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| 「モンゴルの旅 チンギス・ハーンのふるさとを訪ねて 4」 小林正典 |
| 3月/01 |
| 古都カラコルムへの道 今日はウランバートルを離れバスの旅に出る日。目的地は市の西方約365キロにあるかつてのモンゴル帝国の首都カラコルム。途中かなり悪路も多いので平均時速50キロで走れたとしても、8時間近く掛かるバスの長旅となる。 昨日までお世話になった例のチェコ製のノーエアコンのボロバスで8時間の悪路の旅になるのかと、恐る恐るホテル玄関に出てみると、20人乗り位のかなり程度のいい中型バスが横付けされている。ドライバーに聞くとエアコンも大丈夫ですと笑っている。やれやれだ。あれ、入口のドアーの上には日本語で書かれた乗客への諸注意のプレートが貼り付いている。日本からの輸入中古車らしい。正面から良く見るとバンパーの上のスペースに、白ペンキで隠しているが、志賀プリンスホテルという文字が読み取れる。今日からカラコルムの旅のガイドをしてくれるナラム君が、何を見ているのですか?と標準語で尋ねたので、おもむろに答えた。私が昔々ハネムーンで行ったホテルの名前がここに書いてあります。 かつて志賀高原を走っていたバス、しかもご丁寧に私の人生に浅からぬ縁のあったホテルのバスに乗って、モンゴルの高原を行くことになるとは。全く世の中なにが起こるか分からない。以前、マニラ市内で大泉学園行きの西武バスが走っていて、丁度その当時私は大泉の近くに住んでいたのでびっくりしたことがあるが、旧ソ連圏への中古車輸出の波はモンゴルまで来ているらしい。ちなみに、ウランバートル市内を走る約200台のバスは、日本がODAで贈った日本製バスである。 さて、志賀プリンス号は快調に走り出した。今日からのガイド、ナラム君は新婚ホヤホヤの25歳で、やはり日本語の勉強に一年ほど日本に留学し、最近帰国したばかりとのこと。ガイドの経験は未だ浅いが、勉強家で知識は豊富のようだ。今回は特別許可を貰ってアシスタントとして若い奥さんもバスに同乗することになった。何時もニコニコして物静かな奥さんは、一番ゆれる後部座席に乗っている。以下、早口のナラム君の車中の弁を断片的にご紹介する。 |
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| * | 今年の冬は異常寒波が襲って零下40度以下を記録した地方も多く、牛馬を中心に200万以上の家畜が凍死し、大きな國際ニュースとなった。しかし、人口の都市集中も手伝って家畜の世話をする人が減り、逆に言へば遊牧の家畜は増えすぎていたので、遊牧民の生活に深刻な影響は無かった。 (ニュースは裏まで聞かないと本当のことは分からない) |
| * | カラスはどこの国でも悪戯者だが、モンゴルのカラスは子羊を襲って眼球だけをつついて食べてしまうので困る。 |
| * | 国道沿いの村むらにはドライブインの役目をする小さな食堂がある。ボウズというモンゴル式ぎょうざ¥10、スープ¥20、ごはん¥20、おかゆ¥20位の値段なので、一食¥100足らずでも何とかなる。 |
| * | 主食の羊の肉は1キロで¥150から¥200が相場だと思う。 |
| * | ウランバートルの人口は1950年に6万人だったが現在は65万人と推定され、半世紀で10倍になった。 |
| * | 今年6月の国政選挙では野党の人民革命党(以前の共産党)が圧倒的勝利をおさめたが、地方の選挙運動は広大な草原をジープで走り回って遊牧民のゲルを訪問する。一日走り回っても数軒しか訪問できないこともあり、候補者はよく痔になる。議員総数は76人で、当選確実には6,000票が必要だが、これだけ集めるのはなかなか大変だ。人民革命党は今回小選挙区制76議席中72議席を獲得してしまった。 |
| ナラム君のモンゴル社会事情の解説を半分子守唄代わりに聞きながら、バスは唯ひたすら草原を走りに走る。と言ってもガタガタ道で速度は余り上げられない。 約2時間走って、ウランバートルから130キロ地点にルンという町があり、そこで最初のトイレットストップとなった。ナラム君が何故か申し訳無さそうな顔をして「トイレはあそこです」と指差す方を見ると、大きなパラボラの立つ電報郵便局らしき建物の前の広場の隅に、傾いて今にも倒れそうな小さな小屋が立っている。「昔の村の便所です」と、ナラム君がまた正しい日本語で言った。 すでに生理的要求も限界にきているらしい女性軍からどうぞということで、先ず最初の女性が、木枠にブリキ板を張ったドアをガタピシと開けて中に飛び込んだ。次の瞬間、その女性が顔色変えて飛び出してきた。おろおろしている様子だ。ナラム君がすかさず叫んだ、「これは昔の便所です、穴に落ちないように注意して、頑張ってください」。それでもなお女性はもじもじしている様子。ナラム君は再び叫ぶ「この次のトイレは2時間あとに来ます」。 彼のこの一言でついに覚悟を決め、女性軍に続いて男性軍も個人の責任において息を止め鼻をつまんで、決死のトイレ作戦を何とか無事完了した。この時ほどトイレと便所を見事に使い分けたナラム君の日本語の正しさを実感した事は無い。誰かが、集団で広いところで他人の顔見ながらやる中国式よりましだよ、と独り言のように言ったが、それも実感がこもっていた。 トイレ小屋の隣の郵便局では職員が独りで頑張っていたが、女性の一人がホテルで投函するのを忘れた葉書を出そうとすると、次の集配は来週だから、このハガキより貴女の方がウランバートルには早く帰るのでは、と親切に忠告してくれた。純朴そうなその青年のはにかんだような笑顔が印象的だった。 ルンの町を出てバスは再び草原に入り、地平線まで続く一本道を懸命に走る。青い空にトンビが舞い、鷹が舞い、そして大鷲が舞う。。地上には今冬の寒波でやられた牛の死骸らしきものが、白く乾いて転がっている。しかし、砂漠と違って緑の大地の上では殺伐とした感じはなく、むしろ自然の摂理がそのまま現われた清潔感を感じさせる風景だ。 一時間ほど走っただろうか、ナラム君が大きな声をあげた。丁度こちらに向かって道路の直ぐ脇を遊牧民の一家が移動して来るという。遊牧ではある地域の草をほどほどに食べ終わると別の地域へ移動するのだ。見ると馬5頭、ラクダ4頭、羊約200匹、やぎ30匹、ヤク10頭が一塊になってゆっくりとやってくる。人間は馬に乗っている人が二人、ラクダの鼻を引いている人が三人見える。家財道具はラクダの背に積んでいる様子だ。何故か一家の移動にしては子供の姿が見えない。子供は寄宿学校に入れたままなのだろうか。羊の群の速度に合わせて動いて行くのでスピードはかなりのろい。これでは遠距離の移動にはかなりの日数を要するだろう。 やがて、トール河に架かる大きな橋を渡る。乾いた大地の中に蒼く広がる水面を見るとホッとする。いくつかの馬群がのんびりと水浴している姿が絵になっている。塊って水の中にじっとたたずんだまま動かない。このトール河はウランバートルの東側、チンギスハーンの生地の辺りに源流を発し、ウランバートルを貫けて西に流れ、やがてタルナ川やオルホン川と合流して北上し、ロシアに入って遠くバイカル湖まで流れてゆく。 女性的な柔らかな曲線を描いて流れる草原の稜線は目にやさしく、今朝から既に3時間以上も周囲360度に広がる大草原を見続けているのに、飽きないのが不思議だ。細い木の電柱で繋いだ心細いような送電線ラインと我々が走る道路以外に人工的な造作は一切ない。緑の起伏の中に白く点在するゲルがまた格好のアクセントになっている。 時計はお昼を回ったのでバスを草原に乗り入れてピクニックランチとする。30mくらい離れた小高い丘の上で20頭ほどの馬が頭を互いに寄せ合い、おしりを外に向けて円陣を組んでいる。ひそひそと皆で内緒話をしているみたいで何だか滑稽な形だ。何をしているのかナラム君に聞いてみると、馬は暑がりで、日中の気温のあがった時にはお互いの体を寄せ合い、お互いの体で日陰を作り、少しでも涼しくしようとしているのだそうだ。体をあんなに寄せ合ったらかえって暑いのではと気になるが、馬に聞くわけにもいかない。お陰で我々は馬のおしりを眺めながらのランチとなった。 ところで、モンゴル語で馬はモリ、見に行く事をハーハと言うそうだが、「モリ ハーハ」と言うと、実際は馬を見に行くのではなくて、「ちょっと失礼してトイレに」という事なのだそうだ。馬の国モンゴルならではの間接表現で面白い。もっとも、馬を見に行くのは男性で、女性は(花をつみに)と言うそうだ。我々グループもピクニックランチの後、男性たちは適当に草原のあちこちでモリハーハした。しかし、何ひとつさえぎる物の無いところで女性たちはどうするのだろうと、誰かが余計な心配をした。ある女性がカラフルなパラソルを持っていたが、そのパラソルが草原の草の上を適宜移動していたと誰かがささやいたので、男性たちもそれなりに納得した。一本のパラソルが女性軍の「お花つみ」に重要な役割を果したのかも知れない。 午後3時15分サンサルト村を通過、カラコルムまで70キロの地点だ。あと一時間半のドライブだがこの辺からますます道路は穴だらけになってきた。 三角形の板の真中に英語のエクスクラメーションマークを書いた道路標識が目に付くようになったので、運転手のテムジン君に尋ねると、まさに(道路が穴だらけにつき注意)の標識であった。 夕方5時、カラコルム郊外のハルホリン村に入り、ついに我々の宿泊地アナル・ツーリストキャンプに到着した。ちょっと気になる名前ではあるが、ANALでなくANARであることを確認して少し安心した。 ここハルホリン村はオルホン河という大河の岸辺に開けた景勝地だが、ここからカラコルムへは昔からオルホン河の水を運河を切り開いて運んでいて、今でもその運河は立派に生きている。我々のキャンプはその運河にオルホンの水を引き込むための取水堰の直ぐ脇にあり、周囲を雄大な山々に囲まれ、二つの緩やかな水の流れに抱かれて独特の雰囲気をかもし出している。到着した時の私の第一印象は「ああ、遂に仙人の住むところへやって来たか」ということだった。広い敷地にはゲルが10棟ずつ3列に並び、調理場や食堂も一回り大きなゲルで出来ている。各宿泊用ゲルは二人ないし三人収容なので、全体で70名くらいの収容力を持っている。シャワールームとトイレと洗濯物干し場は、運河にかかる小橋を渡った向う岸に別棟で建っている。橋を渡ってトイレやシャワーでは不便かなと心配したが、行きかえり橋を渡るミニ散歩がのんびりムードをかもし出して、かえって愉しいことに後で気がついた。 シャワー&トイレ小屋の入口付近には、柄の長い箒を持って怖い顔をしたオバサンが常に見張っていて、男性客がうっかり女性のシャワー&トイレ室に近ずきそうになると、箒を振り回しながら「オトコはあっち、あっち」と怒鳴りまくるシステム?になっている。 橋を渡ってシャワー&トイレ棟へ向かって行くと、正面突き当りが女性用の施設への入口になっており、しかも男女を区分けする標識も小さくて見にくいため、新参者は最初は自然に女性用の入口に近づいて行ってしまう。すると例の箒オバサンが飛出してきて一喝されるという訳だ。私も到着早々オバサンの洗礼を受けて、中央入口は女性用だと言うことを肝に銘じることとなった。 各自ゲルへの部屋割も済んで今夜のねぐらも決まったので、早速キャンプ周辺を散歩することにする。先ず、ゆったりと流れているオルホン河の岸辺に立ってみる。今回の私の旅行目的は>>>>>>青いオシリで生まれてきたモンゴロイドの自分としては、その原点の地に一度は(ふるさと帰り)してみたかったのが一つ。もう一つは、島に住んで毎日海を見ることに少し飽きたので、何処か海の見えない大陸へ行き、内陸性の大自然を味わってみたい気持。 この二つの単純な理由のために出かけてきた訳で、正直言って行事、史跡、お寺などは二次的な意味しかない。いまオルホン河の岸に立って、その自然環境の雄大さに圧倒され、「ああ、本当に来てよかった」という気持ちで一杯になった。いま自分は将にモンゴロイドの故郷の大自然の胎内にまでやって来たのだということを実感した。 オルホン河から運河への取水口の下で水が小さな渦を巻いているが、その渦に釣糸を投げ入れて子供たちが釣りを楽しんでいる。近寄ってみると、釣り針に餌はついていない。裸の釣り針を投げ入れて細かく上下させ、針に引っかかった魚を引っ張り上げている。いわゆる引っ掛け釣だ。魚は10センチ程度で小さかったが、魚影が濃いのでひっかけが可能なのだろう。魚は日本の川に居るハヤやウグイに似た種類だった。 その日の夕食時にアイラグ即ち馬乳酒を初めて味わう。アルコール度は2%から4%の間でかなり酸味があり、やや薄めの(飲むヨーグルト)みたいだ。匂いは余りなく、栄養価は高いらしい。夏の時期は馬乳酒を食事の代わりに飲む人も多いとのこと。秋にはアルコール度数が10度を超えるので子供には夏だけ飲ませるそうだ。 緯度が稚内より北なのでなかなか夜が来ない。夕食の後は各自のゲルから椅子を運び出し運河の土手に並べて、即席リバーサイドバーを開店。モンゴルウオッカをちびちびやりながら川風に吹かれておしゃべりに花が咲く。気温は17度で丁度昼間の半分にまで下がった。 ゲルのベッドに横になると不思議に落ち着いた気分になりなかなか快適だ。 直径7メートル足らずの円形の中にベッドが3台入り、中央に薪ストーブと小さなテーブルがある。広くはないが決して狭くもない。円形の壁に沿ってベッドを置くので無駄になるスペースが少ない。一つだけ気を付けなければならない事がある。入口ドアーが小さいので、充分に腰をかがめて出入りしないとオツムをごつんとやってしまうのだ。すでに毛の無い人や薄い人はコブを作る羽目になる。私も何十年かぶりに頭にコブを二つもつくり、喧嘩に負けて悲しかった遠い少年の日を想い出しながら眠りについた。 |
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