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| 「同時多発テロ直後のアメリカ旅行−ハワイからラスベガスへ」 小林正典 |
| 4月/02 |
| 2001年9月19日(水)ハワイへ出発 グアム空港、朝4時45分。通常より大分早めにチェックインを済ませた家内と私は、カウンター係員の指示に従い、コンチネンタル航空002便ホノルル行きの出発ゲートに向かう。ゲートの入口には臨時デスクが出ていて、搭乗券を改めて再チェックし、済んだ順に待合室の椅子に誘導している。今日であの同時テロ事件から丁度1週間、空港が再開されてから3日目である。待合室には既にかなりの客が居るが、皆じっと座ったまま動かない。時どき上目使いに周りの様子を窺う人が多い。まるで、この待合室にも誰か自爆ハイジャッカーが居るのでは、とお互いに疑っているような硬く暗い雰囲気だ。世界中を震え上がらせた同時多発テロ。米国内の空港は全て閉鎖され、グアム空港も現地時間9月12日(水)朝から直ちに閉鎖された。そして4日後、観光地としての特殊事情を米政府が勘案したのか、米領ではトップを切って再開が許されると、帰るに帰れず滞留していた一万人を超える観光客は、日本からの救援便にそそくさと乗り込み帰国していった。やがて、その帰国騒ぎが終ると島はカラッポになり、空港もホテルもゴーストタウンのように静まりかえった。―――再開してから3日目の朝を迎えて少し動きは出て来たが、今朝の空港もまだまだ全体に重苦しい空気に包まれている。 実は、家内の日頃のゴルフ友達にしつこく誘われて、かなり前から我々夫婦はハワイ経由ラスベガス方面へゴルフ旅行に出かける計画を立て、今朝のこの便を予約していた。しかし、そこへ今度の大事件である。正直言っていろいろ迷った挙句の出発である。待合室でじっと目をつぶっていると、またぞろいろんな思いが湧きあがって来る。――何十回と見せられたハイジャック・自爆テロのテレビ映像。本当に恐ろしい。この非常時にアメリカ本土に向かって旅に出るなんて、不謹慎だろうか。今ならキャンセル料は特別免除だし、航空券の一年間延長も可能である。しかし、ゴルフ好きの家内は随分前からこの旅行を楽しみにしていたし、長い間観光業に身を置いてきた自分としても、ここでシュンとなって引き下がったら、それは即テロに屈したことになる。また、あんな大それた事件を継続して起こすことは不可能だろうから、事件直後の「今」がかえって安全かも知れない。それに、ハワイやラスベガスというアメリカを代表する観光地が、事件後いったいどんな状況になっているのか、この眼で見てみたいという職業意識も多少ある。ハワイ在住の友人達も待っている。ラスベガスで参加することになっているシニアーゴルフ大会の事務局からは「全て予定通りGO」との勇ましいE−メールが入ってきた。―――そんなこんなで、いろんな事をごちゃごちゃ考えた結果「よし、思い切って出かけてみるか」ということになった。要するに、多分に情緒的、非論理的にひねり出した結論である。 やがて搭乗開始のアナウンスがあり、係から搭乗券の半券を受け取って進んで行くと、なんと搭乗ブリッジのすぐ手前にイミグレーションの臨時デスクが出ている。そこでパスポートの入念なチェックを受ける。OKが出ないとブリッジには入れない。係官がビジネス・トリップかと聞くので、ゴルフツアーだと答えると、「OH, GREAT!!」と笑ってパスポートを返してくれた。移民局の係官は睡眠不足なのだろう、眼が真っ赤だった。 コンチネンタル航空002便は6時20分定刻10分遅れで離陸した。このグアム〜ハワイ路線は同社のドル箱路線で、常に満席で飛んでいるそうだが、テロ事件の後にもかかわらず機内は今日もほぼ満席に近い。この数日の空港閉鎖で動けなかった人たちが一挙に乗り込んだのだろうか。毎年今頃は夏休みでグアムに帰省していた学生たちが、ハワイや米本土の学校に戻ってゆく季節なので、それらしい若者の姿が目立つ。チャモロ語で話している老夫婦も何組かいる。ハワイやカリフォルニアの病院にメデイカル・チェックに行く人たちもこの便には多い筈だ。友人のインド人P氏夫妻も乗り合わせている。ボストンに住む長男夫婦に二人目の孫が生まれたので、孫の顔を見に行くのだそうだ。今度の事件にいささか関係のあったボストンだが、二人ともテロのことなど気にかけている暇はないといった様子である。やはり「お孫さん」の吸引力はすごい。 機内アナウンスは珍しくチャモロ語中心で行われている。そのチャモロ語がまた実に流暢で耳に心地良い。奥を覗いて見ると美声の主は50歳くらいの品の良いスチュワーデスだった。やはり今日のこの便には英語が余り解らないチャモロのお年寄りが相当乗っているのだろう。私はひそかにこの便を「チャモロフライト」と呼ぶことにした。やがて機内食のサービスが始まった。エコノミー・クラスの朝食はごく地味で、オムレツまたはフライドライスのチョイスだけである。私は暖かいだけが取柄のフライドライスを選び、そして家内は薄っぺらなオムレツ朝食を取った。家内がオムレツ用にトマトケチャップのミニパックを頼むと、スチュワーデスは「タバスコしかありません」と言って、赤いタバスコのミニパックを3つも下さった。通路の向側に座る白人の少女がマヨネーズを要求していたが、これもまた「ソーリー、タバスコ オンリー」の答えとともに赤いパックが上から降ってきた。小学校の食堂にもタバスコの大きな瓶が置いてあるくらい、グアム島といえばタバスコだ。タバスコ以外のものは積んでいないところが気に入った。この便はやはり“チャモロフライト”である。 日付変更線を越え、あまり面白くもない映画を2本、半分居眠りしながら鑑賞しているうちにホノルルに着いた。日付は一日前に戻り9月18日(火)午後5時半。空港は静まりかえって人影が見えない。バゲージ・クレイムもベルトが動いているのは我々の便のところだけで、他は照明も消えている。この時間に着く便は少ないのだろうか。到着時の検査は特にうるさい事は何もなく直ぐ外に出た。迎えに来てくれたS氏の運転でワイキキのホテルに向かう。ホノルル空港に入る日本人観光客の数は通常少なくても毎日5千人は下らないのに、「テロ事件以来激減してしまい、今日の到着は1500人程度です」とS氏は溜息まじりに言った。車のクーラーを弱くしてもらい、窓を少し開けて外の風を入れてみる。夕暮れが近いとはいえ気温はまだかなり高そうだが、湿気の少ないハワイ特有の空気が頬に心地良い。このBREEZE(そよ風)こそが世界の観光地ハワイの最大の財産だと改めて思う。 宿泊するホテルはツインタワーのハイアット・リージェンシー。35階の部屋に落ち着いて、テラスから夕暮れの海をしばらく眺める。いつものワイキキ同様、今日もかなりの数のサーファーが波と遊んでいるのが遠く豆粒のように見える。だが眼下のワイキキビーチの方はやはり人影は少ないようだ。夕食前の運動を兼ねてカラカウア通りへ散歩に出てみる。やはり日本人観光客の姿は殆んど見えない。T−シャツ、ショートパンツにウオーキング・シューズ。つまりジョギングスタイルの白人のツーリストばかりが目に付く。昔のようにお洒落なリゾートウエアーやムームーなど着ている人は誰もいない。もうそろそろディナータイムなのに、この人達は夕食時もこのジョギングスタイルのままなのだろうか。もっともABCストアーのサンドイッチかファーストフード店での夕食だったらあのスタイルでOKだ。いささか気になるのだが、この際、他人の服装や夕食のことをあれこれ心配するのは止めにしよう。ロイヤル・ハワイアン ショッピングセンターの二階をぶらついていると、どこかからヤケに悲しげな音楽が聞えてきた。それはセンター1階の広場に作られた小さな野外ステージからだった。以前からこのステージでは夕方になると客寄せにミニ・フラダンスショーが行われており、広場はオノボリさん風の観光客で一杯になるのが常だ。しかし、2階から下を覗いてみるとステージ前に見物客は誰も居ない。フラダンサーが独りスローの曲に乗って空しく腰をくねらせている。いつもは甘いムードをかもし出してくれるハワイアン・ミユージックも、今日はただ淋しく哀しく流れてゆくだけである。 夕暮れ時にさびしくなれば考えることはやはり酒である。まして今宵は第一の目的地ハワイに無事に着いたことを祝わなければならない。われわれ二人はセンター2階の隅にある居酒屋にしけ込み、熱燗で和食ということになった。ずっと以前グアムで仕事をしたことがあるという店のボーイ長が、最近のグアムのことをいろいろと尋ねてくる。かなり大きな店に客は我々をいれて6〜7人しか居ないので彼もヒマなのだ。最初は丁寧に答えていたが、酔いがまわるに連れて面倒くさくなってきた。何しろ彼の知っているグアムは15年前のグアムなのだ。「近いうちに一度グアムに来なさいよ」と言うと、彼もこの15年間の空白の大きさを悟ったらしく、「来年3月頃に必ず行きます」ということになった。かくして、来年度ハワイからグアムへの観光客を約1名増やしたところでこの場はお開きとする。 ホテルに戻ると、1階ロビーラウンジの階段脇でジャズバンドが演奏している。ピアノにベースにクラリネット。テーブルに座っている客は3人だけ。何の曲だろう、ピアノが泣くとクラリネットもすすり泣く。リゾート地からいったん人影が消えると、どんな音樂でもこんなに悲しく響くのだろうか。さあ、今宵はお酒の冷めぬうちにおとなしく休むことにしよう。 再び9月19日(水)ホノルルでの休養日 朝6時に目が覚める。日付を抜きにすれば、ハワイの時計はグアムより4時間先を進んでいる。つまり、ここの朝の6時はグアムではまだ夜中の2時である。だが昨夜の酒で時差ボケが吹っ飛んでしまったのか幸いあまり眠くない。カピオラニ公園の方へ朝の散歩に出る。丁度2年前、息子の結婚式で来た時家族で会食してなかなか気に入ったレストランがあった。カパフル通りの大分先だったが店の名を忘れてしまった。今夜出来たらそこで夕食を取りたいので散歩がてら探すことにする。カパフル通りを北へ歩き、2年前の夜の記憶、というより周辺のイメージを思い出しながら探したが見つからない。これ以上探していると、我が家の早朝散歩のノルマ1万歩を超えて疲れてしまうので、諦めて戻ることにした。途中、フェアーウエイが禿げちょろけのアラワイゴルフ場でシニアの人達が早朝ゴルフを楽しんでいる様子を見学したり、教室の窓を開け払って外気を一杯に入れながら授業をしている小学校の中を覗いたりしながらワイキキに戻る。教室の窓を開けたエアコンなしの授業は、ハワイの気候だからこそ出来るのだろう。羨ましい限りだ。 遅い朝食の後、部屋の掃除にやってきたメイドさんと雑談。――9月11日までは80%以上埋まっていたのに、事件後はメタメタになってしまった。ハイアットのタワーは各階18室の構造だが、今日このフロアーは我々をいれて3部屋しか使われていない。ホテル全体で今日は稼働率16%、明日はもっと下がって11%のみ。いつもは一つの階で仕事が終るのに、稼働率が低いといろんな階に行かなければならず体も疲れる。すでに月曜日から残業の禁止とWORK-SHAREが始まったが、このままの状態が続くと当然レイオフが行われるので非常に心配だ。まだ子供が3人も学校へ行っているのでレイオフされたら生活出来なくなる。――ポリネシア系の顔立ちのエデイットさんは、私が元ホテルマンだと知ると、率直に現状を話してくれた。この一週間で事態が余りにも急変してしまったので、不安で、不安で誰かに話さずには居られないという様子だった。頑張れエデイットさん! さて、今日はハワイ在住のM夫妻とT夫妻、すでにグアムから先着しているI夫妻、それに私たち夫婦の合計8名が落合ってランチパーテイーをやる約束になっている。場所は今朝歩いたカパフル通りにある飲茶で有名な中華レストラン。M夫妻がホテルへ迎えに来てくれた。赤と白の鮮やかな花模様のハワイアンドレスに身を包んだM夫人は、グアム在住当時より若返ったみたいだ。先日、腰痛に悩んでいるというE−メールをくれたM氏も、どうやら元気そうなので安心した。8人全員かつてグアムでのゴルフ仲間なので、ワイワイガヤガヤ、和気藹々、誠に賑やかな昼食会となった。この8人で明後日一緒にゴルフをやる手筈になっている。そこで決戦前の今日は余計話に花が咲いた。お蔭で長時間のランチとなり、お腹にズシンとくる炭水化物系の飲茶をつい食べ過ぎてしまった。昼食後の消化運動はここからほど近い「ホノルル動物園」を歩くことにしよう。いままでハワイに来ても動物園だけは縁がなかったので丁度よい機会だ。中華レストランの玄関で記念撮影をした後、T夫妻と連れ立って動物園入り口まで歩いた。夫妻はここからバスで帰るそうだ。半年前にハワイに移ったT夫妻、ミセスは就職出来たがT氏の方はこれから探すのだそうだ。今度のテロ事件で状況は厳しくなった。いまは健闘を祈るしかない。 ホノルル動物園の中は広々していた。いわゆる自然動物園と都市型の動物園を折衷したようなレイアウトだが、公園を散策するような気分でのんびりと見て歩けるのがいい。それにバンヤンの巨木など立派な大木が沢山あって、それらが園内のあちこちに素敵な木陰を提供してくれている。先ずフラミンゴや極楽鳥などの鳥類を見ながら進んで行くと、子供たちに人気の象やゴリラが待っている。そのすぐ隣にはサル山がある。じっと見ていると何故か自民党の派閥争いを思い出した。非常に印象的だったのはガラパゴスの亀。この亀は草食で陸地に住むらしい。体重は100キロ以上あるだろうか。山が動くようにのっそりのっそりと歩き、ホースから水が吹き出ているところへ近寄ると、気持ち良さそうにシャワーを浴びていた。そのとぼけたポーズが可笑しくて思わず吹き出してしまった。園内総面積の3分の1はアフリカのサバンナを模した設計になっていて、草原の小道を探検しながらいろんな動物に遭遇するように工夫されている。遭遇すると言っても、安全性には充分気を配ってあるので、草原でハイエナにまるごと食われて消えてしまった、などということは起こり得ない。キリン、シマウマ、ライオン、ダチョウ、黒サイ、ワニ、ミーアキャット、チーター、ハイエナ等々、アフリカの草原の役者たちには殆んどお目にかかれるように出来ている。草原で一番元気だったのはチンパンジー。柵の前で子供連れが2組見学していたが、チビッコ連中が声を掛けると、チンパンジーは全速力で子供たちめがけて突進してくる。そして、勢い余って子供たちの目の前のガラス壁にドスンとぶつかる。その音の物凄いこと。子供たちはその度にビックリしてのけぞる。子供たちが叫ぶとまた突進してくる。最初はチンパンジーが怒っているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。この若いチンパ君は子供たちと一緒に遊びたくて仕方がないのだ。何回もドスンドスンやっているうちに、お互いに気心はすっかり通じ合ったようで、その光景は実に微笑ましかった。ただ、そのチンパ君の顔がブッシュ大統領に似ているのだけは少し気になるところではあった。 ホテルに帰ってひと休みする。さて、今夜のディナーは何処にしようか。地元の新聞を見ていると、ちょっと気になる広告が目に付いた。和食とPacific Rim Cuisineの店「YANO'S」とある。これはきっと矢野さんというオーナーシェフが経営する店なのだろう。場所は南キング通り。あの辺もレストランの多いところだ。Pacific Rim Cuisineとは何なのか良く分からないが、和食だけでなく、もう少しメニューに幅を持たせて家庭料理的な物も出しているに違いない。私は第6勘で今夜のディナーはそこに決めた。 早速、ホテル玄関に常駐しているタクシーに頼んで南キング通りへ向かう。タクシードライバーは韓国人のユーさん。彼は「矢尾」というレストランは知らなかったが、南キング通りに入ると慎重に徐行しながらすぐに看板を見つけてくれた。いかにも家族で経営しているという雰囲気のこじんまりした店で席数は25席くらい。予約ナシで訪ねた我々でも気持ちよく席に案内してくれた。アルコール・ライセンスが未だなのか、それとも主義として酒は売らないのか、「飲まれる方は、すぐ並びに酒屋さんがありますからどうぞ」と言われて、私は早速すぐ近所のリッカーショップへ行き手頃な白ワインを一本買ってきた。メニューはやはり和・洋と東南アジアを織り交ぜて、独自のメニューを探究しているらしい。お客は日系人と白人と半々くらいだが、気取らず崩れず、みな普段着で静かに食事を楽しんでいる。すきっ腹に飲んだワインが効いて、この日食べた和洋亜合体メニューの詳細は忘れてしまったが、家内も満足していたし、とにかく、主人が一生懸命作った料理を奥さんと娘が丁寧にサービスしている、好感の持てるレストランであった。 明日は家内の友人で日系ハワイアンの人たちと一緒にゴルフ。場所はパールハーバーの近くのNavy-Marine Golf Course。アメリカの軍隊は贅沢なもので、ここオアフ島だけでも軍関係のゴルフ場が5箇所もある。その中でもNavy-Marineは一番人気の高いコースで、週末や祭日などにはなかなか予約が取れないそうだ。それだけに明日のゴルフは楽しみだ。時差の関係でさっぱり眠くならないが、明日は朝が早い、無理にでも休むことにしよう。 9月20日(木)Navy-Marine Golf Courseへ 6時起床。昨夜ABCストアーで仕入れておいたサンドイッチで軽い朝食を済ませ、6時40分、昨夜と同じくMr.ユーさんのタクシーでヨットハーバーの近くのプリンスホテルへ向かう。プリンスにはI夫妻が泊っているのでここで落ち合う。約束通り7時にオマタ夫妻とナカムラ夫妻が車でやって来た。ほかの事には遅刻しても、ゴルフには二日酔いでも遅刻しないらしい。それが「ヤマトタマシイなのよ」なんて言って笑っている。男性組、女性組に別れて2台の車でゴルフ場へ向かう。途中、男性組の車は急にコースから外れて、小さなベイカリー工場の裏口に止まった。運転していたオマタさんが「弁当のマンジューのピックアップ」と言って降車、工場の裏口へ入って行った。暫くすると彼は大きな紙袋を抱えて車に戻り再び発車。彼の説明によると、コース途中で食べる「豚マンとウベ芋アンコの饅頭」を仕入れてきたのだそうだ。コースの途中でこれを食べるのが彼のルーテイーンらしい。Navy Marineゴルフ場は真珠湾を見下ろす丘陵地にある。ゴルフ場への坂道を登って行くと、道路の両脇には一戸建ての洒落た住宅が並んでいる。海軍の将校クラスの住宅かと思って尋ねると、「これは将校より下のクラスの人達の官舎です」とのこと。海兵隊はエリートには違いないが、それにしても贅沢なものだ。尤もアメリカ人の住宅の広さやレベルに対する感覚、アメリカン・スタンダードからすればこの程度のものは当り前なのだろう。 男性組、女性組に別れて予定通り8時スタート。全長6771ヤードとのことだが、距離はたっぷりある。体格のいいオマタ氏の飛ばすこと。ナカムラ氏もフォームは自己流のブッタタキ・スタイルだが、体の小さい割には飛ばしている。I氏がなんとかナカムラ氏に追随している。飛ばないことでは誰にも負けない私は、刻みながら必死になって付いて行くのがやっと。しかし、どんなに叩いても、スロープレーで迷惑をかけることだけはしないのが私のモットーである。今日もその線でがんばる。グリーン周り以外はどこでもカート乗り入れOKなので体は疲れないが、それなりに気が疲れた。結果は私がダブルボギーペースで除夜の鐘の108、ナカムラ氏とI氏が丁度100、オマタ氏が81だった。それにしても、インに入ってから調子を上げたオマタ氏のワン・バーデイー6連続パーの38は見事で、見ていて気持ちの良いゴルフだった。おっとりした人だが、彼はシングルハンデで、このコースでも70台でしょっちゅう回っているらしい。笑顔を絶やさずゆったりしていて、神経質なところが一切ない彼のゴルフマナーには感銘を受けた。 ところで、コース途中でオマタ氏が配ってくれた例の豚マンとウベ芋アンコの饅頭はなかなかの物だった。鮮やかな紫色の餡は珍しく、その適度な甘さが実に良い。アイスクリームは有名だが、ウベは饅頭の餡にしてもグーである。 今回、詳しいことは聞きそびれたが、オマタ氏はかつて海軍では情報関係の高官だった人。その彼がプレー中にごく普通の顔をして呟いたことがある。それはアフガンの戦争のことだが――もう既にアメリカは特殊部隊の第一陣をタジキスタンに送り込んで待機させていること。近日中にインド洋上の空母からの空爆が始まること。この戦争は長くは掛らず、2ヶ月以内に多分終るだろう。もし、2ヶ月以内にカタが着かなければ、アメリカは相当苦労することになるかも。――オマタ氏が余りにも平然とした態度で言うので、私は呆気にとられてしまった。最近まで軍の要職にあった人達の世界ではこの程度の情報は当り前のことなのだろうか。それにしても、近日中にドンパチが始まるということは、これから米本土へ出かける者にとっては些か気になる情報であった。(オマタ氏の語った事は、それから半月後に順次現実のものとなった。) さて、女性軍も男性軍も無事にプレーを終わり、我々8名はクラブハウスで昼食を取った。このクラブハウスには確かサム・スニードという名前が付いていて、屋内全体が彼の記念館風の飾り付けになっていたと思う。印象に残ったのは、二階のレストランに上がる階段の踊り場の正面の壁に掛っていた大きな額である。「サム・スニードの信じられないようなホール・イン・ワンの記録」と書かれたガラス張りの額の中には、彼が生涯にホール・イン・ワンした時の全てのボールが、各ゴルフ場名とホールを示すプレートと共に、整然と並べられている。ボール9個並べた列が4列で合計36個。つまり彼は生涯に36回もホール・イン・ワンをやったらしい。確かに信じ難いような記録である。それに36回という数字もまさにゴルフ的である。 ハワイの乾いた空気の中でプレーした後だけに生ビールが美味かったこと。ピザ、パスタ、サンドイッチ類の中から各自適当にオーダーしたが、どれもボリュームたっぷり。おまけに男性軍は、コース途中で食べた豚マンとウベ饅頭の余韻が未だ残っていて、カロリーオーバーの昼食となってしまった。但し、このことは女性軍には内緒である。帰りがけに一階のプロショップで記念にNavy-Marineの帽子を買ったが、そこの店員が言うには「サム・スニードのホール・イン・ワンは本当は21回です」とのこと。だとすると、あの額縁の36個のボールのうち、15個はいったい何なのだろう?出発の時間が迫っていたので真実を確かめているヒマは無かったが、未だに気になっている。まあ、たとえ21回でも素晴らしい記録であることに変わりはないのだが――。 ホテルに帰ってひと休みした後、カラカウア通りのメガネの老舗パリ・ミキを訪ね、以前この店で買った家内愛用のメガネの修理を依頼する。その足で最近内容を一新したというDFSギャラリアを覗いて見る。1階は大正末期から昭和初期の頃(1920年代)の古き良き時代のホノルルの町並みを再現したというワイキキ・ウオーク街。ミュージック店、T−シャツ、ゴルフ用品、食品、各種おみやげ雑貨、軽食グリル、コーヒーショップ等々いろいろと有るが、ごちゃごちゃした感じで落ち着かない。また古き良き時代の雰囲気もない。2階はカジュアル・ファッションと革製品や香水など。通りに面して店の角には、1階と2階にまたがるチューブ式の回遊ミニ水族館が有るが、これもちょっと中途半端。3階は「免税フロア」で、高級ヨーロッパブランドが揃っているらしい。しかし、私達はエージェント経由の「お買物カード」を持った旅行者ではない、ということで3階への入場は拒否されてしまった。免税店には「旅行者」しか入れないのだそうだ。私たちも旅行者だと言うと、それでは航空券を見せてくれと言う。ホテルに航空券を取りに戻ってまでDFSに入る義理もないので、「免税フロア」はあきらめて退散することにした。――グアムは島全体がフリーポートで免税の島である。しかし、ハワイは免税の島ではない。免税店をハワイで運営するには特別の認可が必要である。そして、その認可された免税店には「旅行者」以外の人を誘客してはいけない。だから、本当の旅行者かどうかをチェックします――DFSの係りの人の説明はこのようなことであったと思う。理屈は理解できるが、本当にそのように正しく運営されているのだろうか。そしてまた売値も免税分だけちゃんと安く値付けされているのだろうか。特別のお客様しか入れないフロアです、と言って権威付けし、顧客心理をくすぐるだけの[免税フロア]なら、余り意味はないように思うが。果たしてどうなのだろう?ABCストアーで飲物など買い込んでホテルに帰る。ホノルルだけでABCストアーは26軒もあるそうだが、テロ事件で客足がこんなに落ちてしまうと、「客の数」で勝負が決まるこのような店はさぞかし経営が大変だろう。 夕方、I夫妻から電話が来た。きれいな夕陽が見られそうだから、今からハレクラニホテルのガーデンテラスで一杯やりましょう、という誘惑の電話である。夕映えの空と海、そして波の音をバックに繰りひろげるハレクラニのガーデン・ショーは、古き良き時代のハワイアン・エンターテインメントの伝統を守っており、シニアー層を中心に未だに人気は衰えない。トワイライト・タイムを逃さないように急いで駆けつけると、I夫妻はすでにテラスで飲んでいた。早速、ジントニックを注文し、甘く切ないハワイの夕暮のムードに浸る。きょうの夕焼けはそんなに赤くはないが、まあ何とか絵にはなっている。別にどうと言うこともないのだが、このテラスに座ると、海と空、バンドステージ、ダンスを踊る人などの高さの関係が絶妙で、全てが自然に眼に入ってくる。つまり、目線に全然無理がないので、誰でも落ち着いた気分になれるのではないだろうか。また、ホテル側も雰囲気作りには細かく気を使っている。バンド演奏だけでなく、カップルが2〜3組踊らないと絵にならない時には、スタンバイしている品の良い「さくらカップル」の出番で、彼らが客を装って楽しげに踊りだす。客が誘導されて踊りだせば、彼らは頃合を見て上手に消えて行く。舞台裏では細かな演出がなされているのだ。サービス業では、雰囲気を作ってそれを売ることが非常に大事だが、このテラスの商売はまさにその一つの典型だと思う。―――ほろ酔い気分に浸っていたら意地悪なシャワーがやってきた。お客は屋根の下に逃げる。すぐに止んだのでまたテラスに戻る。その度に従業員はタオルやダスターを持ってテーブルセットに駆け回っている。しかし、だからといって長年このテラスに屋根は架けない。青天井のガーデンテラスの価値をホテルも客も充分知っているのだ。今夜もテラスは満席に近かった。 ハレクラニで飲んでいるうちに、今夜の夕食は「居酒屋・呑兵衛」が良かろうと言うことになった。I夫妻が昨夕すでにテスト済みの店である。場所は例によってレストランの多いカパフル通りからオル通りに少し入ったところ。I氏が一旦プリンスホテルに戻って車を持ってきてくれたので、それに同乗して早速出かける。店はコジンマリしていて感じがいい。料理も酒飲みの好きそうなものが適当にそろっている。年増の女性が二人でサービスしていたがなかなかの勧め上手。うっかり口車に乗ると、何でもかんでも食べたくなって注文し過ぎてしまう。酒は男山の冷酒にしたが、適当な辛さなので舌に飽きることがなく、おかげで少々飲み過ぎてしまった。終始、節度?を持って飲んでいたI氏の運転でホテルまで送ってもらう。明日はまたゴルフ。場所はワイケレ・カントリークラブ。昨日ランチを共にしたM夫妻とT夫妻が一緒だ。グアムでは皆同じサンデークラブの仲間だった人達なので、明日は「サンデークラブ臨時ハワイ大会」ということになる。 |
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