくないそうだが、私のように1ヶ月も痛みが残ったのは、やはり彼女が未熟だったのだろう。)


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