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「モンゴルの旅 チンギス・ハーンのふるさとを訪ねて 2」 小林正典
1月/01

 モンゴル人にとって馬、牛、ヤギ、羊、ラクダ(五畜)は生活に必要な道具であり、動物たちを愛する気持ちや感謝する気持ちはもちろん有るが、ペットには絶対にしない。甘やかさず、厳しく理性的に扱うのが常である。

 最近、若い人を中心に人口が都市に集中してゆくため、ゲルの住人が高齢化してきている。ゲルでの放牧生活が老人だけではもう無理になり、都市に出て行き若い人と同居する老人も増えてきた。しかし、長年丸い空間のゲルに住み慣れた老人には、都会の四角い家の四角い空間に馴染めず、都会の家の庭に円いゲルを作って、そこに住む人もいる。老人は庭の隅につくった隠居ゲルに住んで、洒落ではないが、まさに円く納まるということか?

 途中、峠道のような眺めの良い丘の上でバスを止めると、バチカ君が(さあ、OVOOでお祈りしましょう)と叫ぶ。オボウと言うからお坊さんでも出て来るのかと思ったら全然ちがった。オボウとは小石を富士山の形に積み上げたケルンのようなもので、高さは1メートルから大きい物で2メートルくらい。普通村と村の境の峠路に作られており、シャーマニズムから来るモンゴル風の道祖神である。小石だけでなく動物の骨やスケルトンなども一緒に積み上げてあり、ちょっと気味の悪いのもあるそうだ。てっぺんには青い布切れを結びつけた棒が立てられている。お祈りの方法を説明すると、先ず、その辺で小石を3個拾ったら、オボウのまわりを時計回りに回りながら、一回まわる毎に小石を1個ずつオボウに向かって投げ、3回転で終わる。願い事やお祈りはこの3回転の間にしなければならない。私は取敢えず(本日のトレッキングで馬から落ちませんように)と真面目にお祈りをいたしました。

 今年の夏はかなりの異常気象で平年より気温が高く雨が少ない。この季節もう少し雨が降れば、この辺はエーデルワイスの花が一面に咲いてもっともっと美しいのだがと、バチカ君は残念がるが、途中トール河をわたる辺りの風景は実に見事なものだ。トール河は北上してやがてバイカル湖に注ぐ流れだが、雄大な眺めは見ていて飽きない。山々の北側斜面ばかりに木々が茂り南側には緑が無い。

 これは普通と逆なので、ガイド君に尋ねる。北斜面には春おそくまで残雪がのこるので、その水分をもらって木々が生きることが出来る。南斜面は水分を保つ事が出来ないので、草だけで木々は育たないとのこと。年間500ミリに満たない雨しか降らないという厳しい自然条件を改めて知った。

 テレルジ地方に近ずくにつれて起伏が多くなり、あちこちに奇岩が目立つようになる。中でも有名なのが巨大な亀の形をした(亀石)で、10階建のビルの高さ位はあるだろう。年寄りの冷や水覚悟で亀のてっぺんまで登ってやろうと歩き出したが、急に息が切れて心臓が動悸を打ち出した。胸が苦しい。ああ、私もとうとうモンゴルの亀石の背中の上で人生の最後を迎えるのか、と思って周りを見ると、同行の人達もみんな喘いでいるではないか。標高平均1,600Mのこの国、しかも今この亀石の辺りはすでに1,800M近いのだ。岩を急に駆け登ろうとすれば息が切れるのは当たり前だった。

 バスは亀石を後にしてだらだらと山間の道を下り、やがて標高1,560Mの盆地にあるテレルジのツーリストセンターに到着。ゲルが20棟くらい並んで建っているこじんまりしたキャンプだ。ここでランチとなったが、岩登りあとの乾いた喉にシンガポールのタイガービールがしみわたる。料理はロシアに近いだけあってボルシチ風の野菜スープが美味かった。

 さて、食後はいよいよ泣いても笑っても乗馬トレッキングの時間だ。馬のあぶみには脚を深く入れないで、常に両足先を浅く掛けること。理由は、何か起こったとき馬から直ぐ飛び降りられる体勢でいるため。あぶみから足が外れないと、振り回され引きずられて、大変な事になるから。ああ、何だか怖くなってきた。でも、いまさら引き下がれない。私の乗る馬君はもうそこに来ている。馬に前進を促す時は、チユーチユーと声を出してうながすこと。これが意外と発音が難しい。チユーとシューの中間で、丁度、口笛を吹く口の格好をして、風の擬音を吹き出す要領でやるべし。あの(チューチューたこかいな)のチューでは馬は全然聴いてくれない。

 覚悟を決めて茶色の毛並みのよろしい馬に飛び乗った。モンゴル馬は幸いあまり背が高くないので何とかなった。わが口笛のチューが見事に通じてくれて歩き出したではないか。ああ、よかった。しかし、体全体を固くしてしまって馬体の揺れに私の体が同調できない。リズム感はゼロだ。しかし、10分もする中に馴れてきた。背筋をピンとのばし、全身を柔らかく保っていると馬の歩調で自分の体もリズムを刻むようになってきた。何も言わないが、馬君も(オッサンその調子!)と言ってくれてるみたいだ。目線の高い分眺めは良いし、草原の風がほほに心地よい。
右にタズナを引けば右、左に引けばひだりにちゃんと進んでくれるし、天下を取った気持までは行かないが、爽快という言葉そのものだ。このオッサンは中々やるな、と思ったのか10Mほど脇を同行して呉れていた馬方役のローカルボーイは、早足でパカパカと何処かへ消えて行ってしまった。オーイ、私を独りにしないでおくれ。

何かあったらどうするの。ちょっと心細くなってきた。

 ガツン!!愛馬が急に止まってしまった。我々のトレッキングを冷やかしにやって来たらしいモンゴル少年が二人、私の方を見てニヤニヤ笑っている。何だ。ガス欠か、はたまたバッテリーアップか? そんな筈はない。原因はオシッコだった。大きな音と地しぶきを上げてやってくれてる。なかなか終わらない。何だか私がやってるみたいな妙な気分になってきた。やっとコールオブネイチャーの処理が完了すると、馬君は前よりもいっそう軽やかな足取りで歩みだした。ああ、よかった。

 文字どおり野を越え丘をこえ、一時間半のトレッキング初体験は無事に終了した。これは病み付きになりそうだ。素晴らしきかなトレッキング。

 乗馬のあと休憩用に使ったゲルの入り口で涼しい風に当たっていると、若い女性が二人(こんにちは)と近づいてきた。ひとりはモンゴル人で高校二年生のMissバドローさん、もう一人は日本人の桜井なおみさんという娘さんで、ウランバートルから日帰りでテレルジにピクニックにやって来たとのこと。バドローさんは山形県の或る高校の国際交流学部に、日本語を学ぶために10ヶ月自費留学し、つい先ごろモンゴルへ帰国したばかり。桜井さんは高校までアメリカで育ったが今は山形に住み、通訳や翻訳の仕事をしている人。帰国子女の悩みを抱えて暗くなっていた桜井さんは、元気で明るいバドローさんと山形で知り合いすっかり仲良しになったとのこと。今回、バドローさんの帰国にあわせて一緒にモンゴルまで遊びに来てしまった、と明るく笑う。いまバドローさんの家に居候してモンゴルを楽しんでます。もう暫く滞在したら山形に帰ります、と誠に屈託が無い。桜井さんがアメリカ育ちという事もあるだろうが、二人を見ていると国とか人種とかはどこかにすっ飛んでしまって、まるで実の姉妹みたいに自然そのものだ。これからの若い人たちがうらやましい。それにしても、バドローさんの日本語の確かなこと。一年足らずの留学で此処まで上達するとは驚きだ。われ等のガイドのバチカ君もそうだが、同じモンゴロイドでも、語学に関しては、日本人とモンゴル人では遺伝子もDNAも基本的に異なるのだろうか。二人を車で迎えにきたバドローさんのお母さんにも会ったが、温かみのある実に感じのよい人だった。車の窓からせいいっぱい手を振りながら去っていった二人。彼女らの未来が明るく幸せなものであることを祈らずにはいられない。

 テレルジでの有意義な一日を終えてウランバートルに戻ってきたが、有志の提案で、郊外の丘の上にある日本人墓地に立ち寄ることにした。
第二次大戦後のソ連による日本軍兵士の強制収容と言えばシベリアばかりを思いがちだが、実はモンゴルにも12,000人の将兵や軍属が連れてこられて、各地で強制労働のつらい日々を送った。ここウランバートルでもあの美しいオペラハウスの建設や道路建設や橋梁工事など、主要なインフラ建設の為の重労働に従事させられた。そして1,600人以上の方々が祖国の土を踏む日を夢みながらこの国で亡くなった。20センチ四方の小さな金属板で出来た墓標には、名前と出身県と命日が刻まれている。死亡年月日を見ると1946年と1947年の冬の季節が圧倒的に多い。終戦の翌年と翌翌年のことだ。とっくに戦争は終わったのに国に帰ることも許されず、厳しい寒さの中での重労働に力尽きて倒れていったことが想像されて胸が痛んだ。場所は市の西方でウランバートル市街を見下ろす眺めの良い丘の上。しかし入口の記念碑は傷だらけだし墓地全体が荒れていて、忘れられた存在という感じだ。高さ1メートル程の観音像が一番奥に、そして入口近くには叩くとボコンボコン音のする張りぼての地蔵さんが独り夕日を浴びていた。現在ここの管理責任はどうなっているのだろう?

 後で知った事だが、昨年の夏遺骨収集団が日本から来て「全て」の骨を日本に持ち帰ったとのこと。しかし、もしそうなら何故きれいに後片づけしなかったのだろう。骨を持ち去られ形骸となった墓地は住民の反感を買って荒らされたのかも知れない。自分たちの重労働でインフラの基礎を造った市街、また日本の援助で出来た火力発電所の煙を毎日丘の上から眺めて、ここに眠る方々は何を想ったのだろう。モンゴルの(異国の丘)に参拝する機会を得て、私自身の想いも複雑だった。

 その日の夕食は市内のリトル香港という中華レストランで取った。味もまあまあ。どこの国のどこにでもある中華レストラン。それは旅行者にとっては誠に便利である。野菜不足も解消できるし、強い火を通しているから食中毒の心配も無い。旅行中の食生活における駆け込み寺みたいなものだ。前菜の牛タンがしこたま出てきたのには舌をまいた。地元のチンギスハーンビールも上等だった。その土地のビールはその土地で飲むのが一番である。

 夕食後、夜景が美しいザイサンの丘という、ちょっとおかしな地名のところへ出かけてみた。途中まで坂道を登って行くと、頂上に巨大なソ連兵士の像が立っているのが見える。ソ連とモンゴルが共同で建てたものだと言うが、これではソ連の戦勝記念の丘ではないか。社会主義時代を象徴するものだろう。疲れてもいたし、先の日本人墓地の御霊に申し訳ないような気もしたので私は登るのを途中でやめた。しかし、坂の途中からでも夜景は充分美しかった。

 今日は長い一日だった。ホテルのベッドの中で考えた。お寺、記念碑、お墓、その時々の歴史の流れの中で、権力者の都合で建てたり壊したり、またチンギスハーンのように(世界史は彼から始まった)と言われる程の英雄でも、否定されたり復活したり、人間は本質的に(愚か)なのだろうか。いつの時代も大自然を壊さずに動物たちと共に生きてゆく遊牧の民が一番賢いのかも知れない。

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