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| 「同時多発テロ直後のアメリカ旅行−ハワイからラスベガスへ」 小林正典 |
| 5月/02 |
| 9月21日(金) ワイケレゴルフクラブで遊ぶ 朝6時30分。迎えに来てくれたM夫妻の車に同乗しワイケレゴルフ場へ向かう。ハイウエイH-1に乗って西へ。朝早いし通勤ラッシュとは逆方向なのですいすい走る。市内へ向かう方の車線はもうすでに混みはじめている。これではホノルル市内への通勤はさぞかし大変だろう。おにぎりとお茶を積んで暗いうちに家を出て、走りながら朝食を済ませたりヒゲを剃ったりする人も多いそうだ。こちらも車内でサンドイッチをかじっているが、これはM夫人が用意してくれた特製の朝食である。車はホノルル空港を過ぎ、パールハーバーを過ぎて30分足らずでワイケレG.C.に着いた。有名なワイケレ・アウトレットの直ぐ近くである。プロショップで支払いを済ませる。ツーリスト料金は一人$107であった。ハワイローカルは$40程度だろう。眠気覚ましのコーヒーを飲んだ後、今日も男性組と女性組に別れてスタート。ホール毎に印象的な景色が展開する。背後のコオラウ山脈の堂々とした眺めが素晴らしい。また真珠湾から遠くダイヤモンドヘッドまで広がるパノラマを見ていると、スコアーが悪くても気分は壮大になってくる。池やバンカーも巧みに配置され、グリーンも神経細やかに設計されているので、何度プレーしてもこのコースは飽きないと思う。私の成績も今日はきのうより進歩し何とか100を切った。昼食は皆でここのラーメンをトライしたが、まあ味は可もなく不可もなし。私のゴルフと同じであった。M夫妻の車で帰りもホテルまで送ってもらう。腰痛があるのにゴルフを付き合ってくれたM氏だが、来月からは婚礼関係の新しい仕事に就くそうだ。ずっと盛況が続いてきた「海外挙式」のトレンドだが、今回のテロ事件の影響で果たしてどうなるのか。彼の仕事の成功と健康を祈ってお別れする。 夕食はハワイR&C社のK社長とS総支配人からのご招待を受けて、「鎌星」というチャンコ料理屋でご馳走になった。旅行に出て4日目ともなると、そろそろ胃が重くなってくる。今夜あたりは野菜たっぷりの軽い夕食にして、胃袋のリフレシュをしておきたい。[鎌星]の新鮮な魚貝と野菜中心の料理はそうゆう私の希望にぴったりで実に有り難かった。庶民的な店だが味もサービスも上等でした。総支配人に送ってもらいホテルに帰着する直前になって、家内が「ハンドバッグがない」と大声をあげたのでびっくり。何処に置き忘れたのか記憶をたどってみてもはっきりしない。総支配人が携帯TELでお店に尋ねると、幸い「テーブルの下にありました」とのこと。お蔭でいま来た道をUターン。総支配人ごめんなさい。女性は酔っても疲れても、滅多なことではハンドバッグは忘れないもの。酔うほど飲んだ様子も無いし、家内はもう旅の疲れが出てきたのだろうか。これから先の旅程が思いやられる。 S総支配人にお礼を言って別れたが、未だ寝るには少し早いので、気分転換にその辺を散歩することにする。例によってジョギングスタイルの白人観光客はかなり目に付くが、日本人は見当たらない。気の毒なくらいお客が入って居ないのは、立派な構えに煌々と照明が輝くヨーロッパ系の高級ブランド店。大きなアクビをしている店員、おしゃべりに夢中な店員、放心したようにボーと突っ立っている店員など。さすがに鼻チョウチンを出して寝ている人は居ないが、どの店も「悪い店員」のサンプルが明るい照明の下で晒し者になっている。逃げるわけにも行かず、閉店時間までただ時間を殺している従業員もさぞ辛いことだろう。こちらもなんだか侘しくなってきた。もうホテルに戻ろう。 ホテルが気を使ってくれたらしい。営業部長名でフルーツやワインが部屋に届いていた。そのワインのひとつ、チリのVERMONTEカベルネソビニオンをチビリチビリと有難くいただく。もう明日の夕方はロスに発つので、今夜がハワイでの最後の夜になるが、とにかくその後事件が起きなくてよかった。しかし、通常一日に5000人は到着する日本からの観光客が、ずっと2500人を切ったままだとのこと。そこへ10月・11月の予約団体のキャンセルがはじまったらしい。今後事態はますます深刻になるのだろうか。先程ホテルのフロントの女性も来月にはいよいよレイオフされそうだと暗い顔をしていた。 9月22日(土) ハワイを発ってラスベガスへ 昨夜のうちにドアーの下から各部屋に入れたらしく、ホテル総支配人フランク・レヴィー氏からのレターが届いていた。早速読んでみると、要するにそれは「このホテルのレストラン部門の営業時間帯と場所の数を必要最低限の範囲にまで絞らせて頂きます」という主旨のものであった。しかし、飲食部門の営業を明日23日からCONSOLIDATEさせて頂きますと書いている。私はそのコンソリデイトという言葉に感心した。なるほど上手い言い方があるものだ。この言葉は「整理統合する」という意味が第一義だが、第二義には「強化する」という意味も持っている。つまり、(飲食部門は統合はするが弱体化はさせません、サービスはより強化させます)というニュアンスをそれとなく匂わせている。煙に巻くと言ったら言い過ぎだが、この単語によって、お客様はなんとなく納得してしまうだろう。外交文書などでは一つの用語の解釈をめぐって大論争になるが、サービス業では、とかく「物は言いよう」である。朝から一つ勉強させられた。それにしても、こんな手紙が来るということは、ホテルもいよいよ非常時の態勢に入ったらしい。 幸い今日はまだ和食レストランも開けているとのこと。朝食は日本料理の「むさし」で取ることにした。ゴルフで早起きが続いたので、久しぶりにゆっくりと和朝食を味わう。新婚カップルらしい二人が窓際のテーブルで食事中だが二人ともどことなく落着かない。ひょっとして二人は今日これから挙式なのかも知れない。海外結婚式を予約していた人達だけは、テロ事件の後でも、殆どが予定どおり出かけて来ていて、いまや貴重なお客様だと聞いた。ことの性質上、簡単に取消したり国内に切りかえたり出来るものではない。相当悩んだ末の決行だったに違いない。本人たちも大変だが、親兄弟親戚友人も大変だ。怖いから嫌ですと言って断るわけにも行かないし、(じっと眼をつぶって)飛行機に乗ってきたに違いない。まさに貴重なお客様である。 さて、夕方の出発までは時間がある。それまで何をしようかと考えたが、ビショップ・ミュージアムに行くことにした。ゴルフばかりしていたので、今日は少しマジメに歴史の勉強をしよう。すっかり顔なじみになったMr.ユーさんのタクシーで出かける。彼は朝早くから夜遅くまで、いつ見てもホテル正面玄関にたむろしている。「いったい何時寝ているの」と聞いたら、このところお客様がさっぱりなので、「客待ちしながら車の中で充分寝ています」との答えであった。私が「運転中は充分寝ないでネ」と言って大笑いになった。 ビショップ・ミュージアムは高速1号線に乗りホノルル空港の少し手前を山の手の方に入ったところにあった。入場料が$14.95とスーパーの値段みたいに半端なのが面白い。15ドルだと高いと思われるので、必死になってそれ以下に抑えているのだろう。敷地はかなりの広さだ。 ハワイ王国の末期、カメハメハ王家には最後の直系子孫で周囲から王位継承者として期待されていたバニース・パウアヒという王女がいた。ところが、彼女は頑なに王位継承を辞退しチャールズ・ビショップ氏と結婚してしまい、やがてカメハメハ王家は終焉を迎える。このミュージアムはビショップ氏が愛する妻パウアヒ王女追悼のために1889年に建てたもので、ハワイの子女教育に熱心だった王女が設立したカメハメハ・スクールの敷地の中に建てられた。最初は王女が相続した王家伝来の美術工芸品の収蔵が主な目的であったが、学校が丘の上に移転してからミュージアムは独自の発展を重ね、ハワイのみならず太平洋諸島全域の美術工芸、古文書、文献、資料写真などの収集は200万点を超えている。学術的にも太平洋地域の地質学、民俗学、生物学、文化史の研究機関として世界的に有名な存在である。 日本語を話すガイド嬢が居たが、他に日本人客が居なかったため我々専属のガイドになってくれた。美しい鳥の羽毛でつくった王の冠やケープはその形も色も見事だったが、鳥をいじめない為に一羽の鳥からはごく少量の羽毛しか取らなかったそうだ。カパの木の皮を気長に叩き伸ばして作った、まるでレースのような素晴らしい布地なども印象に残った。ところで、あの悲しく美しい名曲アロハオエの作曲者はリリオカラニ王女といって、最後のハワイの王となったカラカウア王の妹君である。世界一素晴らしい気候風土の楽園ハワイ王国も、やがて白人勢力の策謀に呑み込まれ消滅してしまうのだが、王家の美術品などを見ながら歩いていると、何処からともなく哀しい歌声が聞こえてくるような気がして仕方がなかった。棚に飾られた王家の品々は今でも悲しみの歌を唄い続けているのだろうかーーー。 ミュージアムには歴史・文化・学術関係のホール以外にも、いろいろな部屋がある。ハワイの夜空を映すプラネタリューム、ハワイ音楽関係の展示、宇宙ステーションの体験、有名スポーツ選手に関する展示などである。実は、この博物館は民間機関による運営なので、入場料、会員による会費、寄付、売店などが主な収入源だが、入場者を増やそうとしていろいろ手を広げ過ぎたのではないだろうか。メインの展示ホール以外はいずれも中途半端な感じがした。いずれにしろ民間での運営は大変だ。観光客ももう少しサポートすべきだろう。 帰りはミュージアムの周辺の住宅街を少し散歩した後、近くのバス停から市バスに乗ってワイキキまで戻った。タクシーと仲良しになるのもいいが、私は旅行中にその土地のバスや地下鉄など公共の交通機関に乗るのが好きだ。その土地の人達の仲間に入れてもらえたようで嬉しいし、それに料金も安い。朝なら通勤客、昼下りだと買物に行く若奥さんや老婆など、車内でその土地の社会生活の一面に触れることも出来る。ホノルルのバスでは若い人が老人に当然のように席を譲っていた。途中、中国人街か市場街みたいな、やけに活気のある狭い通りを通った。バスを降りてうろつきたくなったが、残念ながらもうその時間が無い。未練を感じながらワイキキに戻った。 ホテル一階のすし屋で遅いランチを食べる。昼間から大分お神酒が入ってカウンターでいちゃついている如何にもスケベな感じのカップル。マスターが二人に当て付けるように「ヒマだねえ、ああヒマだ」とぼやく。確かに店内にはわれわれ夫婦をいれて3組しか客は居ない。そのうち店の前の道路を渡ってワイキキの浜からハイレグ水着のヤンキー娘が3人飛び込んできた。家内には申し訳ないが私にはトンだ目の保養である。彼女たちはカリフォルニア・ロールとかっぱ巻きのテークアウトを注文し、マスターと値段の交渉を始めた。だが、交渉決裂、彼女等は再び明るいビーチの方へ飛び跳ねるように去っていった。「どこかの回転寿司と較べないでよ!」とマスターのぼやきのボルテージは一段と上がってしまった。お勘定のときマスターと立ち話しをしたが、「こんなに急にヒマになったのは初めての経験で、先行きどうなるのか考えるとゾッとします」と本当に不安そうな表情を見せた。全くその通りなので、こちらも返す言葉が見つからなかった。 部屋に帰って荷作り開始。今回もまた衣類や下着を持ってき過ぎたようだ。私は荷作り名人(?)なのですぐに終ったが、不器用な家内は悪戦苦闘した末に、ゴルフバッグの隙間にいろいろ突っ込んでいる。ゴルフバッグの収納力は馬鹿にならないものだ。S総支配人から電話が入る。空港はガラガラだしロス行きは国内線だが、やはり新規則で3時間前にはチェックインするべしとのこと。夕5時半にはホテルを出発することにした。コツコツと物音がする。見るとテラスに白い鳩が一羽飛んできて、私がこぼした柿の種を啄ばんでいる。辛い筈なのに大丈夫だろうか。きっと辛口好みの鳩なのだろう。余っていた柿の種をテーブルの上に蒔いてやると、人懐っこく寄って来て逃げようともしない。今夜はノドが渇いて困るだろうに。ハワイの鳩は義理堅い。几帳面なS支配人は常に早目に現れるので、こちらも早めにバゲージダウンし、ハト君に“アロハ”を告げて5日間お世話になった部屋を後にした。 S総支配人の車で5時半にホテル出発。あのテロ事件以来ずっと2500人を切っていたホノルル空港への到着客数が、今日はじめて2600人になった、と総支配人は嬉しそうに告げた。しかし、このまま一本調子で回復軌道に乗るとは到底思えませんね、とまた暗い顔に戻った。本当に先が読めないのだ。 6時ちょっと前に空港に到着、S総支配人と再会を約してお別れする。バゲージ検査も特にうるさいことは何もなくいつも通りだったし、とにかくお客の数が少ないのでチェックインはすぐに済んでしまった。規則とは言え3時間前では余りにも早すぎた。―――連絡通路からハワイの夕焼けを眺めたり、売店を冷やかしたり、アイスクリームをなめたり、回廊に展示されているハワイの児童画コンクールの入賞作を鑑賞したり、ブックスタンドで雑誌を立読みしたり、家内の買い物に付き合ったり、落ち着かない気持ちの中で懸命に時間をつぶしたが、搭乗アナウンスまでの2時間半は実に長かった。 ロスアンゼルス行きCO76便は定刻20時55分にホノルル空港を離陸。アロハ!!アローハ!!ここからロスまでは約4時間半のフライトだが、時差の関係でロスに着く頃にはもう日付も変わり夜も明けてしまう。つまり、この4時間半はしっかり眠っておかなければならない時間だ。スチュアーデスにワインをもらって一気に飲むと、私はおもむろに眼をつぶった。どうか何事もなく無事に飛んでくれますように。 9月23日(日) ロスアンゼルス経由ラスベガス到着 西海岸時間の午前5時、朝霧に包まれたロスアンゼルス空港に着陸。この朝霧は本物の霧であり、あの悪名高いスモッグではないらしい。空港内の各レストランは未だ殆どが閉まっていたが、スターバックスからは朝のコーヒーの香りが通路に流れ出ている。今や米国・カナダに4千軒、日本国内にも3百軒以上を既に開店し、コーヒーチェーンのグローバル化を目指しているというスターバックス。少々やり過ぎだと思うが、さすがに商売熱心だ。香りにつられて寝不足の客が吸い込まれて行く。私たちも眼をこすりながらエスプレッソにスチームミルクを加えたラッテを注文し、次のラスベガス行きシャトル便までには未だ時間があるのでゆっくりと飲む。コーヒーの後は空港内を少しうろつく。通路のあちこちに立っている警備員の数はやはり通常より多いようだ。機内で飲みすぎたのだろうか、黒いジャケットの白人男性が千鳥足でこちらへやって来る。すると、警備員が2人すっと近づいて何処かへ連れ去った。誰か怪しい人物なのだろうか。 8時発ベガス行UAのシャトル便はほぼ満席だった。機材はボーイング737。機内放送が「皆さまこの飛行機には昨日結婚されたばかりのジョンソンさんご夫妻が乗っておられます。盛大な拍手をお願いします」と告げると、機内の半分くらいのお客が拍手をした。しかし、なんとなく元気がない。みんな沈んだ気持ちを無理に奮い立たせようとしている感じだ。そのうち再び機内アナウンスが「ブッシュ大統領は早く米国民が普通の生活にもどることを願い、半旗の掲揚を本日をもって終了することに決めました」と告げている。こんな或る意味では政治色の強い情報を機内アナウンスすることは、普通では考えられないことだ。眼下にネバダの砂漠を眺めながら、アメリカ全土がいま如何に異常な緊張状態にあるかを改めて知らされる思いだった。 ラスベガスのマッカラン国際空港もさすがに人影はまばらだった。数年前に来たときに較べ空港内は随分カラフルで美しくなっていたが、客が居ないのでやたらにスロットマシーンばかりが目に付く。貴重な観光客ということなのか、大きなゴルフバッグを持った私たちに対し空港の係員は皆とても親切で、歓迎の気持ちが態度に表れているようだった。 早速タクシーでダウンタウン地区のホテルへ向かう。強烈な陽射しが寝不足の目に眩しい。サングラスが欲しい。ハイウエイ15号に乗って北に走り出すと巨大な看板が二つ目に飛び込んできた。「UNITED WE STAND」と、もう一つの方は「GOD BLESS AMERICA」。(米国民よ団結して立ち上がろう)そして(神よアメリカを守りたまえ)という意味だろう。同時テロ事件から僅か10日余り、もうこんな巨大看板を立ち上げるとは、さすがにビルボードの街ラスベガスだ。この看板からも、アメリカ政府が国民の気持ちを落ち着かせ、団結してテロと戦うことに必死に取り組みだしたことがわかる。ラスベガス大通り沿いの歓楽街ザ・ストリップ地区が向こうに見えるが、昼間の太陽の下だと積み木で出来た町みたいで迫力がない。やはりネオンが点灯しないとラスベガスは絵にならない。 ラスベガスのカジノ発祥の地はダウンタウン地区のフレモント通りだそうだが、われわれの泊るホテルはそのフレモント通りの西の端にあった。名前はカリフォルニアホテル。タクシーの運転手は無口だがマジメそうな人で、「いまベガスは殆んどカラッポだけど、どうぞゴルフ休暇を楽しんで下さい」と言って去っていった。 このカリフォルニアホテルはかなり古くて決してデラックスとは言い難い。しかし庶民的な雰囲気で気取りがなく、気楽に滞在出来そうだ。先代のオーナーがハワイ出身の人で、長年ハワイアンの誘客のため特別パッケージその他でいろいろと優遇してきたため、今でもハワイからの宿泊客が非常に多いホテルである。明日からわれわれが参加するシニアゴルフ大会も、正式名称はアロハ・シニアゴルフ・クラシックと言うくらいで、毎年ハワイからの参加者が中心となって行われている。 コーヒーショップで軽い昼食をとった後、昨夜からの時差による睡眠不足解消のため少し昼寝をする。午後4時、二階の宴会場オハナルームで大会のレジストレーションが始まるというので行ってみる。驚いたことに、まだ4時前なのに会場入口には既に長蛇の列が出来ていて、隣のカジノの方まで列がはみ出しスロットマシーンをやっている人達の邪魔になるくらいだ。早く並べば、先着何名様とか、何か得をする事でもあるのかと、レジ会場の様子を覗いて見たが別に先着を争うようなものは何もなかった。要するに何処の国でもシニアーはせっかちなのである。 大会参加者は総勢約200名、うち今回はハワイから70数名、グアムからは8名。残りの120名強がカリフォルニアや地元ネバダをはじめ全米各州から参加している。実際にプレーする人は150名弱で、あとの50名はギャンブルや買い物が主目的で付いて来た同伴者らしい。わいわいがやがやとジョークを飛ばしあいながら、ハンデや年齢などを確認して選手登録を済ませる。パッテイングゴルフ大会と本番のゴルフの2ラウンド。合計3日間の大会である。あまり趣味の良くないゴルフシャツ2着とウインドブレーカーが大会本部から支給され、選手登録は無事に終った。 その日の夕食はI夫妻と一緒にホテル内のトリプル・セブンというビアーレストランで取ることにした。地ビールが5種類あるというので、それを全て揃えてもらい一つ一つ味わってみる。それぞれに特色が有って良かったが、特に濃い目の黒ビールが気に入った。店内の一角に寿司カウンターがあり、にぎり数種類と巻き寿司が出来るというので今夜の夕食は寿司で決まり。適当に注文したが、たまご、えび、きゅうり、サモンなどを彩りよく七色に巻いた「レインボー巻き」と、鰻とアボカドを巻いた「キャタピラー巻」とかいうのが印象に残った。店内の大スクリーンには折からアメフト中継が映っていて、試合が白熱すると時折ものすごい喚声が上がる。割れんばかりの喚声にびっくりして、私のキャタピラー巻きは危うく喉に突っかかりそうになってしまった。同時テロ直後から急遽中止されていたアメフトの試合もようやく再開されたので、今夜の喚声は特にみんなの「喜びの歓声」だったのかも知れない。 明日はパッテイング・コンテストの日。早起き組、普通組、寝坊組と3班に分かれてホテルを出発する。私と家内は朝の涼しいうちのプレーの方が楽だと思い早起き組に申し込んだが、なんと5時半朝食、6時ホテル出発とのこと。明朝5時にモーニングコールを頼んで、おとなしくベッドにもぐり込む。CNNテレビを暫く見て、その後も物騒な事件などは起きていないことを確認してから眠りにつく。 9月24日(月)パッテイング競技会・ そしてザ・ストリップ地区へ 誰かが猛烈な勢いでドアーを叩くので飛び起きた。すわ爆弾テロか火事かと思いドアーを開けると、ホテルのボーイが「早く起きてください」と真剣な顔で言う。時計を見るとすでに5時半を過ぎているではないか。5時に頼んでおいたウエイクアップ・コールはどうなったのだ。ボーイに聞いても「私はフロントに頼まれて来ただけで、コールのことは知りません」と言う。モーニングコールを忘れて訴えられ、ホテルが莫大な損害賠償金を支払った例もあるから、ボーイは滅多なことは言わないのだ。もう宜しい、とにかく急ごう。大慌てでズボンを穿き、朝食どころではないので、パターだけ担いで玄関のバスへ急ぐ。根が早起きの方々はもう皆バスに乗って待っている。白い目線を感じたので、コールの電話が鳴らなかった、と大きな声で言ってみたが余り好意的な反応はなかった。予定より少し遅れて6時10分ホテル出発。まだ夜は明け切ってない。澄みきった群青の空には残月と星が光っている。20分ほど走って遠くの山並みが朝焼けに染まりはじめた頃、バスは今日の会場であるエンジェルパーク・ゴルフ場に到着した。 ここはアーノルド パーマーの設計で36ホールの外に、12のショートホールで出来たショートゲーム・コースと、今日われわれがこれから大会をやるパッテイング・グリーン(18ホール)とで構成されている。皆が抽選で4人ずつに分かれてチームを作り、各ホールからショットガン方式でスタートした。私の組はカンサス州から参加したタッカー夫人とハワイのワタナベさん、それにもう一人名前を失念したが品の良い白人紳士との4人。勝つことよりも和気藹々の雰囲気第一人間ばかりで楽しかった。何れのホールも先ず最初のテイーショットパットの打ち出しが実に難しく、かつ面白く出来ている。4人が打った中の一番優れたボールを採用し、次にまたそこから各人が順番にパットをして行き、誰かがホールアウトしたらそのホールは完了する。 ハワイのワタナベさんは一発勝負大好き人間で、大成功の後は大失敗の池ポチャやOBをやったり、チームへの貢献度は実に起伏に富んでいた。このパッテイング・コースもまたアーノルド・パーマーの設計・監修なのかは聞きそびれたが、ロング、ミドル、ショートのどのホールも「大胆かつ繊細に」攻めなければ成功しないように出来ていて、その設計の妙に改めて感心した。実を言うと最初わたしは、大の大人が半日もかけてパッテイング大会をやるのかと少し馬鹿にしていたのだが、コース設計さえ良ければ十分に楽しめるゲームであることが分かった。それにしても、ラスベガスの9月は太陽が昇るとまだまだ暑い。陽光は乾いた空気を突き貫けて刺してくる。我われ早起き組が競技を終わる9時頃には、気温はなんと36度にも達していた。これから午後にかけて競技する普通組、寝坊組の人達はこの暑さで大丈夫だろうか。叩き起こされはしたが、やはり早起きは三文の得だったようだ。 ホテルに戻って遅い朝食とする。カリフォルニアホテルの道向うに同じ経営のメインストリート・ステーションというホテルがあり、道路をまたいでブリッジ式回廊で結ばれている。そこに長い長いブッフェラインを持つ「ガーデンコート」という大衆食堂がある。味は決して褒められたものではないが、洋・中・メキシコ・イタリア・南米・アジア、そして豆腐の味噌汁まで揃っている。早朝からの運動でペコペコのお腹に、国籍不明の朝食を流し込み、最後は塩の薄い豆腐の味噌汁でフタをして先ずは満腹終了とする。 午後からは歓楽街ストリップ地区へ出かけてみることにした。ホテルから4〜5分の所に市バスのターミナルが有るのでそこまで歩くことにする。直ぐ近くだが、アスファルトやコンクリート歩道の照り返しがきつく、道路を渡ろうと信号待ちしているだけでたちまち汗が吹き出してきた。バスターミナルではホームレス風やオノボリさん風の人達が目に付く。しばらく待って301番のバスに乗る。料金はひとり2ドル。ラスベガス通りに沿って南に走りトレジャー・アイランドの辺りでバスを降りる。トレジャーアイランドホテルの名物「バッカニア湾の海戦」のショウは、夕方にならないと始まらないらしい。暑くて通りをウロウロしていると焦げてしまいそうなので、大通りの向い側のヴェネチアンホテルに逃げ込むことにする。ホテル一階のカジノを抜けて二階の人工の青空天井で有名なグランドキャナル商店街に入ると、温度は快適だし光線もやわらかく目に優しくてホッとする。相変わらずカップルを乗せたゴンドラが人工運河の中を歌を聞かせながらゆっくりと揺れて行く。この「偽のベニス」も時節がら普段よりずっと人は少ない筈だが、アーケードをぶらつくには静かで落ち着いていて却って好都合だ。 黒サンゴの繊細なミニチュアー彫刻で有名なバーナード・パスマンの作品を並べた店に入る。今まさに演奏中のジャズカルテットの立像。幅10センチ高さ4センチ程のごく小さな彫刻だが、じっと見ているとサウンドが聴こえてきそうだ。12センチ程のカヌーを漕ぐ人の像も躍動感に溢れ、ショーケースの棚の上を滑って向こうへ行ってしまいそうに見える。どれも素晴らしい。しかし値段も素晴らしいので鑑賞するだけにする。2〜3軒向こうには、立派なヴェネチアガラス工芸品の専門店が見える。センスの良い品々がそれぞれに鮮やかな色彩を放っていて、店全体が周囲の淡い照明の中で浮き立っている。大きな花瓶などは5千ドル4千ドルは普通で、5センチ位の小さな熱帯魚の置物でも2百ドルと決して安くはない。しかし、見ているうちについ買いたくなってしまう。エンターテインメント画廊という天井の高い立派な画廊がある。入ってみると、フランク・シナトラ、エリザベス・テーラー、サミーデービス・ジュニア、指揮者のカラヤンなど、懐かしい有名人の白黒のポートレートが壁にずらりと並んでいる。どれも雰囲気のある暖かな写真で、値段は平均一枚1500ドル。撮影者の名前を見て驚いた。全てあの髭の好々爺フェースで有名なウエスタン歌手ケニーロジャースの作品である。日系の上品な女性店員の話だと、ケニーロジャースは大変なカメラ好きで、演奏旅行中も楽屋やステージ裏などで有名人の「貴重な瞬間」を撮りまくっているうち、とうとうポートレート写真家としても一流と認められる存在になってしまったのだそうだ。 店名は忘れたが、本や装飾品を売る店で家内はステンドグラス風のルノアールの「ガラス絵」を、私は「ゴルフ箴言集」という愉快な本を記念に買った。 グランドキャナル商店街を出て、次は通りの反対側のファッションショー・モールを覗く。別に高級ファッションを買うつもりはなく、戸外が暑いので「涼みに」入っただけだが、折からモールの半分が改装中のためか、テロ事件の影響なのか、どの店舗もお客はチラホラで淋しい限り。4年前に来た時のゴージャスな記憶とは様変わりしていた。昔のイメージを捨てて、この10年ラスベガスは、家族で遊ぶ「ファミリーランド」への変身を目指してきたと言われるが、ファミリーランドに高級ファッションは最早似合わないのかも知れない。 明日のシニアーゴルフ大会の組み合わせ発表が午後4時半から行われるので、そろそろホテルへ戻ることにする。昔なつかしいデザートイン・ホテルは全面再開発のため整地中だったが、その近くのバス停からダウンタウン行きのバスに乗る。バスは混んでいて吊革に客が鈴なりだ。我々の前に乗った白人の夫婦に太っちょのドライバーが「ラスベガスへようこそ。ハイ、イギリス人は今日はバス代はフリーですよ」。次に乗ったわれわれにも「ハイ、日本の人も無料ですよ。奥の方へどうぞどうぞ」。呆気に取られている我々4人に車内の乗客たちの視線があたたかく笑っている。私が即座に“Thank you very much. I love Las Vegas and I love Free Ride.“と冗談ぽくお礼を言うと、ドライバーは派手にウインクを返してくれた。お客が激減しているベガスに来てくれてアリガトウということか、バスが混んでいて申し訳ないということなのか、または単に彼の気まぐれなのか。理由は分からないが、運転手が堂々と乗客をフリーで乗せるところが面白い。支払えば僅か2ドルのことだが、バスの乗客たちの親しげな態度といい、旅先で何かとても暖かいものに触れたみたいで嬉しくなってしまった。今度の旅行では、何処を歩いても目に見えない「緊張という風」が背中の方から吹いて来て、一種の冷たさと重苦しさを感じることが多かったが、このバスの中の空気は久々に「優しさ」という言葉を思い出させてくれた。アメリカ人の多くは今度の同時多発テロ事件を通じて、もう誰にも何処にも安全の保障はないことを知り、それ故にお互い仲よく助け合って生きて行くしかない、ということを痛感したのではないだろうか。そして、却って今までより気持ちが優しくなったのではないか。混んでいるけれど優しい雰囲気の市バスの中で、私はそんなことを考えていた。 夕食前、宴会場のオハナルームで明日の組合せが発表された。各チーム6名ずつ、どの組もハンデの合計が平均するように組んである。私のチームはユタ州から来たデール夫人、ロスから来たエド・クリス氏、ハワイのタカラさん、シマダさん、アサトさん、そして私。クリス氏がシングルプレーヤーで私が一番下級武士らしい。お互いに握手して明日の健闘を誓った。ハワイの3人は仲間同士らしく賑やかにキツイ冗談を飛ばし合っている。果たしてこれで明日のゲームはマジメにやれるのだろうか。デイナーの途中で今日のパッテイング・ゲームの成績発表があり、わがチームの成績は「めでたさも中くらいなりーー」で、残念ながら賞金なし。家内のチームは見事3位入賞。何がしかの賞金を獲得した。やがて明日のゲームの競馬表まで貼り出されたのにはびっくり。毎年参加している人達は、誰がどのチームに居るとか居ないとか真剣に考察して馬券作戦を立てている。こちらは何の情報も持たないので、1枚20ドルの馬券を2枚だけデタラメ買いした。明日一緒に回るシマダさんに見せると「それは当たれば大穴だけど、あした雪でも降らない限りダメヨ!」とごく冷たい返事が返ってきた。 食後スロットマシーンで運試し。30ドルの原資が減りもしなければ増えもしない。そこでダラーマシーンに切り替えたらあっと言う間に原資を飲み込んでくれた。部屋に帰ってCNNを見る。テロ活動容疑者の拘束がはじまり、空港の警備体制は益々強化されているらしい。明日の好天を祈りつつ就寝。 |
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