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「ヤップ島−ミクロネシア最後の秘境」 小林正典
7月/01

 ヤップ島はグアムからパラオに行く丁度その途中に位置する。過去に何度かパラオを訪れた時、その行き帰りにヤップの空港には着陸したことがある。
しかし、空港を出て島の中を覗いたことは一度も無く、あのストーンマネーで有名なヤップ島とは「一体どんな島なのだろう」と、ずっと気になっていた。
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「1月28日(日)晴れ 出発」

コンチネンタル・ミクロネシア航空951便ヤップ経由パラオ行きにて、午前8時45分グアムを出発。機材は割に新しいボーイング737で、以前の古い727に較べるとずっと清潔感がある。乗客は白人のツーリストが目立つ。
ドイツ語やフランス語が聞こえてくるところを見ると、遠くヨーロッパからの客らしい。かなりリッチで教養もありそうなファミリー・グループとスイスとドイツから来た男性のダイビング・グループのようだ。

 16世紀中頃にはすでにポルトガルやスペインの探検家がミクロネシアの島々を訪れており、領有権を主張したのはスペインが一番早かった。その後1898年米西戦争に敗れたスペインが、グアムを除くミクロネシアの領有権を450万ドルでドイツに売り渡してからは、第一次大戦でドイツが敗れるまで島々はドイツ領だった。従ってヨーロッパの人たちは幼い頃に、祖父母から太平洋の島々での遠い昔の生活や交易の話を聞かされた人も多い筈で、彼等にとってミクロネシアは独特のノスタルジーを掻き立てる地域なのだろう。その点、ドイツの後30年以上もこの地域を統治したのに、最後にあの太平洋戦争という生々しい歴史を背負ってしまった我々日本人にとっては、この地域に抱くイメージはかなり屈折したものになってしまった。---もっとも最近の日本の若者の中には、グアム島を観光しながら(日本はアメリカと戦争したんですか?)なんて、すました顔して尋ねる人も居るくらいで、21世紀の今、日本とミクロネシアの過去の歴史も既にすっかり風化し、新しい時代がやって来ていることを実感せざるを得ない。

 グアムから南西へ約850キロ、1時間半後、機は早くもヤップへの着陸態勢に入った。上空から見るとヤップ島は4つの島が肩を寄せ合って出来ており、その4つの緑豊かな島の塊が、白波が弧を描く大きな環礁の環の中にすっぽりと納まっている。海岸線は椰子よりも主としてマングローブ林に囲まれていて、ビーチや切り立った断崖は見えない。ゆったりとして美しく平和な眺めだ。丁度、伊豆半島から真南に3000キロ下るとヤップ島にぶつかるそうだが、島の広さは約100平方キロちょっと、グアム島の五分の一の面積だ。

 例によって決して長くないランウエイを目一杯使って、CS951便は無事ヤップ空港に着陸した。一戸建ちの家が2〜3軒集まった程度のこじんまりした空港である。今日は日曜日だし天気も良いので、別に用事の無い人でも子供たちを連れて空港に遊びに来ているのだろう、小さい島の割に空港は実に賑やかだ。空港の壁に書いてあったヤップ語の(有難う)カマガールを早速使ってみたら、入国審査のお役人はニコニコとご機嫌だった。現地の人に馴染むにはやはり片言の現地語に限る。出迎えの小さなリムジンに乗り早速ホテルへ。
ヤップ島の中心にはコロニアと呼ばれる極く小さな町並みがあり、空港からは車で10分足らずの距離だ。お役所、銀行、郵便局、スーパー、警察、消防署等々、社会的インフラは全てこのコロニアの町に集中している。我々が泊まるトレーダーズ・リッジ・リゾートというホテルもこのコロニアの町の一角にあり、コロニア湾を見下ろす小高い丘の中腹に建っていた。

 ヤップにはこのホテルの他にも5〜6軒ホテルが有るが、いずれも小規模で部屋数は10室から20室程度のようだ。みなコロニアの町中かその周辺に集まっている。また、海辺にツーリスト用のバンガローを用意している村も幾つかあるそうだ。このトレーダーズ・リッジは建物のデザインを19世紀ヴィクトリア調に統一したなかなかお洒落なホテルで、今ヤップで最新にして最高の5−スターホテル。木造の2階建て24室。いささか白人趣味だが、玄関ロビーから廊下や各室内までミクロネシアの民芸品や彫刻・写真をモチーフにきめ細かに飾りつけられ、清潔でモダンな雰囲気を演出している。従業員も良く教育されており、特にルームメードのサービスには滞在中感心させられた。


「コロニアの町を散策」

 同行のN氏の知人で海外青年協力隊として現在ヤップ州政府で働いているT嬢に連絡を入れると、彼女の言う自家用車マウンテンバイクに乗って早速訪ねてくれた。コロニア湾を見下ろすホテルのテラスレストランで昼食とする。オープンエアーの食堂だが気温も暑くなく風も爽やかで実に快適だ。グアムより南なのにどうしてだろう。海岸線はマングローブに覆われ、グアムに較べ沢山の大木が繁るジャングルの森は濃く深いので気温も2〜3度違うのかも知れない。
初めてのホテルの食堂ではじめての食事。料理のレベルが判らないので恐る恐るオーダーした。結果はT嬢のツナ・ステーキがなかなかで、N氏のイタリアン・パスタがまあまあ、胃に優しいと思って頼んだ私の和風味噌味スープヌードルは公家様向きで、遠くで味噌の味がかすかにして胃に優しすぎた。普段から白人の客が9割のこのホテル、和風の味が上品すぎる?ことが判明したので、以後和風メニューは頼まないことにした。T嬢は現在ヤップ人の家庭にホームステイの身なので、毎日タロ芋、ヤム芋、バナナ、焼き魚などが多く、一流ホテルの料理は久しぶりですとよろこんでくれた。まあ、味は兎も角、そよ風と眺望があれば、南の島のレストランはやはりオープンエアーに限る。

 ランチの後はT嬢の案内でコロニアの町を一巡りすることにした。徒歩で行く町内観光である。ホテルの前の坂道を50メートル程下って行くと四つ角に出る。島に一軒しかないスーパーもこの四つ角の近くに有り、町はこの交差点を中心に拡がっている。拡がっていると言っても、東西南北どちらに歩いても5〜6分で町は終わってしまう。丁度、西部劇に出てくる小さな宿場町の規模である。それにしても昼下りの町は静まりかえっている。T嬢によると理由は矢張り今日が日曜だからとのこと。カソリックの伝統が強いので日曜は全てがクローズらしい。車は右側通行だが、ときどき通る車は右ハンドルが多い。島を走る車の3分の2は日本からの中古車で、右ハンドルのまま走ってよいのだそうだ。ペイントも塗り替えずにそのまま使っているので、時折面白い車を見かける。車の後部に「ゆっくり走りますーーすみません」と書いた車が目の前をかなりのスピードで走り去ったが、それは広島県のさる教習所の車だった。
消防署の裏庭に停めてあった赤い消防車には、神戸市消防隊と書いてあった。それは震災後に装備を近代化した神戸市が、中古車を寄贈したものらしい。

 コロニアの港の方をひと回りしての帰り道、道路わきにお宮さんの石段を見つけた。あれは旧ヤップ神社の石段に違いないと叫ぶと、T嬢は(まさか)と言う。しかし、日本の神社の石段は独特の造りをしているので、私には確信があった。近付いてみると案の定その石段の30M手前あたりに鳥居が立っているではないか。どす黒いコンクリート製でヤケに横幅の広い不恰好な代物だが、一応は鳥居である。階段の上を見ると旧神社の跡地にはなんとヤップ州議会の議事堂が立っている。きっとヤップ州議会は神がかりで全てが上手く運んでいるに違いない。後で聞いた話だが、終戦後アメリカの命令で神社も鳥居も解体したが、祟りがあってはまずいということで、島民の意志で鳥居だけ再建したのだそうだ。従ってこの鳥居はヤップのオリジナル・デザインである。

 鳥居の前の広場の片隅に、いまや健康ドリンクですっかり有名になったノニの木が生えている。我々がそれを見ながら雑談していると、半ズボン一枚の地元の青年が近ずいてきて、ノニは(体を元気にする薬で、ヤップでは青い実を煎じて飲む)と教えてくれた。青年は自分の名はゴロンだと名乗ると、急いで鳥居の脇に在る小さな小屋に戻り、白い紙切れと鉛筆を持って小屋の窓から顔を出し、我々を手招きしている。何事かと近ずくと、(私は昔祖母から名前の書き方を教わった、今書いてみるから見てくれ)と言う。青年がたどたどしく書いた片仮名は「ゴロウ」。 南の島々では日本人から三郎、五郎のような分かり易い名前を付けて貰った人は多いが、それは戦前・戦中の話である。
果たして、青年の名前がゴロンなのかゴロウなのか追求していると長くなりそうなので、握手をしてその場は別れたが、未だに少し気になっている。

 幸いヤップ島には米軍は反攻上陸はしなかった。しかし、諜報活動によって日本軍の動きは逐一判っていたので、日本軍が零戦用の滑走路を完成すると、待ってましたとばかりに空襲が始まり、1944年3月31日の大空襲で徹底的にやられたとのこと。今でも旧空港跡には零戦の残骸が残っている。
スペイン・ドイツ時代そして日本の委任統治時代の建物もその空襲で破壊され、いまのコロニアには残念ながら歴史を偲ばせる建物は何も無い。きっと昔は静かな入り江に沿ってもっと落着いた町だったのだろう。

 歩いていると町のところどころでビールの空き缶だけがぎっしり詰まった籠を見かける。T嬢の説明よると、ゴミの分別収集制度はないが、何故かビールの空き缶だけは1個3セントで買い取るリサイクル活動が盛んで、みな一生懸命なのだそうだ。島民は非常にビールが好きで、つい最近140人で千二百本を空にしたパーテイーもあったとのこと。空き缶をリサイクル収集しないと島中が缶だらけになってしまうので、きっとこれは政府の苦肉の策なのだろう。尤も最近は空き缶を売る為にビールを飲む人が増えたそうで話はややこしい。

 スーパー、銀行、航空会社等の入っている目抜き通りの建物に沿って歩いて行くと、ゴミ箱にしては小さ過ぎ、灰皿スタンドにしては大きすぎる妙な物が、通路の所々に設置されているのに気が付いた。内側に青いビニール袋がはめ込まれている。中を覗いてみると袋の中は真っ赤に染まっている。
それは例の(南洋の噛みタバコ)と言われているもので、ビンロウ樹の実を噛んだ後、そのカスと真っ赤に染まった唾液をペッペッと吐き捨てる「痰つぼ」であった。通路や店内、ところ構わず情熱の(赤いツバキ)を吐き出されては堪らないので、これもまた政府が設置した苦肉の策なのだそうだ。なにしろ、島民の85%以上が唇を紅に染めている(ビンロウ樹党)の島なのである。

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