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| 「中国・雲南の旅−少数民族とお茶の源流を訪ねて」 小林正典 |
| 3月/02 |
| 6月16日(土)晴れ 景洪から再び昆明そして石林へ 旅行中大した物も買ってないのにだんだん荷物が膨らみ、荷作りに少し手間取る。それでも荷作りは頭の使いようで何とか納まるものらしい。比較的ゆっくりと朝食を済ませ、8時過ぎホテル泰園酒店をチェックアウトし景洪空港へ向かう。ガイドの陳さんとはここでお別れ。雲南航空3Q4461便に乗り10時半昆明着。1週間ぶりに再び常春の高原都市に舞い戻った。まだ早いのでホテルには行かず、このままバスで126キロ南東の「石林」見学に出発。 クマさんは昆明のワンルーム・マンションに住んでいる。丁度1週間ぶりに昆明に戻り、今夜はガールフレンドに逢えると朝から張り切っている。90平米200万円位のマンションを買って早く結婚したいが、日本人のお客さんが沢山来てくれないと貯金が貯まりませんとのこと。昔は石林まで7時間もかかったが、99年の世界園芸博の時に道路を整備し2時間で行けるようになった。ところが、今またハイウエイ建設が進んでいて、来年は石林まで40分で行けるようになるそうだ。「そんなに道路ばかり作ってどうするの」と問うと、「誰かが儲かります」と言ってクマさんは笑った。クマさんから聞いた気になる話。――最近、暴力団はお金になることは何でもやります。手榴弾が100元(1500円)、ピストルも700元(1万円)で売ってます。三峡ダムは2005年完成予定だが、雲南省でも政府はメコン上流に既にダムを二つ完成し、これからも大理と景洪の間にあと二つ新しいダムを造る計画です。発電量を増やしてミャンマーやラオスなどに電気を売る為です。しかし、余りダムを造るとメコン下流のラオス、タイ、カンボジア、ベトナムでは水量や流れが変わって、洪水や渇水など生態系や人々の生活全般に物凄く悪影響が出ると心配されてます。中国の人口は現在12億9435万人と発表されているが、実際は13億をとっくに超えている筈です。――クマさんの話は常に多少の危険性を孕んでいるが、いずれも生の情報で旅行者にとっては非常に新鮮だ。改革・解放以前の中国旅行なら全行程に付くクマさんのような通訳・ガイドは、逆に旅行者の言動を見張る公安の役目を果たしていた。まして彼のように国家の恥部を明かしてくれるガイドなど考えられもしない。しかし、だからと言って油断禁物。中国は単純な国ではない。 遠くにゴルフ場が見える。昆明近郊には既にゴルフ場が4ケ所あるそうだ。麗江にも来年は初めてゴルフ場が出来る。海抜2500mで球はよく飛ぶだろうが、果たして呼吸困難にならないだろうか。私はご免こうむりたい。陽宗海という湖のほとりの土産物屋で同行の中年女性たちが、淡水パールの美肌クリームを買い込んだ。いまさら手遅れだとは申しません。真珠はこの湖の名産らしい。 湯池という町を通過した。日本の団体温泉旅館のような建物が目立つ。地名が示すとおり、この辺は温泉が湧くので温泉ホテルが沢山あるのだそうだ。ただし、いずれもクアハウス的な運営が多く日本の温泉旅館とは大分趣が違う。山岳地帯に入りバスは切立った山と山の間を抜けて行く。ふと上を見上げると遥か断崖の上の方に動くものがある。なんと、断崖にへばりつくようにして走っている列車だった。クマさんの説明によると、この鉄道は「昆河(クンフー)鉄道」と言って昆明とベトナムの国境の町・河口(フーコウ)を繋いでいる。歴史は古くフランスがベトナムを植民地支配していた明治の末期にフランスの技術によって完成した。レール幅が1メートルの狭軌鉄道だが、雲南の険しい山の中腹や渓谷を縫うように走るので、最近は秘境鉄道の一つとして脚光を浴びている。70年代の中越戦争以来文字通り「越境」は途絶えていたが、96年から再び国際列車として越境運行が再開された。それにしてもすごい所にレールを敷いたものだ。高所恐怖症の人は恐ろしくて車窓から下を見ることも出来ないだろう。その後、松の葉を燃やして作る雲南ダックの燻製の町や、犬の肉の料理で有名な村などを通り抜けて、やがてバスは有名地「石林」に到着した。 中国人は石林のことを天下一の奇観と言うそうだが、全く不可思議な物が地球上に出現したものである。三万ヘクタール、見渡す限りの石灰岩台地でカルスト地形というのだそうだ。2億7千万年前には海の底であったものが地殻変動で隆起し、溶解と風化を重ねて約200万年前には現在見る石峰群が生まれたそうだ。石柱は5mから30mと高さも形もいろいろだが、一面灰色一色の奇怪な石柱の広がりはとてもこの世のものとは思えない。狭い石柱の間をくねくねと縫っている遊歩道には、中国各地からの観光団の人々が切れ目無く続く。展望台へ向かう急な石段などは、上の展望台が超満員なのでにっちもさっちも行かず糞詰まり状態だ。残念なのは幾つかの立派な奇岩の壁面に偉い政治家の詩文などが刻まれていること。おまけにその刻んだ文字には真っ赤なペンキが塗りこめられている。こうゆう自然破壊を平気でやる中国人の神経はちょっと理解に苦しむ。百歩譲っても、かつて偉かった人も時代が変わればいつ偉くなくなるかも知れないではないか。現に非常に人目につく岩肌に毛沢東の詩文が刻まれていたが、作者・毛沢東の名前だけはすでに削り取られていた。 大きなレストランで誠に質の悪い昼食を食べて帰路に着く。有名観光地の団体食堂は何処の国でもお粗末。帰りの高速道ではかなりすさまじい交通事故現場を見た。運転の荒っぽい割りに事故が少ないのがむしろ不思議なくらいだ。夕方、我々のバスは先日泊まったホテル錦華大酒店に無事にすべり込んだ。 夕食は四つ星ホテルのひとつ昆明飯店のレストランまで出かける。今夜が最後の晩餐になるので、雲南名物の「過橋米線」を組み込んだコースをトライする。過橋米線とはウルチ米の粉でつくった米麺がメインの熱い汁麺料理。米線は昆明をはじめ雲南全域でのいわば日常食だが、その日常食に多彩な具を加えて豪華料理に仕立て上げたのが過橋米線である。橋の向こうで働く夫に妻が油膜の張った熱々のスープ麺を届けた美談からこの料理名が生まれた。熱々の鶏のスープに薄切りの生肉、魚、香辛野菜、うずらの卵、その他の具を入れ、スープは唐辛子や醤油で自分好みに味付けする。そして、そのスープに米線を入れて食べる。しゃぶしゃぶか又は鶏ガラだしのウドンを食べてる感じで特に感動する程のものでもないが、自分の好みでいろんな味が作れる面白さと、ご飯と同じで米線そのものに癖が無く飽きが来ないのが良いのだろう。 夕食後、少数民族の伝統歌舞ショーを見に街に出かけた人もいたが、E氏とN先生と私の3人は泊っている錦華ホテルのバーで静かに飲むことにした。ところがホテルに戻ってみると、垢抜けないが一応カジュアルに着飾った男女でエレベーター前が騒々しい。今日は週末、若者たちはホテルのデイスコに、そしてもう少し年上のカップルはナイトクラブがお目当てらしい。好奇心からちょっとドアーを覗いてみて驚いた。デイスコもクラブも大入り満員だ。ただ板についてる客は少なく、何となく見栄を張って無理してる感じの客が多かった。きっと週末ホテルで遊ぶことがステイタスになりつつあるのだろう。我々熟年3人はロビー奥のピアノバーにしけ込んだ。もうピアノ演奏は終っていて、昆明の最後の夜は誠に静かに更けていった。因みに、喉越しの良さで有名なチンタオビールが20元(300円)、シーバスの水割が30元(450円)であった。 6月17日(日)曇り 西山森林公園・そして帰国へ 今日は郊外の西山森林公園を見て昼食の後、14:40分発の大阪行きJD232便で帰国する日である。荷作りを済ませたら午前中ゆっくりしたいと思ったが、このツアーはそんな気ままは許してくれない。組まれた旅程の最後まで頑張るのみである。N医師は昨夜のシーバス水割りの氷が悪かったらしく下痢でダウン。水に気をつけていても氷でやられることがあるので要注意である。先生は出発時間までホテルで休むことになった。 9時過ぎ昆明湖に向かって出発。昆明湖は琵琶湖の半分ほどの大きさだが海抜1900mの高原の湖で魚類やエビが豊富だ。西山公園は湖の西岸に広がるスケールの大きな森林公園で、昆明市380万、その周辺180万の人びとの憩いのピクニックランドとなっている。バスは途中ガス・ステーションに立ち寄った。レギュラー・ガソリンはリッター2.8元(42円)と標示されている。日本より安いが中国の物価水準からすれば決して安くはない。森林公園内の道に入ると、きょうが日曜日のためか家族連れや小グループがぞろぞろと徒歩で登ってくる。クマさんが「公園内を歩くときはケショウヒンに気をつけて下さい」と言う。これは彼のいつもの間違いでキチョウヒンのことなのだ。旅行中何度も同じ間違いを繰り返したので、我々はクマさんがケショウヒンと言ったら貴重品のことだと納得するようになってしまった。 公園内には中国の国歌の作曲者として有名なニエアルの墓と記念館がある。昆明出身の共産党員だった彼は軍閥政府の弾圧を逃れて昭和10年日本に滞在中、後に国歌となる「義勇軍行進曲」を作曲し劇作家で作詞家の田漢に送付した。彼は同年の7月17日泳ぎに行った鵠沼海岸で24歳の若さで水死してしまうが、数多くの愛唱歌を残しているそうだ。義勇軍行進曲は「風雲児女」という映画の主題歌として作られたものだが、「起て、奴隷となるな人民!」とメロデイーも歌詞も勇ましいので革命戦争中に全国に浸透し、1949年の第一回全体会議で正式に「国歌」となった。作詞の田漢は文革で殺され、彼の原詞は変更され「毛沢東賛歌」に変わっていたが、改革・解放後の82年に再び田漢の原詞に戻されて現在に到っている。なお、ニエアルとの縁で昆明と藤沢市は姉妹都市になっているそうだ。なかなかハンサムなニエアルの銅像の前にして、私は時の権力者と芸術の関係についてしばし考え込んでしまった。 西山公園は海抜2500mに近いためか、例によってふわふわと足が地に付かない感じになって来たが、頑張って禅寺を見学したり、土産物屋を冷やかしたりする。水墨画、書画、掛け軸を売る店では、李先生とかいう偉そうな書道家らしき人がいて。1m程の紙に頼みもしないのに私の名前を入れて「風林火山」と書いてくれた。大して達筆ではない。「李先生は9月にNHKの番組に出ます。三越デパートで個展もやります。」などと店員がささやいて、我々に先生の掛け軸を買わせようとする。かつてはこの手で随分売れただろうが、もうその手は古い。何か次の新しい手を考えなさいと逆に忠告してあげたくなった。 西山を降りて市街の大きなレストランで今回の旅行の最後の食事。どんどん料理は出てくるが、全員ほとんど食欲なし。流石に連日連夜の中華料理攻めで胃袋が拒否反応を起こしている。ウエイトレスが心配そうに尋ねるが、みな力無く笑っているだけ。隣のテーブルでは中国人が嵐のように食っている。 もうじきお別れの時が近ついて、クマさんは益々雄弁になった。彼の話をもう少し記録して置こう。―――雲南省の人口は約4300万人、そのうちの3分の2が漢族で、残りの3分の1(1400万人)が25の少数民族に分かれる。少数民族の人口が1000万人を超えるのは雲南省、貴州省、広西壮族自治区の三つだけだし、中国全体の少数民族の数55種の内、25種が雲南省に存在するから、「雲南省は少数民族の宝庫」と呼ぶのは正しいと思う。観光客から見ればそれぞれの民族がそのアイデンテイテイーを失はずに存在し続けることが望ましい訳だが、IT革命・近代化、世代交代、交通網の発達がどんどん進んでいくこれからは、それぞれの文化、生活習慣を守っていく事は益々難しくなると思う。 同時に、漢族と少数民族の対抗意識がある一方で、実は少数民族間の日頃の軋轢も絶えることはない。しかし、皆それを上手に乗り越えながら暮らしている。また、雲南から北京は遠いし東南アジアに近いこちらは経済圏も異なる。中国全人口の93%を占める漢族が握っている現在の北京中央政府に対して、雲南の人々、特に少数民族の人々はクールな感覚をもっている。常に時の権力に対してはある種の猜疑心を抱いていると言えるかも知れない。――湖北省出身で漢族の青年であるクマさんはかなり客観的に雲南を見ている。そして、彼の本音は「雲南を旅するなら今のうちですゾ」と言いたいのかも知れない。 ホテルに寄ってN先生を拾い昆明空港へ向かう。先生のお腹も大分調子が戻った様子だ。「春城」と呼ばれる常春のこの街には街角に花屋が目立つ。団員12名のうち、脱水症1名、下痢をした人4名、風邪を引いた人3名、お腹が詰まって困った人が若干名。軽い高山病に罹った者ほぼ全員。しかし、とにかく全員無事に帰国便に乗ることが出来そうだ。クマさんはじめ皆さんに多謝――。 旅行中、あちこちで「中国化石集団」という看板を掲げたガソリンスタンドを見てきた。これは中国石油事業団というような意味のようだが、毎日この大きな看板文字を見ているうちに、私の頭の中に妙なイメージが沈殿して離れなくなってしまった。――『化石集団』とは、かなり平均年齢の高い我々グループのことを指しているような気がしてきたのである。つまり、中国雲南の各地をうろつく化石に近い人々の集団である。この話をE氏とバスの中でして大笑いした。――化石どころか、若くてやる気まんまんのクマさんは「今から彼女とデートです」と言って、盛大に手を振りながら去って行った。 われら「中国化石集団」を乗せたJD232便は、14時40分関空に向け無事昆明空港を後にした。この日の昆明の空は薄っすらと曇っていた。 (おわり) |
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