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「中国・雲南の旅−少数民族とお茶の源流を訪ねて」 小林正典
1月/02

6月14日(木)快晴  大理からシーサンパンナへ

 何と厳しいツアーであるか。朝5時20分モーニング・コールで起こされる。6時前に廊下にバゲージ・アウトし、眠い眼をこすりながら食堂へ。昨夜飲んだ雲南ワインと北京ワインの相性が悪かったのか少し頭痛がする。例によって朝食はお粥を流し込んで7分で終了。6時40分にはもうホテルを出発していた。大理の空港は市街からわりに離れているので45分はかかる。今日のシーサンパンナ行きのフライトが予定より一本早い便になったとかで、マイクロバスは飛ばすこと飛ばすこと。例によってセンターラインの無い道路を幅いっぱいに使って追越しカーレースの展開である。お客の方ももう慣れてしまったのか余り悲鳴はあげなくなった。途中、街路樹が西から東に全部35度くらい傾いている妙な光景が目に付く。大理の街の別称に「風の町」というのがあるが、毎年ある時期になると蒼山の峰々の切れ目を抜けて強烈な西風が吹きつけるため、街路樹がオジギしたままの形に固まってしまったのだそうだ。

 7時30分大理空港到着。空港は耳海を挟んで蒼山連山と反対側の丘陵地帯にあるのだが、風の強い日は離着陸が難しくてパイロット泣かせの空港だとクマさんが言う。幸い今日はおだやかな快晴で風も雲もない。セーターにGパン姿の娘がこちらにやってくる。よく見ると地域ガイドの仲さんだった。見送りに来てくれたのだ。ペイ族の民族衣装からカジュアルに変わると随分感じが変わるのでびっくりした。「大理の親元を離れて沿海州の方へ働きに出たいが、一人っ子だし父親が絶対に許可してくれない」と嘆いていた彼女。その未来に幸いあれ。あんなに急いで空港に来たのに整備に手間どっているのかなかなかボーデイングにならない。時間つぶしに空港ロビー売店を皆で冷やかす。おもしろいオバサンが居て、我々が値切るとしばらく間を置いてから「よし売った」と言ってかなり値引きしてくれる。我々も「よし、買った」と大声で対応した。ペイ族の小物入れショルダーバッグ30元が20元に。麗江の玉龍雪山の紅豆杉で作った幸運の箸15元が10元に。しばしの間、売店は「よし売った」「よし買った」で大賑わいになってしまった。寅さんではないがやっぱり店頭販売は気合だ。後で考えると結局はオバサンに(してやられた)のかも知れないが、朝の眠気を吹き飛ばす愉快なショッピングであった。

 8時30分雲南航空3Q4461便シーサンパンナ行きは漸く大理空港を離陸した。機の窓から見ると4,000m級の峰が連なる蒼山と澄んだ水をたたえる耳海は朝日に輝いて、まさに中国人の言う『山水如画』の美しさを見せていた。

 ほぼ真南に飛ぶこと1時間半、眼下の風景はすっかり南国風に変わり、機は西双版納(シーサンパンナ)タイ族自治州の州都である景洪(ジンホン)に無事着陸した。同行メンバーの中でいつも一番声の大きいH氏がじっと黙ったまま座席から動こうとしない。ふざけているのか眠っているのだと思い、皆で声を掛けたが全然反応がない。隣の座席にいたT氏夫人がH氏の肩をゆすっても反応がない。夫人が顔面蒼白になり、H氏の体が硬直していると言ったので大騒ぎになった。同行の医師N氏が脈を取る。脈はあるが意識不明の状態なので、(取敢えず座席の上の酸素マスクで酸素吸入し、大至急救急車で病院へ運ぶべし)という指示が出た。我々は驚いてポカンとしているエアホステスたちに英語でそのことを頼んだが、全然通じない。誰かが中国語で怒鳴るとやっと彼女等も動き出した。「救急車で病院まで一緒に付き添います」と言ってくれたN医師ひとりを機内に残し我々は機から降りた。同行の中に信頼できる医師が居ることは本当に心強い。―――10分程してやっと救急車が到着。クマさんは迎えに来ていた陳さんというこの地区担当ガイドとの挨拶もそこそこに、「私も一緒に病院へ行きます」と言って救急車の方へ全速力で走っていった。

 H氏のことが心配なので我々も先ず病院に回ってみる。病院の駐車場にバスを止めてじっと待つこと1時間。N医師が出てきて「酸素吸入をし、点滴を急ぐうちH氏の意識も戻りました。もう命に別状はないでしょう」と告げてくれた。H氏は昨夜からかなりひどい下痢をして、体が水分不足の状態だったところへ、飛行機の中が暑くて汗をかいたため脱水症状を起こし、体が硬直し意識不明に陥ったとのことだった。H氏には糖尿病があるのだが、糖尿のひとは特に脱水症状になり易いので要注意とのことだった。もうしばらく水も飲まずにあの状態で飛んでいたら命が危なかったらしい。長時間の飛行でなくてよかった。H氏は(皆と一緒に行く)と言い張って病院の主治医に叱られ、今夜一晩入院して静養することになった。クマさんも付き添い兼通訳として病院に泊まることになった。ひと安心したN先生がトイレに行きたくなり、私も一緒にそれらしき所を探してあげたが見つからない。先生の事態は急を告げているみたいなので、私が廊下を歩いている看護婦を呼び止め、持っていた紙切れに[厠]と書いて示すと、ニコッと笑ってN先生を連れて行ってくれた。漢字というものは有難いものである。厠からすっきりして戻ってきた先生から聞いた裏話だが、雲南航空の機内酸素マスクをH氏に装着したら、それまで意識の無かったH氏の手が動き出し、マスクを懸命に外そうとする。何かおかしいと思い先生がチェックすると、マスクから酸素は全然出ていなかった。つまり、H氏は酸素の出ないマスクを当てられて、その息苦しさが一種のショック療法となって失神状態から蘇生したのだそうだ。まさに怪我の功名であった。
先生の話だとH氏の治療をした病院(残念ながら病院名を忘れた)の救急治療は、ドクターの診断も的確だし看護婦も動きが機敏で気持ちが良かったそうだ。びっくりしたのは酸素吸入で、日本の3倍位の強さでバンバン酸素を吸わせるので、患者が風船みたいに膨らんでしまうのではないかと思ったそうだ。

 さて、H氏の脱水症事件で2時間以上の時間をロスした我々はこの日の予定行動に入った。景洪の町から50キロ程西の孟海という田舎町まで急ぎ、先ずはその町の老舗らしい古びたレストランで昼食を取った。店の庭にはタイの仏教寺院を模した高さ5m程の東屋が建っている。ここがタイ族の地であり、またラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムなど東南アジアに極く近いところまで南下して来ていることを実感する。――シーサンパンナ州の人口は80万人で,タイ族が3分の1、漢族が3分の1、残りの3分の1はヤオ族、ハニ族、ワ族、ブーラン族、ジノー族、ラフ族などである。州全体の60%は森林で熱帯雨林気候圏に属しており、広大な原生林には2万種を超える動植物が生息し、地球上の生物の宝庫の一つと言われている。

 腹ごしらえを終えて、これから孟海の西150キロの奥地までドライブに出かける。山奥に今なお生きている「野性茶樹の元祖」を訪ねるのだ。せっかく高山病が治ったのに再び高地に入り、しかも最後にきつい山登りが待っているとかで、辞退する人が何人か出た。しかし、今回のツアーのテーマの一つが「お茶の原流をたずねて」ということなので、私は義理堅く参加することにした。70キロほど平地を走ったところで景真という村に着く。そこで重要文化財の「八角亭」というタイ式仏教寺院を見学した後は、ひたすら遠くの山に向かって走り続ける。平野部の殆んどはタイ族と漢族の領域で水田や砂糖キビ畑や竹藪が目立つ。米は年に2〜3回は収穫出来る。しかし、その他の少数民族は高地や山岳に暮らしている。道路には白樺でなく金樺の並木が目立つ。農地をつぶしての高速道路建設がここでもそろそろ始まっている。やがて流砂江という茶色く濁った急流が見え、道路はその川に沿って次第に山岳地帯へ入って行く。
陳さんの説明によると、この辺は海抜900mまではゴムの木の森林が多く、900mを超えると茶畑に変わるとのこと。1,000mを超える高地でないと良質のお茶は育たないらしい。山に入ってから道はますます悪くなり、マイクロバスは悲鳴をあげて揺れる。先日來鍛えてきた尾低骨をまた徹底的に鍛えなおすことになった。孟海を出てから悪路を3時間、やっと目的地の巳達にたどり着いた。
「茶樹の元祖」を訪ねるには、ここにバスを置いて更に山道を徒歩で登らなければならない。我々は水筒を抱えて往復1時間半のピクニックに出発した。

 目的の茶樹まであと半分というところで急に息苦しくなってきた。考えてみれば既に海抜2,500m近いところまで来ているのだ。高山病の再発らしい。周囲の景色が素晴らしいので少しここで休むことにする。もうミャンマーとの国境は目と鼻の先だが、ここから眺めるミャンマー側の山並みは幾重にも重なり合って実に美しい。――しかし、この辺一帯のミャンマー山岳地帯はケシの栽培で有名なワ族の縄張りである。世界の麻薬市場に出回るヘロインの八割がこの山地で生産されていると言われ、彼らはミャンマーの軍事政権とも密接に繋がっているという噂がある。――しばらくじっと眺めていたが、風に揺れると優雅なあのケシの花は此処からは見えなかった。先を歩いていた医師のN先生が戻ってきた。茶樹との面会はシンドイので諦め、時間までその辺を散歩するとのこと。今朝から先生は大活躍されたし無理は禁物。私もその考えに賛成し二人でいま来た山道を引き返すことにした。

 実は運転手の彼女らしいが、王さんという漢族の娘がガイド研修の名目で一緒にバスに乗って来ていた。私は彼女を誘いN先生と3人で近くのハニ族の部落まで散歩に出かけた。海抜2,000m近い山の急斜面に草葺の粗末な民家が40戸ほどへばり付いている。豚も鶏も放し飼いで自由に部落の中を走り廻っている。腰の曲がった老婆が我々に何かしきりに話しかけるが全然分からない。王さんにも通じないらしい。尤も例え通じたとしても、王さんと我々の間が通じないのだからどうしようもない。もう夕暮れも近いので、水牛の鼻を引きながら村人が三々五々周辺の山から帰ってくる。少女がひとり細い竹の樋から落ちる引き水で体を洗っている。濡れたセピア色の肌が夕陽の中で艶やかに光った。

 途中で落伍した人も出て茶樹の元祖に触れて戻ってきた人は結局4人だけだった。樹齢1700年の古茶樹なのだから一生の思い出になるだろう。4人の顔には達成感がみなぎっていた。7時過ぎ巳達の山に別れを告げて帰路につく。8時頃までは暗くならないので、夕映えの山並の色彩の変化を楽しみながら山を下る。谷底からまるで大合唱のように湧きあがって来る蝉時雨を聞きながら、油絵から淡い水彩画へ、そしてやがて灰色と黒の水墨画へと移り変わって行く大自然の時間と空間のグラデーションを心ゆくまで楽しんだ。

 孟海の町に帰着した時には既に夜9時をまわっていた。往復7時間の猛烈ドライブも無事終了した。今夜の宿は「金福ホテル」という商人宿。名前は上等だがお化けの出そうな三流ホテルだ。うら寂しい食堂で遅い夕食を済ませて部屋に入る。バスルームに暗い裸電球が一つ点いている。石鹸もない。シャンプーもない。別にアメニテイー・グッズは置いてなくても良いが、せめてもう少し清潔感のある管理は出来ないのだろうか。部屋のテレビの横には中国製のカップラーメンが料金表と共に数個積み上げてある。夜食にどうぞという訳か。

 窓から外を見ると、道路を挟んでホテルの真向かいにはマッサージ屋があり、5〜6人の女性が部屋でごろごろしながら客待ちして居るのが見える。目の保養には少し距離が有り過ぎるが、ソファーに掛けたり床に寝そべったり、好き勝手な格好をしている彼女たちを見ている方がテレビを見るより面白い。彼女達を肴にE氏とふたりでチビチビと部屋で寝酒を飲む。男性客が二人彼女たちの部屋に入って来た。すると女が二人立ち上がり男性の首に両手を回して、まるで蝉が止まるみたいに男性に抱きついた。女性の服装も派手だし、どうもこのマッサージ屋はいわゆるタイ式マッサージではなく、人類最古の商売の方らしい。余計なことを想像しながら飲むと悪酔いする。カーテンを閉めてもう寝ることにした。ホテルの上の階にカラオケバーがあるらしく、誰かがダミ声で盛んに唸っている。いい加減にして貰いたい。

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