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「ヤップ島−ミクロネシア最後の秘境」 小林正典
9月/01

 ミクロネシア連邦はポンペイ州、コスラエ州、チュウク州そしてヤップ州の4つの海洋州から出来ているが、最も州の海洋面積が広いのがヤップ州で、134の島々がヤップ州に属している。ヤップ本島から州の一番東に位置するサタワル島までは1200キロもあり、南北も500キロはあると思う。一つの行政圏として海の上のその面積は誠に広く特殊なものだ。日本から寄贈したマイクロ・スピリツト号という千トンくらいの船が生活物資を積んでヤップを出て島々を廻って行くが、いちばん東のサタワル島までは短くて2週間は掛る船旅なのだ。ヤップ州全体の人口は11,000人だが、その内7,000人がヤップ本島に、近くのウルシー島に1,000人。残りの3,000人がその他の島々に少数ずつ住んでいるという気の遠くなるような世界なのである。ヤップから小型飛行機の定期便が飛んでいるのはウルシー、ファイス、ウオレアイの三つの島だけで、あとの100以上の島へは船で行くしかない。

 ミクロネシア連邦(FSM)には最低賃金法が有るのか無いのか定かでないが、実際にヤップで得た情報だと時給US1ドル弱位が相場らしい。会社の平社員が月収150ドル、学校の先生が200ドル、州政府の課長クラスが400から500ドル、州政府高官が1,000ドル位のようである。アメリカのアパレルメーカーの縫製工場が北マリアナから次第にFSMに移動しつつあると聞いたが、すでにヤップにも中国人女性300人を収容した全寮制工場が稼動しており、彼女たちはたまの休日以外は工場の囲いから出ることも許されないらしい。彼女たちの収入が幾らなのか分からないが、こんな平和な島で所謂『女工哀史』が行われているのを知ったのはいささかショックだった。私たちが着ているアメリカン・アパレルの中にも、ひよっとすると実際はメイドインヤップの物が入っているかも知れない。リチャード君との会話を通して島の現実についていろいろと勉強しながら、車は無事コロニアの町に戻って来た。

 ホテルの食堂で遅い昼食を取った後は部屋で休息。昨日Nature's Wayのスーさんからヤップ特産のギンガンとミニレモンを少しばかり貰ってあったので、それをアイスウオーターに搾りこんでビタミンCドリンクを作って飲む。ギンガンは日本の金柑よりひと周り大きいが味も香りもなかなかのものだ。ミニレモンは直径3センチ弱だが形は普通のレモンとそっくり。まさにレモンのミニチュアーである。ヨーロッパからずっと昔に持ち込まれものが、ジャングルで野生化したと言われる。小さくてもその酸味の強烈なのには驚いた。ヤップの人たちは醤油に唐辛子それにこのレモンの汁を加えいろいろな料理に使っているらしい。

 テラスのドアーを開けて外の空気を入れつつ、同時にエアコンも掛けて冷たい空気と外気を混ぜながら寝るという贅沢な南国式昼寝の後は、港の方へ小魚釣りに出かけることにした。場所はコロニアのはずれのスーさんの事務所の裏、水路に浮かぶボート用の小さな桟橋。昨日すでにスーさんに許可をもらってあったので早速糸を垂らす。餌はランチソーセージの切れ端。サヨリの小さいのが寄ってくるがなかなか針に掛らない。そうこうして居る中に、「オイ、そこで釣りはしないでくれ」と誰かが後ろで怒鳴った。桟橋からすぐのところに海に張り出すように造られたレストランがあるが、見るとそこのボーイらしき男がこちらを睨んで立っている。「オレはスーさんにOK貰ってるよ、嘘だと思うなら聞いてみな」とこちらも大きな声で言いかえすと、男は割りにおとなしく奥へひっ込んだ。しかし、10分もしないうちに男は戻ってきて、デッキからパシャと何かを海に放り投げた。するとどうだろう、やっと私の方へ集まりかけていた魚たちは皆そちらへ泳いで行くではないか。どうやらボーイがレストランの残飯か何かを投げ入れたらしい。明らかに嫌がらせである。所詮、知らない土地で喧嘩をしてもヨソモノは勝てない。私はすごすごとホテルへ引き上げることにした。―――後で分かった事だが、最近中国本土の漁船がヤップに入港するようになったが、上陸した船員たちが周辺で所構わず釣をするので、土地の人たちに嫌がられているのだそうだ。どうやら私の人相・風体が中国人の船員そっくりだったらしい。

 その日の夕食はマンタレイホテルでとることにした。行って見ると如何にもダイバー達の定宿といった感じのホテルで気取りは一切無い。一階の水路ぎわにあるビアガーデン風レストランで海風に吹かれながら、極く庶民的なメニューの夕食をとる。ワインやビールを空けながらダイバー達は夫々の自慢話に花を咲かせている。如何にも海のホテルといった雰囲気。幸運にも今日マンタに出会えた人も居るらしい。空は満天の星、明日も天気は良さそうだ。

「1月30日(火)マンタ見物とマングローブ・クルーズ」

 昨日の島内ドライブとは逆に、今日は船で水の上から島を見物する日である。そして潮時が良かったら、マンタとの出会いの場所として有名なミイルチャネルにも行き、スノーケリングで海の中を覗いてみようと思う。

 朝9時、昨日私が釣に失敗した例の桟橋から、スーさんの会社の小型ボートで出発する。船長はヤップ島出身太っちょ中年のチョメイ、そして助手は遠くサタワル島から働きに来ている若いヴィンセント君。チョメイは多くのヤップ人がそうであるように、無口で苦虫を噛み潰したような顔をしているが、それは彼がシャイだからと見た。ヴィンセントはちょっと腰の軽いプレイボーイ・タイプで愛想が良い。コロニア湾の入り江を抜け出て、島の中央を北に向かって深く切れ込んでいる大きな内海をボートは北上して行く。港の方を振り返ると岸壁には中国の大型漁船が4〜5艘こちらにオシリを向けて並んでいるのが見える。また千トン位だろうか、日本がFSMに寄贈したという船マイクロ・スピリット号も停泊している。この船はヤップ州の数ある島々を生活物資を積んで巡航する大切な役目を担っている。他に余り大きな船は見当たらない。

 その中央にタラング島とペケル島という二つの小島を抱き込んでいるこの湾は、地図で確かめるとヤップ本島を形成する4つの島のうちの大きな2つが、東西から互いに寄り添って形成している。北上するに連れて次第に両岸の距離は狭まり、最後には幅10M程度の水路になってしまった。これが有名なテグレン・チャネルですとヴィンセントが少し得意げに言った。水路の上には長さ20M程のコンクリート橋が一本架かっている。きのうドライブの時に渡った橋であることに気ずいた。ボートはスピードを落として橋の下をくぐり、両岸からヒルギ科のマングローブ林の迫る細い水路をゆっくりとすべって行く。

 マングローブとは熱帯・亜熱帯地方の海岸線や入り江や泥湿地などで、満潮時に海水に浸る場所に生育している樹木類の総称でその種類は色々ある。
陸から海に流れ込もうとする栄養分を豊富に含んだ泥や雨水を、水際で受け止めるフィルターのような役目をして、サンゴを中心として成り立っている海の生態系をしっかりと守っている。マングローブが富栄養化した(濁った水)を受け止めてくれないと、透明度が落ちてサンゴに光が届かなくなり、やがてサンゴは死滅してしまう。 逆に、マングローブ林の有機物をたっぷり含んだ泥と、プランクトンを多量に発生させて濁った水は、生き物たちの格好の棲家となる。水中にはエビやカニや貝類などが棲み、くねくねと密生した所謂〔呼吸根・支柱根〕の間に魚は卵を生み、そこはまた稚魚たちの隠れ家ともなる。

 小鳥の鳴き声を聞きながら木漏れ日がきらきらと眩しいテグレン・チャネルの水路を上って行くと、まるでアマゾンの奥地の支流でも遡っているような(真昼の幻想)に襲われる。―――やがてボートはチャネルを貫け一挙に視界が開けた。島の反対側、北西部に大きく広がる環礁の内海に出たのだ。マンタが遊びに来るミイルチャネルはこの環礁が外海に向かって切れ込んだところにある。今日の潮の具合は今のところまずまずのようなので、ミイルチャネルに急ごうということになりボートはスピードを上げた。

 ミイルチャネルには既に先に着いた船が2〜3隻居りスキューバダイビングをしていたが、我々オジン二人はスノーケリングでマンタを探検することにする。これでも充分トシヨリの冷や水である。早速ヴィンセントが飛び込み、浅い内海と急に深く落ち込んでいくチャネルドロップとの境目辺りに、ボートが流されないようにしっかりとアンカーを描ける。水面に浮かんで下を覗くだけで深く潜るわけではないので、救命ジャケットを着けて飛び込みボートの周りをゆらゆらと浮遊しながらスノーケルで海中を覗く。さすがに魚の種類も数も豊富だ。しかし、チャネルに遊びに来る筈のマンタさんは今日はまだ現れてくれない。待つしかない。――――そのうち、風向きも潮の流れも陸から海に向かう方向に急に変わった。海も少し濁りはじめたようだ。この状態になると、マングローブ地帯に溜まる濁った水がチャネルの方へ流れ込んで透明度が悪くなるとヴィンセントが心配そうに言う。いったんボートに上がって暫く様子を見ることにする。船に上がると濡れた体に風が当たって寒い。 すると、チョメイがどこに積んであったのか、まるで手品師のように紙コップに入った熱々の紅茶とココナッツ・クッキーを出してくれた。その紅茶のうまかったこと。冷えた体の隅々まで染み込んでいった。

 暫く待ったが、今日はもう透明度は悪くなっても良くなることはないとチョメイ船長が断を下したので、残念だがマンタとの遭遇はあきらめ、この後はボートでの島周遊クルーズを楽しむことにする。ヤップ本島を構成する4島のうち、島の北端に位置するルムング島とマアプ島。先ずその二つの島の間の比較的幅の広い水路ぺタウチャネルを通ってボートは島の北端に出た。船の右手には昨日車で訪れたベチアル文化村、左手ルムング島の海岸には立派な(男の家)が見える。ベチアル村は海から見ても椰子と白いビーチと緑の芝生の組み合わせが見事だ。やがてボートは右折してマアプ島の東側に回り込み岸に沿って南下して行く。外海に面しているためか海岸にはマングローブより椰子の木が目立つ。小さなビーチと白いペンシヨン風の建物はビレッジ・ビューホテルだとヴィンセントが教えてくれた。

 潮風に吹かれながらボートの上でヴィンセント君といろいろ話をした。
きのう車でマアア村やワンヤン村を見て歩いたことを告げると、彼は如何にも羨ましそうな顔をして、「いいなあ、私はまだ一度も行ったことが無い、特にマアア村の景色は素晴らしいと聞いているので、機会を作って是非早く訪ねてみたいけど・・・・」と何だか歯切れが悪い。不思議に思って理由を聞いてみると、彼のような(離島)の出身者は各村のそれなりの有力者の手引きでもない限り、本島の村を訪ねることは不可能なのだそうだ。ヤップに働きに来てこの3年間まだマアア村を訪ねる機会に恵まれない、とかなり社交的な彼が言うので驚いた。2ドルの入村料で昨日マアア村を楽しんだ我々ツーリストとは別の世界があることを知った。

 ヤップ島には丁度10の地域に100の部落が有るそうだが、長いあいだ勢力争いを重ねた末に一つの秩序が出来上がり、百の部落が六つの階級に格付けされ、部落の間には上下関係が成立したのだそうだ。この格付けは今でも生きていて、役所や会社の上司と下司の関係が出身部落の上下と合致する場合は良いが、それが逆になったときは職場が上手く行かないケースが多く、人の採用や配置も出身部落の格を常に考慮しなければならない。まして、ヴィンセント君のような離島者はヤップ本島では最下位にランクされ、かなり遠慮しながら生活していることが分かってきた。

 ミクロネシアの殆んどの島は母系家族なので、男は結婚すると女の家の方へ婿入りして行く形になるが、ヤップだけは珍しく父系家族なのだそうだ。
従って結婚すると女は男の家の方へ嫁入りして行く。母系家族の島では、婿入り気分の男は少し無責任で、嫌になったら比較的簡単に逃げ出せるが、父系家族のヤップでは男は簡単に家族を棄てて逃げ出すわけには行かない。

 ヴィンセント君は仕事が無いので郷里のサタワル島を脱出し、グアム大学にも1年留学したが、グアムの(都会生活)に疲れ学費も無くなったのでヤップに来たと言う。結婚しないのかと尋ねると、「父系家族のヤップで離島者の私が家を構えるのは無理です」と目を丸くした。しかし、私の察するところ、このプレイボーイは郷里サタワル島をはじめ、ヤップへ出る途中の母系家族の島々に複数の女房と子供を残して来ているような気がしてならない。

 ヤップ人のチョメイ船長は40台半ばかそれ以上の年恰好なので、当然結婚していると思ったが、まだ独り者だと言う。理由を尋ねると矢張りヤップでは、男は結婚したら一家を支えていかなければならず、自分にはそんな自信はないのだと言う。彼のふて腐れたような顔が面白かった。

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