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「ヤップ島−ミクロネシア最後の秘境」 小林正典
8月/01

 コロニアの町の一巡りも終わりホテルに戻る。T嬢は(さあこれから一週間分の洗濯だ)と言って、颯爽とマウンテンバイクに乗って帰っていった。

「さあ何して遊ぼうか」

 薄い水割りを舐めながら、部屋のテラスに陣取り世間眺めをする。太陽の動きと共にコロニア湾の水の色が微妙に変わってゆく。入り江状になってかなり奥の深いコロニア湾の入口には40メートル位の朱色の橋が架かっているが、我々はその橋を勝手にベイブリッジと呼ぶことにした。そのベイブリッジの上で男の子が2〜3人釣をしているのが見える。釣竿は使わず直接手で釣り糸を投げている。ホテルの直ぐ下の湾岸沿いの道を時折人がゆっくりと歩いて行く。何故か人間が歩いて行くのを見るとホッとする。ときどきトップレスの堂々たる体躯のご夫人が通る。フンドシ即ちTバックスタイルの男性も通る。

 我々のホテルの真向かい、湾の対岸の山の斜面には木立の間に隠れるように草葺の小屋が数軒点在している。ホテルのボーイに聞くと、Pathways Hotelだとのこと。世界エコ・ツーリズム大賞に輝いたポナペ島の有名なホテルThe Villageと同様、完全に自然の風景の中に埋没するように造られている。これではちょっと目の悪い人には見つからないかも知れない。

 水割りの酔いも適度に効いてきて、身も心もヤップの周波数に合うようになり、土地勘も少しばかり身に着いたところで、明日あさっての島での行動計画に着手。島にダイブツアーや観光のお世話をする会社は3社有るが、その内の一つは日本人のオバサンの経営で信頼できるとT嬢から紹介されたので、先ずそこを訪ねて相談することにした。初めての土地での短期滞在なので、時間の有効利用を考えなければならない。(なんてことを考えるから、日本人はのんびり出来ないのだ)

 オバサンの店はコロニア湾の入り口に近く出入のいい場所にあった。
会社の名前はNature's Way。どこかで聞いたような名前だと思ったら、私が出発前にインターネットでヤップの資料をいろいろ探したとき、一番しっかりした編集のホームページを出していたのがこの会社だった。オバサンの名は安井ミツエさん。島では通称「スーさん」で通っており、すでにヤップ在住歴10年以上のベテランである。小柄だがダイビングで鍛えられて贅肉一つ無い引き締まった体は敏捷そうだ。相談の結果、陸で半日、海で半日、村で小半日が適度なペースと納得。陸の半日はホテル所属のガイドによる島内ドライブ。
海の半日はオバサン手配でマンタの通路ミイル・チャネルのスノーケリングとマングローブ・クルーズ。村の小半日は文化伝承のカダイ村へのヤップ文化体験ツアー、ということで我等オジン2名の行動計画は出来上がった。


「地ブタのステーキが美味い」

 ヤップ島のホテルの中ではPathways Hotelの料理が一番味がしっかりしている、とスーさんが雑談の中で言ったのを思い出したので、その日の夕食はベイブリッジを渡って対岸のPathwaysまで行ってみることにした。湾岸沿いの道路からほんの少し山側へ入っただけだが、ニッパ椰子とパンダナスの葉で葺いた現地の民家そっくりのコテージが数軒、急斜面のジャングルの夕闇の中に明りを灯している。レストランは公道から近く、階段をほんの数段上ると入り口だが、周りの森が深いのでテーブルに座るともうどこかの山小屋に居る気分だ。

 我々が入って行くと、すでにビールをしこたま飲んで出来上がっていたヤップ人の叔父さんが手を上げて、「歓迎いたします」と折り目正しい日本語で挨拶してくれた。もともと白人客は暗い照明を好むし、ホテルも自然派の造りなのでレストランの照明は暗く、メニューはなかなか読めない。やっと暗闇に目が馴れたところで、このホテルの雰囲気に相応しそうなPan Roasted Porkを注文した。ビールを飲みながら料理を待っていると、先程挨拶してくれた酔っ払い叔父さんが通路で(ドテン)とひっくり返った。もう腰が抜けている。ウエイトレスが(お支払いを済ませて、もうお家にお帰りください)と言っても聞く耳もたず。また、テーブルに座ってしまった。―――やがて、野菜卵スープが出てきた。少し塩がきついが味は上等。次はローストポークが来た。なんと本式の鉄のステーキ皿に乗ってジュージューと音を立てている。200グラム位だがかなり厚切り。適度に歯ごたえがあって・・・ムムム、これはいけるぞ。美味い!!醤油ベースの照り焼き風ソースもぴったり。あのアメリカ直輸入の味もそっ気もない(消しゴム)みたいな豚肉に較べて、このヤップ産のローカルポークの味のなんと奥深いことよ。忘れていた本来の肉の味とはこういうものだったのだ。(ドタン)先程の酔いどれ叔父さんがフロアーの段差を踏み外して、こんどは一段下のフロアーに転落した。ぐでんぐでんに酔ってると転んでも意外に怪我はしないものだが、いまの一撃は相当きつかった。まだ生きているだろうか。――急に静かになったので心配になり薄暗いフロアーを透かして見たが、叔父さんはもう消えていた。誰かがそっと運び出したのか、それとも、床板を突き破って下の谷に落ちたのか?

 叔父さんの無事を祈りつつ、ヤップの「地ブタ」の味にすっかり満足して我々も席を立った。帰りがけに出口で若い韓国系らしいシェフを見かけたので尋ねてみると、ヤップの豚は椰子の実、パパイヤ、タロイモなどを主な餌とし、運動も充分させながら飼育しているとのことだった。―――ベイブリッジのたもとで日本語の流暢な老人が雑貨屋をやっていたのでちょっと寄り道。ナイトキャップ用のおつまみを買いホテルに戻った。テラスから夜空を見上げると、今にも星の雨が降りだしそう。これなら明日の天気は良さそうだ。


「1月29日(月)島内ドライブ観光」

 今日はホテル専属ガイドのリチャード君の運転で島内半日観光に出かける日。天気も良さそうなので早めに朝食を済ませて出発。コロニアを出てしばらくは海岸沿いの道を北へ向かって走る。メインロードはかなり整備されており、路肩も側溝もしっかりしている。案内標識も周りの自然にマッチするように全て木製で、エコ・ツーリズム感覚のデザインで統一されている。リチャードの話だと島の幹線道路の整備は日本のODA資金で進められ、いま3分の2が終わったところだそうだ。残りの3分の1も引き続き日本からの資金で完成出来るよう、今ミクロネシア連邦政府は日本に働きかけているらしい。

 車は島のほぼ全容が展望できるヤップの最高峰マデデ山の脇を通過したが、山というよりそれは海抜130M程度の丘陵である。幹線道路沿いのジャングルにもバナナ、パンの実、野生のパパイヤ、そしてサワーサップ等が目立つ。以前訪れたコスラエ島程ではないにしてもかなり豊かなジャングルであることが分かる。不思議な事に村落や民家は走っていても全然見えない。民家は深いジャングルの中に隠れているし、村そのものが昔ながらの古い村道を入った処にしか存在しないので、幹線道路からは見えないとリチャードが言う。

 ヤップ島は4つの島の集合体だが、島と島は非常に接近していて狭い所では距離10数メートルにまで近ずき、そこは一見水路か川のようになる。昔のヤップ人はそうゆう水路を石積みでつないで、干潮時にはその上を歩いて隣の島に渡った。崩れかけた「石積み橋」の跡はいまでも見ることが出来る。

 マングローブが両岸から迫る美しい水路タグレン・チャネルに架かる橋を渡り、車はやがてマアアの村に到着した。ここはストーンマネーは勿論、ペバイという公民館、ファルーと呼ばれる「男の家」が昔ながらに残る静かな入り江の村である。丘の上の広場に立つペバイはパラオのアバイに似て、どっしり堂々とした建物だ。100人位の集会は可能だろう。日本の豪農の家のように大木を実に上手く組んで柱や梁にし、釘は一本も使わずヤシの実の繊維で作った細く丈夫なロープで、機能的且つ装飾的にしっかりとくくられている。

 男の家ファルーは青年たちの学校、作業場、集会所の役目をする建物で、遠く離島から来た人たちの船宿にもなったらしい。男の家は必ず海岸沿いに建っているが、女性は今でも絶対に近寄れない。昔は「女の家」もあって伝統手芸を学んだり、出産や生理時の休養の場所になっていたのだが、なぜか戦後アメリカの命令で廃止になってしまったそうだ。それにしても、マアアの村の岸辺に立つ「男の家」から眺めた入り江の景色は見事で、石積み橋や周辺の緑を水面に映し、朝の光に輝いていた。

 マアアの村の次は同じ東海岸にあるワンヤンの村に立ち寄った。ここはマアア村のような入江の村ではなく、太平洋に面しヤップでは珍しく白砂のビーチを持った村である。ツーリスト用のコテージも幾つかある。ワンヤン村の自慢は村の入り口近くにあるヤップ最大のストーンマネーで、直径が2メートル50センチ以上はありそうだった。私が気に入ったのは村をまっすぐ貫いている幅5メートル位の道路だった。砂地を平らに整備した道だが、何故か裸足で歩きたくなるような懐かしさがある。道の両側にはバナナ、パパイアをはじめ果物が実り、その間には色とりどりの花が咲き乱れ、、まるで「楽園」の中を歩いているようだった。リチャードが「この花が咲くと2月ですね」と言った薄紫のFebruaryFlower、別名ポプコーン・フラワーも見事に咲き始めていた。

 ワンヤンの次は島の北端にある小さな漁村ベチアル村、別名ベチアル文化センターへ向かうことにした。。ドライブ中に気ずいたことは、島のあちこちに決して新しくないが手入れの行き届いた学校が目立つことと、村々にはかなり立派な墓地があることだ。戦前日本人がこの島に2千人も住んでいたのだが、その当時から学校は大切な場所とされていた。今でもその伝統が生きているのかも知れない。墓地の方はいろんな造花で飾られているが、なぜか赤や黄色系の造花が多くその飾り方のド派手なこと。あれでは仏様もさぞや暑苦しかろう。

 内陸部を北へ30分近く走り抜けるとやがてベチアル村に着いた。海岸沿いに並ぶ見事な椰子の木、緑の芝生の広場、白い砂浜、これらの三点セットが揃った小公園風の村である。左前方にヤップ北端の島ムルング島が見える。

 実はヤップを訪れる観光客は、今日ドライブして来たような村々を見学する場合、村の入口で一人当たり2ドル程度の入村料を支払うことがシキタリとなっている。昔からヤップの各部落ではヨソの村の人や観光客が挨拶なしに勝手に中に入ってくることを許さなかった。今でもそのシキタリは残っており、入村料はその挨拶を簡略化して便宜上「お金」に代えたものらしい。ところが、いまベチアル村の向こうに見える小島ムルングは非常に掟の厳しい島で、入島料を支払うと言っても観光客の訪問は許されないとのことだ。

 ベチアル文化センターと名乗るこの村には、いったい何があるのかとリチャードに尋ねると、ペバイ(公民館)が二棟と砂浜の西の端にファルー(男の家)が在るから是非見てくれと言う。なるほど芝生の向こうの椰子林の中に古いペバイと未だ新しいペバイと二棟建っている。小さな村に公民館が二軒あるのは不思議なので彼に尋ねる。数年前の台風で古いペバイがかなり壊れたので、アメリカ政府にFEMA(連邦緊急災害援助)の申請をしたところ、かなり充分な補助金が貰えた。そこで将来のことを考えて、古いペバイを修理するのを中止して、新しいペバイを造ってしまったのだそうだ。そのためか古い方のペバイは相当荒れたまま放置されている。FEMAの援助はあくまでも災害復旧修理の為のものなので、修理可能なものを放置して、新しい物を造ることが許されるのか。学校や何かでなく、それが歴史的建造物の場合はどうなのか。問題は色々あると思われるが、この際深く追求するのは止めにしよう。

 芝生の広場にある風通しの良い東屋のテーブルに座って、まるで絵ハガキのように美しいベチアルの浜辺の景色を充分に堪能した後、我々はコロニアに向けて帰路についた。

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