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「中国・雲南の旅−少数民族とお茶の源流を訪ねて」 小林正典
11月/01

まえがき

 スマートで垢抜けしてお洒落なリゾートも好きだが、どちらかと言えば「秘境の旅」への憧れが強い私は、以前からあの広大な中国大陸の奥地へ、それもなるべくなら気候温暖な南の方の奥地へ一度は行ってみたいと思っていた。しかし、中国の田舎を旅した人たちから、オンボロの国内線、水の悪さ、油の強い食事、プライバシー・ゼロのトイレ事情などなど、いろいろ恐ろしい話を聞かされると、ついフンぎりが着かずに月日は流れてしまった。

 だが、市場経済化の波に乗って急激に変貌してゆく中国では、沿海州のみならず、少数民族の故郷と言われる雲南省などでも「開発」が進み、同時にその独特の文化資源がテレビや旅行誌などで盛んに取り上げられたために、いわゆる「観光地化」が年々進んで、最早むかしのような素朴さは失われつつある――という業界情報を聞くにつけ、これは急がなければという気持ちを強くしていた。そんな訳で、今回タイミングよく日中友好協会が「雲南の旅――少数民族とお茶の源流をたずねて」という企画を行うことを友人から知らされた時は、チャンス到来とばかり早速参加を申し入れた。

 人口6千人以上で構成していれば、一つの少数民族として政府から認知されると聞いたが、中国には現在55の少数民族が実在し、そのうちの25の種族が雲南省内に定着している。従って、雲南を歩くことはまさに少数民族の地を歩くことになる。しかし、一口に雲南を歩くと言っても面積は非常に広く、丁度日本の国と同じくらいの広さである。そのため今回の旅は「大理」を除いては全て一泊ずつで移動を繰り返し、なんだか毎晩荷作りばかりしているような(気ぜわしい旅)となった。

 また、昼と夜の温度差が大きいために風邪を引いて喉をやられたり、海抜の高いところをウロウロするので高山病にかかり、足腰は重く呼吸は苦しく、頭はボケて記憶があやしくなり、また、命がけの中国式ハイウエイ走行に肝を冷やしたり、山岳悪路のドライブでビテイ骨割りを何度もやられたり、雲南航空の酸素の出てこない酸素マスクで、仲間の一人が危うく死にそうになったり、数々の体験を乗り越えて、とにかく旅は苦しく楽しく無事に終了した。

 素朴な暮らし、伝統織物、繊細な刺繍や染色、華やかな民族衣装の娘たち、歌や踊り、独特の料理、特色のある村々の建築等々、記憶と記録に留めて置きたいものは沢山あるが、映像か写真ならともかく、とても私の文章だけでは無理のようだ。残念ながらそれは「百聞(文)は一見に如かず」の世界である。

 まあそんな訳で、中身の余り濃くない「駆け足旅行記」になってしまったが、お読みいただき、雲南の「今」に少しでも興味を持って頂ければ誠に光栄です。


6月9日(土)大森で前夜祭

 明日からは中国旅行。関空9時40分発の雲南省昆明行き日本エアーシステムJD233便に乗るためには、逆算すると羽田7時半発で関空に向かう必要がある。それに、一行12名の団体旅行なので,国内線であっても集合は少し早めにして出発一時間前。即ち朝6時半羽田ということになる。
東京郊外の住人が早朝6時半までに羽田に現れるのは、じっと考えてみると相当大変なことが分かってくる。一緒に出かける友人、ジャーナリストのE氏と内科のドクターN氏も郊外の住人なので思いは同じ。そこで羽田に近いホテルに3人で前泊することにした。予約したホテルは京浜急行沿線の大田市場にある三井アーバンホテル。夕方までに各自チェックインした。築地市場の何倍もありそうな巨大な大田市場のまん前に立つ立派なホテルだ。羽田に近いし市場関係者にとっては便利なホテルだろうが、周りを見回すと巨大な市場の建物以外にはラーメン屋一軒ない。朝の早い市場はもう既に閉まったのだろう、辺りは気味が悪いくらい静まりかえって野良犬一匹見えない。やがて窓の外が暗くなるにつれて、三人とも絶海の孤島に追いやられたような気分になり、人恋しくなってきた。
そこで衆議一決、ホテルでの豪華デイナーは止めにして、旅の前夜祭は大森駅近くの飲み屋街で盛大にやろうということになり、タクシーで大森に出た。明日からは当分の間お刺身や大吟醸ともお別れだと思うと、大衆酒場の酒やつまみが一段と貴重なものに見えてくるから不思議だ。
結果は、少しじっくりやり過ぎた前夜祭となったが、なにしろ明日は朝が早い。カラオケその他の誘惑は振り払って、まっすぐホテルに帰ると、モーニングコールを依頼してそそくさとベッドに潜り込んだ。


6月10日(日)羽田−関空−そして昆明へ

 眠い眼をこすりながらホテルのバスで羽田空港へ。さすがにホテルから空港は近く、6〜7分で到着。6時半の集合時間にぴったり間に合った。
やはり、前泊したのは正解だった。

 私は先月行われた説明会に出られなかったので団員の皆さんとは初対面だが、関西からの参加者は今回ひとりも無くて、結局12名が東京,神奈川、千葉と全員関東の人ばかりだ。こうなると何だか朝早くから苦労して関空まで飛ぶのが馬鹿らしく思えてくる。成田にもう少しゆとりさえあれば、きっと昆明行きも成田から飛んでる筈で、我々も直接成田から出発できたのにと、煮え切らない日本の航空行政に対し少し愚痴っぽい気分になったりしているうちに、機は早くも関空にむけて高度を下げはじめた。

 関空は相当混雑していた。それにしても最近の空港にはシニアー旅行者が目立つ。昨年の日本人海外旅行者1800万人のうち50歳以上が約600万人になり、今や海外旅行者の35%近くがシニアー層だそうだ。昨年2000年の国勢調査の結果に拠ると、65歳以上の老人の数が2200万人で、遂に15歳以下の人口(1800万人)を大幅に超えてしまった。こんな事は大正時代に国勢調査がスタートして以来もちろん初めてのことだが、空港ロビーのこの眺めはまさに高齢化日本の縮図のような気がする。
シニアー旅行者の特色は、真面目で目的意識が強く行動的なことだそうだが、行動的ということはつまり「トシヨリの冷や水」になるケースも多いということで、最近シニアー旅行者の事故も国内・海外とも倍増する勢いだ。ガツガツしないで、シニアーはもう少し休養型、長期滞在型の旅行にシフトして行くべきではないだろうか。
搭乗ゲートまでの間に、通路の売店で目薬を買ったり、フイルムを買ったり、中国トイレ用のウエット・テイシューを買った。関空の場合は実用品を売る小さな売店が、まるで客が搭乗するぎりぎりの所まで追いかけて来るみたいに設置されている。「しまった、アレを買うのを忘れた!」と思っても、その先にまだ売店が待っているのには感心してしまう。さすが商売の街大阪だ。

 日本エアーシステムJD233便はほぼ満席だった。9時55分、定刻を少し遅れて離陸。エアー・ホステスのお嬢さま方は今日はまたヤケに背の高い人が揃っている。まるでバレー部かバスケット部出身者を揃えたみたいだ。きびきびとしてサービスの動きはなかなか宜しい。暫くすると機内食に和風弁当が出たが、色どりが美しく出来ている。乗客に高齢者が多いことを考慮したのだろうか、硬いものはひとつも無くみな柔らかいものばかり。味も上等。ノン・オイルの梅サラダドレッシングの小気味の良いすっぱさが気にいった。機内食のサラダドレッシングはどろどろと脂臭く甘ったるいのが多くて閉口するが、今日の梅ドレッシングは合格。

 イヤーホーンが配られ映画や音楽を楽しもうとするのだが、イヤーホーン・ジャック(差込み穴)が見つからなくて苦労している老人が目に付く。エアー・ホステスが気ついて手助けしている。彼女たちも乗客に老人が多いといろいろと大変だ。

 食事時のワインが効いて無性に眠くなってきた。しかし、一杯機嫌になった後ろの席の客が、戦後の食糧難の時の話を大声でしゃべっていてうるさく、これでは眠れそうもない。食事の後に食糧難の話など止めてもらいたい。

 上海、武漢の上空を飛んで約5時間、JD233便は無事目的地の昆明に着陸した。時刻は現地時間の午後2時少し過ぎ。時差は1時間なので日本時間でもまだ午後3時過ぎ。気温は24度とのことだが、空港の外へ出ると太陽はまぶしく、空気はどこか南国の匂いがして肌に心地良い。
出発前に、今年の雲南は雨期が長引いていると聞いていたが,幸い天気は良さそうだ。ここ雲南省の省都・昆明は海抜1894mの高原の都市だが、夏涼しく冬暖かく一年を通しての温暖な気候が「春」を感じさせることから、昔から「春城」と呼ばれているのだそうだ。今や中国南西部の経済・観光の中心都市で人口は約380万人。雲南省4千万の人口の約一割が昆明に集まっていることになる。1999年に「世界園芸博覧会」が開催されてからは国際的に知名度も上がり、欧米からの観光客も増えている。昆明の名物としては中国茶、花卉、まつたけ、たばこ、ハム,漢方薬などがある。雲南の麦で作るビールも最近売れているそうだ。

 空港に迎えに出ていた昆明中国国際旅行社のマイクロバスに乗り込む。バスはトヨタの16人乗り。これから8日間の全行程を専属でガイドしてくれるのは熊可連(ション・ケ・リアン)さんと言う20代後半の青年。われわれグループは彼を「クマさん」と呼ぶことにした。

 ところで「お茶の起源は雲南」と言われる。雲南の山奥に育った野生の茶樹がやがて拡がって、お茶の栽培が中国の各地で行われるようになり、ネパール,インド、スリランカからヨーロッパへ、そして片や朝鮮半島や日本と、茶樹の種類や製法や飲み方はいろいろでも、雲南に生まれたお茶はやがて全世界的な飲み物となって今日に到ったのだそうだ。
そんな訳で、我々の今度の旅のテーマにもお茶が重要なポイントとして組み込まれた。――お茶の故郷・雲南へ行ったら「遠い山奥に生きている樹齢1700年の、野性の茶樹を拝んでくること」と「シーサンパンナのプーアール茶をはじめ、いろんな中国茶を体験してみること」という宿題である。――ホテルチェックインには未だ少し早いので、我々のバスは早速その宿題の線に沿って「民族茶道館」へ向かった。中国作法でのお茶の飲み方と種類について基礎的な勉強をしようというわけである。
民族茶道館は見本市センターとおぼしき巨大な建物の一角にあった。
桃を一杯に積み上げたカゴを天秤棒で担いだ男が我々観光客を見つけて早速玄関先へ近寄ってきた。姿がサマになっているので写真に収めると、桃を買うかチップをくれるかみたいな事を言っているらしい。あいにく到着したばかりで現地通貨をまだ持たずちょっと申し訳ないことをした。

 少数民族のカラフルな衣装を着た娘たちに迎えられて茶道館の中に入る。タイ族とイ族の娘が別室でお茶を立ててくれるというので、皆で別室に入りテーブルの周りの小さな腰掛に神妙な顔をして座る。そのテーブルは特殊なもので、直径一メートルもありそうな大木の切株を地面から掘り起こして、きれいに磨き上げたもので、60センチ位の高さだが、下へ行くほど切株の根が山の裾野のように広がるので、どっしりとして安定感はまことに良い。この切株テーブルの上に直径8センチくらいの小さな急須とお猪口大の茶碗を並べて、お茶の試飲会は始まった。直径3〜4センチの盃大の器でも、一度に飲み干さずに3度に分けて飲むのが中国流の作法とのこと。何だか「ままごと」をやってるみたいだ。

 本日は6種類のお茶を順次お入れしますとのことで、先ずは来客に対して歓迎の意味で入れる「迎賓茶」から始まった。これは余り癖のないごく普通の烏竜茶。二番目は「ニョク茶」。これはシャングリラと言われている雲南省の北西部の海抜3500〜4000mの高山地帯で採れるお茶で、樹齢の古い野生茶樹の葉で作ったもの。気管支炎、咽喉炎などに効くそうだが日本の緑茶と烏竜茶を混ぜたような味がした。三番目は雲南省の南部、シーサンパンナ特産の「普耳茶(プーアール茶)」。千年以上の歴史を持つ後発酵茶でややカビ臭いが体には良い。もともとは遊牧民のお茶だが古いほど価値があり、色が黒いので「黒茶」とも言う。催眠、酔い覚め、脂肪除去に効く。最近、癌の予防にも効果があると言われ出した。香港のレストランなどで出されるお茶は殆んどがこの普耳茶だそうだ。四番目は「高原烏龍茶」で海抜2000m以上の高原で栽培された茶葉でつくる高級茶。体力回復、便秘、胃腸に効く。五番目は雲南紅茶の中でも特に欧米で人気の高い「ライチ紅茶」で、天然のライチの香りがかなり強い。鉄分が多く貧血症によい。また美容効果が高いお茶として女性に人気がある。最後に飲んだのは「黒宝珠」と言ってジャスミン茶の一種。ジャスミンだけでなく8種類の花々の蕾を摘んでつくる贅沢な花茶で、利尿、ストレス解消、育毛に効果があるそうだ。

 試飲が終わった後、「どれが気に入りましたか?」と聞かれたが、一度に6種類ものお茶を味わったので、おヘソが茶を沸かしたみたいになって、何が一番気に入ったのか良くわからなくなった。しかし、商売熱心な娘さんたちにそそのかされて、皆それぞれ相当高いお茶を買い込んでしまった。もしかすると、6種類のお茶が体内で混ざると、次第に自制心を失うように調合されていたのかも知れない。中国は油断出来ない商人の国である。

 茶道館を出て、昆明駅に近く北京路に面した錦華大酒店というホテルにチェックインした。あまり新しくはないが四つ星クラスで583室。昆明で最大のホテルだそうだが、どっしりとして落着きがある。夕食までの間しばらく部屋で休めるのかと思ったら、勉強好きなこのツアーは30分したらまた直ぐに出かけるのだという。金龍飯店という近くのホテルが今夜の夕食場所になっているのだが、早めにそこへ行って、夕食の前に偉い先生から中国の少数民族についての基礎講義を受け明日からの旅に備えるのだそうだ。

 雲南民族博物館の楊(ヤン)主任研究員の中国語での講義を、クマさんが日本語に訳して我々に説明してくれるのだが、ヤン先生の講義に学術用語が沢山出てくるらしく、クマさんの日本語訳が支離滅裂で、我々には半分も理解できない。ヤン先生は学者タイプの真面目な人柄らしく,用意してきた原稿を基に最後まで講義を続ける様子。クマさんの分裂症的日本語訳をなんとか少しでも理解しようと、誰かが質問したりすると余計話がややこしくなり頭が混乱してしまう。真面目なヤン先生を失望させてはまずいので、我々も精一杯マジメな生徒を装ったが、空腹は忍び寄ってくるし、本当につらい1時間半であった。
いま講義メモを開いてみると―――ひとつの民族の人口が6千人以上ないと少数民族と認められないこと。雲南省の人口は今年一月現在4288万人であること。その60%が漢族で残りの40%が25の少数民族で構成されていること。タイ族が最大の少数民族でその人口は110万人であること。―――1時間半の講義の中で、クマさんの通訳で理解できたのはたったこれだけだった。

 金龍飯店の夕食は皆お腹も相当にすいていたし、到着後最初の中華料理だったので充分に楽しんだ。明日の朝のモーニング・コールが5時20分と言う厳しさなので、寝酒をちょっとやって早めにベッドにもぐり込んだ。気温の割には蒸し暑いのでエアコンは軽くかけて寝ることにした。


 6月11日(月)世界文化遺産の古都・麗江へ

 早朝5時20分、モーニングコールのベルに起こされる。時計を見るとぴったり5時20分だ。どこかの島のホテルより正確なコールだ。起き上がって大失敗したのに気が付いた。喉が痛い。風邪を引いたらしい。昨夜、蒸し暑いのでエアコンをかけて寝たのが良くなかった。私は体質的なものなのかよく喉をやられる。旅行中に風邪を引くのは最悪だが、特にノド風邪は熱が出ることが多いので要注意だ。歯を磨くより先に携帯してきたウガイ薬でうがいをし、アメリカ製の強い風邪薬を口に放り込む。朝食は胃にやさしいお粥だけにする。中国の旅は朝食に常にお粥があるので体調を崩した時はまことに有難い。

 6時半前にはバスに乗り込み昆明空港に向け出発。昨晩は学術用語で苦労したクマさんもいたって元気で、眠そうな顔をしている我々に向かっておしゃべりを始めた。―――昆明から北京までは鉄道の旅だと急行でも二日半かかります。昆明のような大都市で働くサラリーマンの平均月収は13000円から15000円くらいです。少数民族の人たちの中には未だに一年間の年収が15000円程度しかない人もいて、貧富の差は広がるばかりです。最近の中国社会の三大悪は「賄賂」と「不倫」と「暴力団」です。最近も雲南省の省長が70億円近い収賄で逮捕されたばかりです。市場経済化の進展と共に経済力をつけた女性の不倫や離婚、一方では拝金主義に毒された若い女性の(愛人志願)が大流行です。当然、暴力団の主な資金源は組織的売春です。99年の花博の時は日本語ガイドが足りなくて困るほどでした。今年のお正月は久しぶりに日本人客が沢山来て儲かりました。――クマさんのこんなおしゃべりを聞いていると、急速に変わりつつある中国社会の雰囲気が伝わって来る。猛烈なスピードでバスを飛ばし昆明空港に到着。7時半発の中国雲南航空公司3Q4411便にぎりぎり間に合い麗江に向け飛び立った。麗江は昆明の北西600キロ、海抜2400mの高地にある。

 約一時間ほどのフライトで麗江の上空へ。厚い雨雲をぬけて下降し、どんよりと雨模様の麗江空港に無事到着。白壁の空港ビルは城郭風のデザインでまだ新しい。麗江はシルクロード南ルートの重要拠点として古くから栄えた所で、日本の平安時代末期から鎌倉時代、12世紀から13世紀の南宋の時代に最も栄えた。97年に世界遺産に認定された古い町並みも南宋時代のものだが、残念ながら96年にM7.1の大地震があり相当数の建物が倒壊した。地震被害の後に世界遺産に認定されたとはちょっと皮肉な話しである。人種的にはここは納西(ナシ)族が中心で、人口33万人のうち20万人がナシ族、行政上の正式名称も「麗江ナシ族自治県」と呼ばれる。土地の95%は山岳地帯で平地は非常に少ない。国境を越えラオス、カンボジアの方へ流れ下ってやがてあの大メコン川となるランツアン川や,四川省重慶の方へ流れて長江となる金沙江、ミャンマーへ下ってサルウイン川となる怒江など、幾筋もの大河の源流は皆この地に発する。そのことからも雲南の地形の懐の深さが想像できる。

 麗江地区の地区専門ガイドとして徐さんという小柄の男性が空港で紹介された。空港から街への途中、バスの窓から見る風景は棚田や段段畑ばかり。
なるほど平地は少ない。大麦,トーモロコシ、蕎麦、たばこの畑が多く、米は殆んど作っていないようだ。徐さんの説明によると、35度の蕎麦焼酎や55度の麦焼酎が地元で作られていて、なかなか味もよろしいとのこと。以下は徐さんのナシ族に関する説明である―――ナシ族では女性が働いて、男性はあまり働かない。主に女性の働きで家計は支えられている。タクシーの運転手も殆んどが女性である。女性は酒もタバコもやらない。男は集まってお茶を飲んだり酒を飲んだり、笛その他の伝統楽器をたのしんだり、マージャンをしたりして時間を過ごしている。またナシ族伝統の絵文字であるトンパ文字の彫り物をこつこつと彫る人もいる。「ナシ族の女は強いのです」―――と言って徐さんは説明を終えた。かつてナシ族系の人種のひとつモソ人の村では女性だけが家に定住し、男性は「通い夫」として必要に応じて女の家に通ってくる「妻問婚」という独特の母系社会があったそうだ。女性が働き男性はぶらぶらしている形には、そういう種族の影響が残っているのかも知れない。

 「妻問婚も悪くないな」などといろいろ想像しているうちにバスは市内に入り今夜泊まる麗江格蘭大酒店に到着した。このホテルは123室のこじんまりした三ツ星ホテルで、掘り割り沿いとはいえ街中のごちゃごちゃしたところに立っている。隣のアパートの物干しで揺れてる女性の下着がナマメカシク見えたりして辺りは相当下町的だ。しかし、世界遺産の麗江古城街まで僅か徒歩一分で出られる便利な立地のため、このホテルは旅行者に人気があるらしい。小さいだけに管理が行き届いていて、ホテル内の廊下や中庭なども小奇麗に整えられて感じが良い。ゆっくり滞在してみたいホテルだ。

 しかし、なにしろ忙しいツアーである。部屋に荷物を収めると直ぐ市の郊外にある玉泉公園に出かける。公園の中心にはきれいな湧き水が湧いている大きな池がある。背後には麗江のシンボルとも言える標高5596mの玉龍雪山が借景となっていて見事な眺め、と言いたいところだが今日のお山は雨雲に隠れて残念ながら顔を見せない。園内には明の時代の仏教寺院「五鳳楼」が移築されて建っているが、その屋根の反りが実に美しい。丁度五羽の鳥が大きく翼を広げたような姿だ。公園内のトンパ文化研究所にはナシ族の固有の絵文字であるトンパ文字で書かれた経典「トンパ教」が展示されている。ナシ族は千年以上も前からこの象形文字による3000語以上の単語を用い、独特の文化を築いていたのだが、あの文化大革命の時にこの固有の文化も弾圧の対象となり、経典をはじめ多くの貴重な史料が焼かれてしまったそうだ。
色鮮やかな民俗衣装を纏った娘たちが5〜6人池のほとりにたむろしている。近寄ってみると彼女等は写真のモデル役であった。ナシ族をはじめイ族、ヤオ族、ペー族などの衣裳を着ていて被写体になったりお客と一緒にカメラに収まったりしている。モデル代は一回5元つまり75円だ。私も早速5元払って艶やかな彼女たちと一緒に「鼻の下の長い記念写真」を撮った。

 それにしても、麗江に着いて以来歩く度にどうも体がフワフワする。よく「地に足が着かない」という形容があるが、まさにその言葉がぴったりの状態。
自分の体が地球上に安定しないのだ。そして、ちょっとした坂道とか階段などを登ろうとすると、まるで両足に鉛が入ったみたいに急に足が重くなる。軽く駆け足をしただけでも息苦しい。さては、少し風邪気味だし早くも旅の疲れで血圧が上がってしまったのか、と思ったがそうではなかった。それは高山病の症状であった。聞いてみると同行の仲間の約八割が同じような症状だった。
中には頭痛がするという人や、頭がボーとしてボケてきたみたいだという人もいる。海抜1900m弱の昆明では殆んど意識しなかった高山病だが、ここ麗江は市内で2400m、郊外に出れば海抜2500mはある。どうも2000mを越えたあたりから高山病の症状ははっきりと出てくるらしい。今度の旅は高地を歩くことが多いので、足取りは重くてもこの先頑張らねばならない。

 その日の昼食は雲南航空が経営するホテル「観光飯店」でとった。前菜の一つとして出てきたドクダミの根の唐辛子和えが珍しかった。殆んどの人が遠慮したが、思ったほど臭いも気にならず唐辛子がぴりっと効いていておいしかった。ドクダミは漢方薬やお茶として飲まれていることは知っていたが、今日のような料理は生まれて初めてだ。東京の自宅の庭にドクダミがしつこく繁殖して困っているのだが、今後は考え直さなければならない。
先程から、グレイの僧衣に身を包み頭クリクリの若いお坊さんたち10人程が、少し離れた丸テーブルで静かに食事している。お坊さんたちが果たしてどんな物を食べているのか気になる。窓の外の景色を見に行くようなフリをして傍をすり抜けながら彼等のテーブルを覗いて見た。すべて野菜と豆腐とキノコ類だけ、肉や魚料理は一切無かった。何処かの国の坊さんとは大違いだ。

 午後はナシ族の農家を訪問することになり、郊外の竜泉村という鄙びた村へ出かけた。村の周りは殆んどが大麦畑で、丁度いま刈入れの真っ最中だった。刈って束ねて運んで干して脱穀して、昔ながらの「麦秋」の風景が繰り広げられている。二階が倉庫一階が住居になっている家が多い。訪れた農家は全体が土塀に囲まれていて30坪程の中庭があった。庭の隅には小さな手こぎポンプの井戸があり、その横にリンゴの木が一本、小粒の実をつけて風に揺れている。軒先では老婆が独り黒く乾いたソラ豆の枝をわんさと積上げ、その横に座って一つ一つ莢を開いて豆を取り出している。このスピードだとあと何日かかるのだろう――。軒先のテーブルに座った我々に、日焼けして小柄なお母さんが麦焼酎とお茶を出してくれた。お茶うけ兼おつまみには干したかいどう、ひまわり、カボチャの種、そしてサクランボ、梅、なつめの蜂蜜漬けを勧めてくれた。
かなり度の強い麦焼酎を舐めたり、その家の娘さんが子守りをしていた頬っぺの赤い赤ちゃんを皆であやしたりしながら、しばし農家の庭先の午後を楽しんだ後、我々はもう一つのナシ族の村「束河村」へ向かった。

 束河村は宋代の末期、12世紀初頭にできたナシ族の村だが、今でも明の時代に建てられた民家が残されていて、そのうちの16戸の民家は重点保護民居に指定されている。屋根は瓦葺、壁は日干しレンガの二階建ての家が軒を並べる落ち着いた村だ。ここもやはり麦の収穫の最中で、細い村道を歩いていると背中に背負えるだけ刈麦を背負った老人、牛車で麦の束を運ぶ人、ポンコツの小型トラックの若者など、とにかくみんな麦を運ぶのに忙しそうだ。この村の家も風通しの良い二階が乾燥室兼倉庫になっていて、どの家もまだ少し青い麦の束を二階に積み上げている。一台の小型トラックが狭い路に止まり、荷台に積んだ麦の束を、塀越しに家の二階へ直接投げ上げている。お蔭で村の広場に出ようとした我々のマイクロバスは前に進めず、辛抱強く待つことになった。
柳の大木のある広場にバスを止めて一息入れていると小雨がぱらついてきた。するとガイドの徐さんが「6月の空と子供の顔はすぐに泣き出す」と粋なことをつぶやいた。ここ束河村には内外から観光客も来るので広場に面して土産物屋も2軒出ているが余り売れている気配は無い。広場の向い側の雑貨屋の軒先では、老婆が小さなコンロの上の鉄鍋から何かをすくいあげては紙に包んで売っている。近ついて見ると小粒な新ジャガを丸いまま油で揚げていた。
1元(15円)で揚げジャガが5〜6ケ。雑誌を破った紙を三角帽の形にし、その中に揚げたて熱々の芋を入れると、上から唐辛子の赤い粉をドサッと振り掛けて客に手渡す。私はその唐辛子の量の物凄さに度肝を抜かれて退散した。

 ホテルに戻ってひと休みした後、麗江の旧市街・四方街の方へぶらぶらと散歩に出た。12世紀、南宋時代、日本の平安末期の頃にこの街は生まれたそうだ。ナシ族特有の木造二階建ての家々が所狭しと立ち並び、その間を石畳の小路に沿って商店街が四方八方へ網の目のように伸びている。細い掘割が街中を流れ、岸辺で風に揺れる柳のみどりが水に映え、まるで古い中国の絵を見ているようだ。狭く騒々しいが人間的な暖かさに満ちた街。いつまでもぐるぐると歩き回っていたくなるような不思議な魅力に溢れている。

 各自でお土産を買ったり,屋台や骨董品屋を冷やかしたりした後は掘割り沿いの「紅楼餐館」で夕食。充分歩いた後などで食欲旺盛、賑やかな夕食会となった。ウエイトレスが可愛らしい娘なので誰かが写真を撮ると、「必ず写真を送ってくださいネ」と住所を書いた紙切れをはにかみながら持って来た。

 夕食後は東己宮(DONGBA PALACE)という劇場へナシ族の歌と踊りのショーを見に出かけた。田舎の芝居小屋みたいな入り口から中に入ると殆んど満席に近い客の入りでびっくり。収容300人くらいのテント張り劇場だが、中国各地からの旅行客が3分の2、我々のような海外からの客が3分の1のようだ。1966年頃の文化大革命の弾圧で消滅寸前だったナシ族の伝統音楽や歌、踊りを復活させるにはかなりの苦労があったそうだ。ステージの奥に30人近い楽器演奏者が並び、78歳のヒー翁の音頭でさまざまな伝統楽器が演奏され、その古典楽器のオーケストラに合わせて歌や踊りが次々と披露されて行く。78歳のヒー翁による玉龍雪山に住む仙人の歌と踊り、ナシ族の古い楽器のひとつで英語でMOUTH HARPという、口にくわえて不思議な音を出す楽器(アイヌにも似た物がある)のソロ演奏や、田植え歌、民族衣装の娘たちが軽快に踊るラインダンスなどが印象に残った。その多様な楽器や衣裳だけから判断してもナシ族の伝統文化の奥の深さがよく分かった。それにしても舞台で飛んだり跳ねたり、ドンバ(賢人)と呼ばれているあのヒー翁の元気なこと。いったい何を食べて生きてるのか?。玉龍雪山の霞でないことは確かだろう。

 同室のE氏の真似をして 寝る前にホテルの売店に依頼し、トンパ文字で「小林」という印鑑を彫ってもらうことにした。材料の石は瑪瑙。明日の朝出発までには出来上がるので楽しみだ。―――長い一日だった。風邪薬を飲んでベッドに入ったが、なんだか夜中にドンバ爺さんが夢枕に出て来そうだ。


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